第5話「不条理ウナギと理不尽少女の戦い」

※ リリンサのみの戦闘パートの為、文体を『三人称』で書いています。

ユニクルフィンが登場するシーンは彼の視点で書く『一人称』、それ以外のキャラクターが主役の場合は『三人称』での描写となります。










「《飛行脚フライトステップ》」



 切り立つ崖から飛び降りたリリンサは、急降下する世界に終止符を打つべく、短く魔法を唱えた。

 その柔らかい頬を掠めていた風は次第に弱まり、日常的に感じる程度の衝撃を足に伝えた後、完全に停止する。



「これは、ユニクに見せる始めての戦い。相応の魔法程度で済ましていい筈がない」



 池から突き出している岩に軽やかに着地したリリンサは一呼吸おくと、本日の得物を見据えて戦略を練り始めた。



 **********



 漆黒のウナギ、『雷光ヌルヌス』は激怒の絶頂にいる。

 崖の上から人間が見下ろしている事に気が付いていたヌルヌスは、さしたる問題は無いだろうと自分の日常日向ぼっこを優先した。

 その結果、致命的な傷を負う事になったからだ。


 今もなお、体の芯に響く激痛と怒り。

 沸騰する感情に身を任せて雄叫びを上げれば、人間の片割れが崖の上から落下してきた。

 それを視認したヌルヌスは、直立から流動的な体勢になってゆく。

 もう1つの日常、生物として行う捕食行為。

 すなわち、食物連鎖を始める為に。


 だが、自身は強者であると認識していたヌルヌスは、岩に降り立った『餌』を視認した瞬間、経験の範疇を越えた恐怖を体験する事になった。


 強者であるがゆえに理解してしまったのだ。

 その人間が放っている、異常なまでに研ぎ澄まされた『殺意』を。



 **********



「決めた。最初は魔導師らしく戦おう。その方がユニクも喜んでくれるはず」



 そう言うとリリンサは動き出したヌルヌスを見上げ、ほう。と息を吐いた。

「結構大きい。水の中も含めると30mはある」と目算し、頭の中でいくつかの選択肢を並べていく。

 真っ先に浮かんだのは、高位魔道具を使っての簡単な殺戮劇。

 だが、「私はとても凄い魔導師」とユニクルフィンに説明している事を思い出し、真っ当な魔導師としての戦略を組み立て終えた。


 そんな、僅かな時間の停滞。

 その一瞬の隙を、ヌルヌスは見逃さない。



「ヴォロロロロッ!」



 雄叫びと同時に上がったのは三つの音だった。


 巨大な体躯が起こす、轟烈な風切り音。

 少女の立っていた岩が砕ける、激しい爆発音。

 砕けた岩がヌルヌスの口の中で混ざり合う、聞くに耐えない炸裂音。


 どれもこれも、生物が起こしているとは思えない程のもの。

 だが、リリンサにとっては全てが――無意味だ。



「とてもせっかちなウナギ。慌てなくても、ちゃんと屠ってあげるのに」



 ヌルヌスの動きを完全に見切っていたリリンサは跳躍し、天空から見下ろしている。

 それを可能にさせたのは、落下中に唱えた『飛行脚』。

 空気中に見えない足場を創造し、物理法則を無視した立体的機動を可能にする『ランク4』の魔法だ。


 リリンサは慣れた動作で足場を作ると一気に空を駆け上がって回避。

 ヌルヌスの突撃は無意味に終わった。

 そして、そのまま周囲へ視線を巡らせたリリンサは、小さな両の手を合わせ、静かに召喚の魔法を唱える。



「《サモンウエポン=星杖―ルナ》」



 鈴を鳴らしたかのような、静穏優雅な詠唱。

 その声が紡いだ呪文は世界に示され、リリンサが求める結果が顕現する。


 リリンサの手の中で一筋の光が沸き立ち、形変わった。

 光と置き換わるように召喚されたそれは、荘厳な青と清純な白で構成された美しい魔導杖。

 どこまでも清廉さを極めたような光が、先端に付けられた水晶から零れ出している。


 リリンサは星杖―ルナに秘められた力を示威するように振りかざし、シャランという乾いた音を響かせた。

 その音色は瀑布が立てている轟音に搔き消されることもなく反響し、ヌルヌスの意識をリリンサへ向けさせる。



「ウナギ、あなたの敵はここに居る。さぁ、来て」



 不遜に挑発を飛ばしたリリンサは、僅かに笑みすら浮かべている。

 まったく自分が負けると思っていない自信に満ちた表情は、高位の魔導師としての自負があるからだ。


 その問いかけに対し、ヌルヌスは明確な回答を返した。

 リリンサが言った言葉の意味など、魚類であるヌルヌスには殆ど理解できていないだろう。

 それでもヌルヌスは、リリンサの表情が……気に入らなかった。



「ヴォロロロロッッ!!」

「あ、釣れた。さすが魚類」



 ヌルヌスは我慢がならなかった。

 今の今まで、この池を中心とした生態系では自分が頂点だった。

 だからこそ、餌として認識できるかも怪しい小さき人間に痛みを与えられた事が、決して我慢ならないのだ。


 再び起こる、轟列な風切り音。

 今度はリリンサ以外には何も存在しない空への突撃であり、先ほどのような破壊音は起こらないーー、はずだった。



「《氷塊山アイスアイランド》」



 一切の動揺が無いリリンサの声によって、超状の結果が出現した。

 凍てつく空気と、激痛が響く身体。

 直系3mの氷塊がヌルヌスの目の前に出現し、突撃の勢いのまま激突したのだ。


 リリンサが使用したのは、ランク4の魔法『氷塊山アイスアイランド』。

 一般の冒険者が切り札として使用するこの魔法は、巨大な氷塊を作り上げて敵にぶつけるという、非常にシンプルかつ凶悪な魔法だ。


 バギィッッッ!というヌルヌスを揺らした破壊音は、氷塊が砕け散った音だ。

 だがそれは、おかしい事だった。

 氷塊山は敵に叩きつける為の魔法であり、そう簡単に砕ける事はない。


 だからこそ、リリンサがより高位の冒険者だという証明になる。

 リリンサが強度を脆く設定した氷塊山は砕け散り、そして、ヌルヌスの頭の回りを包み込む。



「《寒性球植物フリージア》」



 パキィン。と鋭い音がして、ヌルヌスの口が強制的に開かれた。

 激突の衝撃で大きく開いていた口に氷の結晶が入り込み、空気を巻き込んで再氷結。

 形成された青白く光る氷柱が、ヌルヌスの口を無理矢理こじ開けたのだ。

 その直径5mはあろう巨大な口は、もう二度と閉じられる事はない。



「どんなに暴れても無駄。砕けた氷柱は直ぐに再氷結して元に戻るから」



 リリンサの呟きを理解できないヌルヌスは、我を忘れ暴れ回っている。

 自身の頭を何度も崖に打ち付けて氷柱を取ろうともがき、その度に砕けた破片が周囲に撒き散らされるも、すぐに再生していく。

 リリンサはその光景を眺めながら、如何にしてヌルヌスに引導を渡すかを考え始めた。



「やっぱり最後は大規模殲滅魔法で……ん」



 思考を続けるリリンサの目に変化が写った。

 ヌルヌスの動きがピタリと止まり、体を空中に引き戻したのだ。


 その事に疑問を抱いたリリンサは注意深くヌルヌスを観察し、とある答えを出す。

 そして、その答えを肯定するように、ヌルヌスの周囲からジリジリと擦り合わせるような音が発生し始めた。



「ほう、私に雷で勝負を挑むとは良い度胸。流石にレベルが3万を超えているだけはある」



 いつしかヌルヌスを中心として光が迸しり始め、輝く黄金の池が生み出された。

 見るもの全てを畏敬させる荘厳な演出に、崖の上の少年も息を飲む。 

 そして、光が強くなった時、水面から一本の紫電が天空へと伸びた。


 それは、自然現象とは異なる、水面から天空に向けての放電。

 けたたましい音と光を伴う放電の数は加速度的に増えていき、その全ての紫電がヌルヌスの頭部にある白い斑点に向かって収束していく。

 その白い斑点とは、ヌルヌスの持つ蓄電機関。

 ヌルヌスの『必殺の一撃』を放つための予備動作は、見ている者を圧倒しながらも着実に進んだ。


 やがて寸秒の時の後、空気が炸裂した音のみを無数に残し、全ての紫電はヌルヌスの蓄電機関へと集積した。

 数十万ボルトにも及ぶ膨大な電流。

 何もかもを消滅させうる破壊のエネルギーが向かう先は、悠然と空に立っている害敵……、リリンサだ。



「ヴォルァロロロッッ!!」



 四本の牙から解き放たれた紫電はヌルヌスの口の中で交差し、凄まじい熱量と爆風を伴って打ち出された。

 ヌルヌス自身の口内を焼いてしまうほどの『雷光』が氷柱を瞬時に蒸発させ、リリンサのその身すらも焼き尽くす。

 この戦いを固唾を飲んで見ていた少年も、その攻撃をしたヌルヌスもそうなると――、思っていた。



「《多層魔法連たそうまほうれん幽玄の衝盾クリアフィルム閃光の敵対者ライトエネミー拡散波動ウェイブ―》」



 ヌルヌスから雷光が放たれるよりも早く、リリンサは三つの魔法を発動していた。

 輝く黄金の池を見たリリンサはヌルヌスの性質を見抜き、自身だけでなく周りの被害さえも考慮し、防御の魔法を重ねていたのだ。


 一つ目の魔法『幽玄の衝盾クリアフィルム』で自身の体を守り、

 二つ目の魔法『閃光の敵対者ライトエネミー』で戦いを見ている者への影響を遮断し、

 三つ目の魔法『拡散波動ウェイブ』でヌルヌスの魔法を正面から迎撃。

 発せられた雷光はリリンサに届くこと無く、あっけなく掻き消された。 

 この攻防の勝者は、圧倒的な魔法技能を持つリリンサだ。



「うん、中々に良い威力だった。だけれど、所詮は野生の動物。研鑽された人間の魔法には程遠い」



 ヌルヌスは動けない。


 先程の雷光に自身の力を使い尽くしたのも理由の一つ。

 だが、少女が放つ圧力に畏怖を感じ、体が硬直しているのだ。


 野生の本能によって逃亡が死に直結していると直感したヌルヌスは、再び身を震わせジリジリと音を立て始めた。



「味あわせてあげよう。これが本当の雷。《願い求めるは、無限の勝利であろう。さりとて、その願いが聞き届けられる事など有りはしないのだ。我が魔陣に抱かれ墜ちるがいい。―目覚めよ、雷人王ゼウス―》」



 よく響く鈴のような声で、リリンサは呪文の一節を唱え終えた。

 のちに傍観者だった少年が『憧れた』と語るこの魔法は、壮大なまでに美しい、万人をも魅了する光景を産み出す。


 呪文を唱え終わったリリンサの前に出現した、漆黒の球体。

 その球体が空に向かって打ち上がり、遥か天空で四方へ拡散。

 そうして散りばめられた漆黒の飛沫は、突き上げられたリリンサの腕を軸とし円運動を開始する。


 点から線へ。

 線から面へと進化してゆくそれは、いつしか幾重にも重なり合う幾何学模様となって天空に描かれた。

 本来ならば一匹の生物などに使われる筈もない、人類の行える最大級の魔法を産み出すために。



「……いくよ。《雷陣起動》」



 リリンサの呪文に反応し、天空に描かれた雷陣が一斉に逆立つ。

 そして、ゆっくりと回転し始めた幾何学模様の間に、無数の白雷が蠢いた。


 その光が発する雷鳴は、死へと直結するカウントダウン。

 破壊と崩壊への秒読みを背にして、リリンサは呪文の最終節を唱える。



「《雷陣に集まりし、仇敵たる者共よ。貴殿らの矮小な叫びと慟哭では、何も勝ち取ることなど出来やしないのだ。我が初の閃光にて穿たれ、終の雷鳴と共に消えるがいい》」



 ヌルヌスを中心とした黄金の池に対を成すように天空に描かれた、白金の空。

 渦巻く光の奔流は幾重にも重なる刺繍のように、鮮やかに空を彩っていて。


 やがて、黄金の池から1本の紫電が天空に伸びて、消えた。

 その紫電は、先程までヌルヌスの蓄電機関に集められていたもの。

 だが、紫電は当たり前のようにヌルヌスの横を通り過ぎて天へと上り、白金の空の一部となって消えてゆく。


 黄金に輝く池は消え、白金の空のみが残った。

 その光景を満足そうに眺めたリリンサは、硬直する獲物を見据え、真っ直ぐに伸ばした手を……、振るう。



「《雷人王の掌ゼウスケラノス》」



 それは、大規模殲滅魔法と呼ばれるランク9の魔法、『雷人王の掌ゼウスケラノス』。

 使用されれば歴史の展開点となると言われる、絶対破壊の象徴だ。


 幾つもの魔方陣から閃光が放たれ、別の魔方陣に繋がり、再び閃光が走る。

 積層された魔方陣を乱反射するようにして閃光が駆け抜け、最下層にある魔法陣に触れた時、その白雷は解き放たれた。


 天空から打ち下ろされた白雷は光の粒子となってヌルヌスを貫き、その巨大な体躯を発光させた。

 直視する事が困難なほどの目映い光の渦は奔流は、黒かったヌルヌスの体を一撃で白く染め上げ、池から白煙を噴き出させる。


 リリンサが所持している魔法の中で特にお気に入りな魔法、『雷人王の掌ゼウスケラノス』。

 たった一発の魔法によってヌルヌスの体は破壊し尽くされた。

 そして、池の中心にそびえ立っていた灰褐色の巨塔が、ゆっくりと水面へ堕ちていく。

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