第7話「誘惑?」

「お客様、こちらがお部屋となります」



 俺たちがやって来たのは7階の7006号室、突き当たりの部屋だった。


 豪華な扉の横で前に手を組み、かしずくメイドさん。

 そう、ここは高級ホテル。

 俺の墓場かもしれない。


 ここでホウライ文庫で鍛えた、俺の妄想を全力で発動しよう。

 ……妄想といっても、ピンクな奴ではない。

 訪れる最悪の展開のシュミレート。

 人はあらかじめ予想することで、柔軟に動くことが出来るのだ。



 **********



「中に入って、ユニク」



 俺は促されるままに扉を開いた。

 中は暗く、なにも見えない。

 静寂。

 ただ、空気は微かに動いていて、不気味な雰囲気を醸し出している。

 

 

「ユニク。私たちはここで何をすると思う?」

「何って、べ、勉強だろ……?」


「そう、勉強。とっても大事な人生のお勉強」

 


 背筋が凍るようなリリンの声。

 そして、ほんの少しだけ、目の前の空気が揺らめいた気がした。



「明かり、付けるね」

「あぁ」



 パチンと乾いた音がして、視界が開けた。

 ……いや、開けなかったんだ。


 顔。


 鼻と唇が触れそうな程の至近距離に有ったのは、誰かの顔だった。

 近すぎて誰だか識別できない。

 驚きのあまり声を上げることすら出来ずにいると、顔はフッと離れ、数歩後ずさる。


 そして開けた視界の先。

 手前に一人、奥に三人の合わせて四人の人影が、俺を見て――、笑っていた。


 

「うわー、僕らのリーダーに手を出すとか、覚悟は出来てるよね。どう思う?運命掌握?」

「あら?聞くまでもないと思うわぁ、戦略破綻。そうねぇ、もう日常には戻れないくらいの覚悟は欲しいわねぇ」

「さっさと壊そうぜぇ。まったく腹が立つ。だよな?再生輪廻」

「またそうやって何でも壊したがるんだから、無敵殲滅は。直すのは私なんだよ?」


「くすくす」

「うふふふ」

「あははは」

「えへへへ」


「ふふふふ、ユニク。お勉強を始めよう……」

 


 **********



 これ以上の妄想は出来なかった。


 俺が知る情報から察する最悪のシナリオ。

 そして俺は、二度とお日様の下に出ることはなかった。


 完。



「おーいユニク?」

「ねぇ、この人、大丈夫ですかね?」


「たまにこうなる……らしい」

「へぇー。さっさと寝かした方が良さそうですね」


「レラさんに対処法は聞いている。こう、頭を斜め45度で、こずく」



 ぽかり。

 いてぇ!



「は!俺は何をッ!」

「あっ、治った。ちょろい」


「さて、お客様。お部屋のご案内をさせていただきます。室内にある備品等は節度ある範囲であれば、ご自由にお使いになられます。また、お食事やお部屋のお掃除など、なにか御入り用の際は室内の内線にて御連絡くださいませ。では、お客様の滞在が穏やかで優雅にあらせますよう」



 メイドさんはペコリと頭を下げ、昇降機の方に歩いていった。

 え、ちょっと待って!まだ行かないで欲しいんだけど!

 俺が引き留めようと声を掛けようかと思った矢先に、メイドさんはなぜか立ち止まった。



「…………。」

「どうしたの?マリアル?」


「……情熱的な夜を、お楽しみくださいませ!」


 

 意味深な雰囲気で振り返って、言う事がそれかよッ!!


 まさに余計な一言。リリンはどこからともなく水筒を取り出すと振りかぶった。

 しかし、目標のメイドさんは全速力で猛ダッシュ。

 昇降機に滑り込み扉を閉めた。



「まったく。後で必ずや文句を言ってやる!」



 ふんす、と鼻をならし、リリンは扉に手を掛けた。

 あ、ちょ。待って――。

 ガチャリと開いた扉の向こうには、もうすでに明かりが点いていた。


 

「あ、あれ?」


 

 **********



「……タヌキ狩りに失敗したときから薄々感じてはいた。ユニクは結構なおバカさんなのかもしれないと」

「すみません……」


「私が、美人局?をユニクに仕掛けるなど有り得ない事。信用して欲しい」

「面目ありません……」



 俺は部屋に入ってすぐ、収納やトイレ、湯船などをくまなく探索した。

 そして、綺麗な内装はみるみる内に酷い有り様になっていく。


 ついには、ベットの下の隙間を覗き込んでいる時にリリンから、「何してるの?」と冷たい言葉をかけられ、それを皮切りに「実は……」と、美人局を疑っていたと自白。

 しばらくの沈黙。

 ヤレヤレといったリリンの表情は些細な変化ながらも、しっかりと感情を俺に伝えてくるジト目だ。

 


「確かに、不自然な成り行きではあると思う。神託に馴染みのないユニクから見れば、疑いたくもなる事に若干ながら同意できる」

「あぁ、だろう?」


「しかし、ユニクは失念している。私は高ランクの魔導師でありユニクをほふるのに策など必要としない。なんだったら、先程の山でホロビノをけしかければ良い。私は懐が暖かくなりホクホク。ホロビノは胃袋が暖かくなりホクホク」

「…………。」



 場合によっては、俺は食われていたのか……。

 まあ、言われてみればその通り。

 わざわざ自分の部屋まで連れ込む理由などない。



「疑って悪かった。すまない」

「いい、第一、マリアルが余計なことを言ったせいで思考が固まってしまった節がある。明日朝イチでクレームを入れよう」



 ……とりあえずは許して貰えたようだ。

 良かった!村長じじぃ、レラさん、俺はまだ冒険を続けられそうです!!


 

「さて、今日はもう休もう。ユニク、汗を流してくると良い。湯船や給湯機の使い方は分かる?」

「あぁ、それは大丈夫だが、リリンが先に入っても良いんだぜ?早く汗を流したいだろ?」


「それは出来ない」



 え、なんでだ?まさか……。



「私はまだ、着替えの準備をしていない。ユニクの前で下着類を広げるのは、その、ちょっとまだ、恥ずかしい……」

「すみませんでしたぁぁぁ!」

 


 俺は自分の荷物から着替えを取り出すと、逃げるようにして湯室に向かった。

 まったく、さっきから何をやってるんだよ、俺はッ!!



 **********



「あぁ、さっぱりした!疲れた体に風呂はいいよなぁ」

「ちゃんと給湯機を使えた?」


「おう!バッチリだぜ。村に有るのとは違うけど、蛇口を捻るだけだもんな」

「そう、それは良かった」


 

 リリンはすっかり支度を終えたようで、小脇に小さな篭を抱えている。

 そして、よく見れば俺が荒らした部屋までキレイに片付いていた。

 もしかして、リリンは家事スキルが高いのか?

 だとしたらこれから先の旅はぐっと楽になるなー。



「では私もお風呂に入ってくる。机の上に果実水が出してあるから、くつろいでて」


 

 さらに、果実水のおまけ付き。

 いたせりつくせりだな。

 そうして、リリンは湯室に向かっていった。



 **********



 シュルリ。と幾度かの乾いた音は、この年頃の少女が立てているものだ。


 脱衣所で衣服を脱ぐのに一苦労。

 魔導師たるリリンサが装備する服は、外側にも内側にも煌びやかな刺繍で魔方陣が描かれたもので、着衣順が予め決まっている。

 もっとも、守らなかったからといって不具合が出るような安物ではなく、ただ、リリンサが几帳面だったという話だ。


 そんな、高価や高級といった枠組みを軽々と越える衣服は、下着や靴下に至るまで青と白を基調としたデザインで固められている。


 

「ん、さてと」


 

 一糸纏わぬ姿でカラカラと音を鳴らして引き戸を開けたリリンサは、とあることを確認するべく給湯機の前に立った。



「やはり、この部屋の給湯機もかなり古めかしいもの。知識がないならば扱うことは難しいはず」



 リリンサは給湯機の蛇口の下にある、目盛りの付いたダイヤルに触れた。


 そのダイヤルは出てくるお湯の温度の調製をする為のもの。

 右のダイヤルで熱湯、左のダイヤルで冷水の割合を決めて、自分好みに温度を調整する仕組みだった。

 そして、ダイヤルの位置を確認すると「うん……」と呟き、そのままの設定で蛇口を捻ねった。



「ふぁ、、、熱い……。やはり、これは初期設定ではない」



 借りていたシングル部屋の設定よりも随分と高い温度設定に違和感を覚えたリリンサは、確かめる為にそのまま使用した。

 そして、絶対に初期設定では無いと確信し、僅かに目をしかめる。



「ん、だめ、こんなに熱いの、私には……」

 


 しばらくその温度を楽しもうとしたのだろう。

 しかし、直ぐに耐えられなくなったリリンサは、冷水の目盛りを回し温度を下げた。


 

「……やはり、ユニクは何処かおかしい」

 


 体を洗いながら思考を巡らせていたリリンサは、この結論に至った。

 違和感。

 有る筈の無いものをユニクルフィンが持ち過ぎていると気付いたのだ。


 そして、体を洗い終わった後、リリンサは湯船に張られたお湯に視線を向けた。

 しばらくその湯を眺め、おもむろにしゃがみ込んで、湯船の縁に体を預ける。

 ちゃぽん。と手首だけを湯船に入れ、暫しの沈黙。

 


「どうしよう。入ろうかな……」



 少女には少女らしい、葛藤が有るようだった。


 

 **********



 俺は、まじまじと部屋を眺めている。

 さっき初めての部屋に入った時には気が動転し、調度品等には目もくれずに荒らしてしまったからだ。

 ホント、どうかしてたよなぁと反省しつつも椅子に座り、右手の壁に視線を向けた。


 そこには茶色い縁に嵌め込まれた絵画が掛っている。

 花瓶に複数の花が生けてある中々良いデザインだ。


 そして、そのまま視線を時計回りにスライドさせていく。

 電飾灯、戸棚、机、鏡、変わったところでは扇風機もあるな。


 そして、とても広いベットが一つ。

 ぐちゃぐちゃにしたシーツは綺麗に敷き直されており、放り投げた枕は元に戻され、均等に二つ並んでいる。


 ……ん?二つ!?

 一つのベットに、枕が二つッ?!?


 どうして、二つなんだろうか……。

 いや、分かっているさ。これこそメイドさんが執拗に余計なことを言ってきた理由なのだと、すぐに理解した。


 …………。

 いやいや、まてまて、落ち着こう。

 そうと決まった訳じゃない。なにか、なに――――。



「ふう。良い湯加減だった」


 

 あっ、そんな……。

 思考を巡らす前にリリンが現れてしまった。

 

 

「あ、ユニクの髪を乾かすの忘れていた。ちょっと待って、すぐに乾かす」



 風呂上がりで年頃の少女が、薄緑のキャミソールに短パン姿で俺に近づいてくる。

 たたでさえ可愛い顔つきで繰り出すこの格好は破壊力抜群だった。

 そして、一瞬で距離を詰められ、椅子に座っていた俺の背後に立つ。

 

 フワリと空気が動き、暖かい風が俺の髪に触れた。

 どうやらリリンは何かの魔法で温風を出して、俺の髪を乾かしているらしい。

 

 やばい、ちょっと動悸がしてきた。

 なんか凄く良い匂いとかするし。

 ワシャワシャと両手で髪を撫で付けられながら、必死に思考を巡らせているなど、リリンに知られるわけにはいかない。

 


「ユニク、聞きたいことがある」

「ん?なんだ?」


 

 なおも思考を巡らせている最中、不意にリリンから問いかけがあった。

 どうにか平然を取り繕って、頑張って言葉を返す。



「……ユニクは上に乗りたい?それとも、下で乗られたい?」



 ってなんて妄想をしているんだよッ、俺はッ!?

 そんなピンクな事、クールなリリンが言うはず無いだろッッ!!

 俺は心の中で激しく動揺している。

 動揺しているから、こんな馬鹿な妄想をしてしまったのだ。


 そしてリリンの質問は、俺の妄想とはまったく関係の無い、いたって真面目な内容だった。

 


「ユニクはこの部屋の給湯機や昇降機を何処かで使ったことがあるの?」

「いや、無いな。言っただろ?俺はずっとナユタ村に居て、リリンと初めて外に出たって」


「記憶。そう、記憶を失っていると聞いた」

「あぁ、俺はナユタ村に来る前の記憶が無いからな」


「……ならば、おかしい。記憶が、つまり、知識がないならば、ここの給湯機や昇降機の使い方が分かるハズがない。この事について説明出来る?」

「ん?それは多分、ホウライ文庫のせいだな。ほら、俺は趣味で読書をするって前に言ったろ?」



 そう、村長の自宅横のホウライ文庫には、それこそ夕食のオカズから、冒険ファンタジー小説まで多岐にわたる本が納められている。

 その中で埋もれながらする読書は俺に色々な知識を与えてくれたのだ。



「ん。一応、辻褄はあってしまう。そして、ユニクに記憶が無いのはレベルを見れば確実で、整合性も問題ない。しかし、何か引っ掛かる。私的には無くした記憶と無くしていない記憶が有ると推察する」



 確かに、俺も違和感があった。

 リリンに説明しながらも、俺自身、どこで給湯機の使い方を覚えたのか思い出せないのだ。

 俺はその事をリリンに打ち明けた。



「やはり、この、記憶喪失については後で調べる必要がありそう。場合によっては記憶を呼び覚ます切っ掛けとなるかも」

「あぁ、まぁ確かに、俺の親父が英雄って奴だってんなら、そんときの記憶は思い出したい気もするな」


「うん、二人で頑張ろう」



 気がつけば俺の髪はすっかり乾き、リリンの手から出る温風は甘い香りを運んでくるだけとなっていた。


 この甘い香りは何なんだろうか……。

 湯上がりのリリンさんから発せられているのだろうか?

 いやいや、俺の髪からだろうか、確かにあのシャンプーは良い香りだったけど。

 いや、だがしかし――。


 

「……ユニク?」

「あぁ、すまん。気持ち良すぎて、ぼーっとしてた」


「ほら、髪はもう乾いた。どうやら疲れているみたいだし、今日はもう休んだほうがいい」

「あぁ、そうだな」



 何気ない言葉を何気ない言葉で返す。

 たったこれだけの事をした、その瞬間だった。



「うん、それじゃあ、ユニク。いっしょに寝よう」

「……え。」



 その提案は唐突に、俺の意識をピンク色に染め上げる。

 そして、俺の両肩に乗せられたリリンの手のひらは、熱く熱く、火照っていた。


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