放課後のラブレター

泡盛草

第1話


 テスト終わりの放課後は、体も心も軽かった。重くのしかかっていた圧力から一気に解放され、どこまでも行ける気がする。

「やっとテスト終わったね」

 笑顔で私に話しかけてきたのは、最近仲良くなった鈴木さんという女の子だ。

「そうだね。高校初めてのテスト、ドキドキしちゃった」

 そして私は今、別の理由でドキドキしている。

 今度の日曜日、この高校の近くの神社で、お祭りが行われるのだ。私はこのお祭りに、鈴木さんと一緒に行きたいと思っていた。

「ねえ、鈴木さん。よかったら日曜日のお祭り、一緒に行かない?」

「え! 行く行く!」

 鈴木さんの返事を聞いて、私は内心ガッツポーズをした。


「私、図書室に寄るね。じゃあ佐藤さん、また明日!」

「うん、また明日!」

 教室を出た私は、まっすぐ下駄箱へ向かった。下駄箱の中に手を入れて、靴を取り出す。

「ん? 何これ」

 靴を取り出した拍子に、半分に折り畳まれた白い紙が、下駄箱から飛び出した。風に乗ってひらひらと舞い、しばらくしてカタリと落ちる。

 拾って紙を広げてみると、中に短くメッセージが書かれていた。


 よかったら付き合ってください。

 今日の放課後、理科室の前で待っています。


 ドキンと心臓が音を立てた。震える手で手紙を鞄に入れる。

「こっ、これって……」

 もしや、ラブレターというものでは……!

 受け取るのは初めてだった。そもそも見たことすらなかった。今まで恋というものに無縁だった私は、ラブレターというものが現実に存在したことに、感動さえ覚える。

「ま、まさか、私にくれる人がいたとはね」

 ラブレターには驚いたが、もらってみると嬉しいものだった。誰だって、人に好かれて嫌なはずがない。

 しかし、ここで問題が発生した。それは、私に恋をする気がないということである。興味がないわけではない。恋愛小説はよく読むし、友だちとの恋バナにだって楽しく参加する。ただ、実際に恋をしたいと思ったことは一度もなかった。付き合うことなど、考えたこともない。

「どうしよう、どうやって断ったらいいのかな……」

 断ったら落ち込むだろうな。勇気を出してこのラブレターをくれたのだろうに申し訳ない。

 さっきまでの嬉しい気持ちがどんどん萎んでいく。その代わり、課題を先延ばししているときのように、ずんと気が重くなった。

 下を向いて、制服のスカートの裾をぎゅっとつかむ。

 何で今日の放課後なのだろう。もう少し、時間が欲しい。断り方を考える時間が。

 だが、何事も先延ばしにして良いことは一つもない。ラブレターをくれた彼のように、私も勇気を出さなければならないのだ。


 階段を上って少し行くと、理科室の前に、ラブレターをくれたと思われる男子がいた。

「どうしよう、本当にいた……!」

 しかも彼は、クラスの女子に人気の高橋くんだった。なんとなく恐れ多くて、余計に話しかけづらい。

 今からする話で、高橋くんはどれだけ傷つくのだろう。そう思うと、怖くて踏み出せなかった。

「あれ、佐藤。こんなところでどうしたの」

「た、高橋くん」

 なんと、高橋くんの方から私に声をかけてきた。

 突然のことに私は戸惑って、目を合わせられない。

 それでも、勇気を出さなければ……!

「あの、高橋くん! 私、その……」

「それより佐藤、鈴木を見てないか?」

「え、鈴木さん?」

 目の前の高橋くんは、私を見ていなかった。目をきょろきょろさせて、明らかに誰かを探している。

「どうしたの? 鈴木さんなら確か図書室に行くって」

「そうなんだ! じゃ、佐藤、またな!」

 高橋くんはパッと笑顔になると、私に大きく手を振って走っていってしまった。

「え、どういうこと……?」

 ラブレターをくれた相手は、高橋くんではなかったのだろうか。

 だが周りを見ても、誰もいない。

 私はラブレターを鞄から取り出して読み直す。筆跡はどう考えても高橋くんのものだった。まだ入学して三ヶ月しか経っていないが、高橋くんの字はまるで書道のお手本のように綺麗で、印象に残っている。

「ま、待って!」

 やっぱり、これは高橋くんが書いたラブレターだ。そう確信した私は、全力で高橋くんを追いかけた。

 幸い、まだ姿が見える。追える距離だ。

「高橋くん!」

「佐藤?」

 何とか追いついて、ぜえぜえと荒い息をする私を、高橋くんは驚いたように見ている。

「あの! 私、これを見て」

 私は手に持っていたラブレターを、高橋くんの前に掲げた。

 さあ私、断るんだ、ごめんなさいと言うんだ!

 心の中で何度もそう言ってから、口を開く。それと同時に、私はバッと大きく頭を下げた。

「ごめんなさい!」

 なんとか出てきてくれたその言葉は、静かな廊下に響き渡った。

 ぎゅっと目をつぶり、高橋くんの言葉を待つ。

 ……ああ、傷ついてしまっていたら申し訳ない。でもちゃんと言えた。私は頑張った!

 長い長い沈黙の末、高橋くんの戸惑ったような声がした。

「……それ、見ちゃったの?」

「う、うん。下駄箱に……」

「そうか……まあ、いいよ。その代わり、内緒にしてくれよ」

 頭を上げると、そこには顔を赤く染めた高橋くんがいた。

「実はさ、そこに書いてある通り、俺、鈴木が好きなんだよね」

「へ?」

 私の口から思わず変な声が出た。

 高橋くんが好きなのは私ではなく、鈴木さん?

 だが、このラブレターが入っていたのは、私の下駄箱だったはずだ。

「今度の日曜日、祭りがあるだろ? 俺、鈴木と行きたくてさ。その祭りで告白するつもりなんだ」

 恥ずかしそうに言う高橋くんに、私は何も言えなかった。

 しばらくして、私はやっとのことで声を出す。

「……そういうことだったんだね」

 おそらく、高橋くんは私の下駄箱を鈴木さんの下駄箱だと間違えて、ラブレターを入れたのだ。私たちの下駄箱は隣り合っているから、そういうこともあるのかもしれない。いや、そもそもあれはラブレターですらなかった。ただ、鈴木さんをお祭りに誘うだけの手紙だったのだ。

 それに気づいてしまい、体がひどく熱くなった。

「あれ、佐藤、耳が真っ赤だけど大丈夫?」

「大丈夫」

 私はラブレターを自分宛てだと勘違いした恥ずかしさで、燃えてしまいそうだった。それと同時に、高橋くんに対して激しい怒りも感じていた。

 自分の下駄箱に手紙が入っていたら、誰でも自分宛てだと思うだろう。それに、付き合ってくださいなんて書かれていたら、恋愛の方だと思うはずだ。祭りに付き合って欲しい、の意味にはとても取れない。

 私はくるりと背を向けた。こんな顔を見られたくなかった。

「……高橋くん。手紙、もっとわかりやすく書いたほうがいいよ。あれじゃ、誤解しちゃう」

 勝手に勘違いした自分が悪いとわかっている。だが、勘違いする原因を作った高橋くんには一言くらい文句を言わないと気が済まなかった。

「あとさ、今度の日曜日、私、もう鈴木さんと行く約束しちゃったんだよね」

「え、まじで?」

 高橋くんはショックを受けたようだった。

 でも、そんなの私には関係ない。もうこの場に一秒だって居たくない。

 そう思って、足を踏み出した時だった。

「佐藤、お願いだ! 申し訳ないけど、俺に譲ってくれ!」

「はい?」

 私は思わず振り向いた。

 譲ってくれ?

「さっき言った通り、俺、祭りで鈴木に告白したいんだ! どうしてもなんだ! だから頼む!」

「そんなこと言われても……」

 先に約束していたのは私だ。それを譲れなんて、図々しいと思う。

 私が何も言わずにいると、後ろから声がした。

「あれ? 高橋くんと佐藤さん、こんなところでどうしたの?」

 後ろを見ると、本を数冊抱えた鈴木さんが立っている。

 高橋くんは嬉しそうに鈴木さんに近づいた。

「鈴木! 今度の日曜日の祭り、一緒に行きたいんだ!」

「え……お祭りには佐藤さんと行くつもりだけど」

「そ、そうか……」

 鈴木さんの困ったような顔を見て、さすがの高橋くんも引き下がった。

 その隙に、私は鈴木さんの手を引いた。

「鈴木さん。一緒に帰ろう」


 帰り道、鈴木さんは心配そうな表情をしていた。

「佐藤さん、もしかして高橋と何かあった?」

「いや、何もないよ!」

 私はできるだけ明るく答えた。さっきのことなど、早く忘れてしまいたかった。

「そっか。高橋って強引なところあるからさ。……ねえ佐藤さん」

「どうしたの?」

「こんなこと言うの恥ずかしいんだけど、私、実は高橋が好きなんだ。小学校から一緒でさ。でも、どう伝えたらいいのかわからなくて……アドバイスないかな?」

 恥ずかしそうに言う鈴木さんが、何だか眩しかった。

 恋する相手がいるのは、どんな気持ちなのだろう。いつどこでどうして高橋くんのことを好きになったのだろう。

 私にはわからないが、充実していそうで羨ましかった。

「アドバイスかぁ……」

 驚くことに、高橋くんと鈴木さんは両思いだった。そのことが、なぜか悔しい。鈴木さんと出会ったのは私の方が遅いのに変かもしれないが、高橋くんに鈴木さんを取られたような気がする。それに、さっきのことがあったせいで素直に喜べない。

 でも、友だちならきっと、その恋を応援してあげるべきなのだろう。

「今度のお祭り、高橋くんも誘う? いいことあるかもよ?」

「え、いいの?」

「もちろん! 三人で行こう!」

 そして当日は、私がどこかで抜けて、二人きりの時間を作ればいい。

「ありがとう。佐藤さん、優しいね」

「二人の恋を応援したいんだよ」

 笑顔でそう言いながら、内心は複雑な思いだった。

 恋をする気がないのに、ラブレターに舞い上がったり、自分宛てのものではなくて落ち込んだり、友だちが恋している姿を羨ましいと思ったり。

 自分のことのはずであるのに、そんな自分のことが全くわからなかった。

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