見るべき現実
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ドイツ勤務を終えて日本に帰国した頃の里美。
そこでにやってきた小さな命。
この出来事は里美の心を傷つけながらも、後の二人の行方に影響を与えたのだった。
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夏の終わり、本部の辞令により数年ぶりにヨーロッパより日本へ帰国した。
同時に辞令がでた仲の良い日本人職員と帰り際の機内で食べたい物、行きたい場所、やりたいことなんかを語り合い、まるで友人との旅行のように盛り上がった。
そして同時期に帰国した職員の中には元カレ、『賀城修二』もいた。
年齢は一つ上の彼。
昔、付き合っていたが彼がここの研究所職員になってすぐの頃、私たちはそれぞれの道を選ぶことにした。
里美にとっては大学四年の春、風薫る季節のことだった。
その後のことは知らない。
…
彼はドイツへ出向し、私は仕事にプライベートに必死だった。
五年ぶりに再開した彼とは意外とすんなりと話せたのは良かったけど、ベストな距離感が分からなかった。
グイグイと来る彼。
私は短期間にどんどんと巻き込まれていった。
過去の記憶が呼び戻され、幸せだった頃の思い出が駆け巡り、この肌の温もりもキスも、セックスだって私の気持ちいい場所を忘れていなかったし、そんな彼の喜ぶ行為を私も身体が覚えていた。
彼は昔からそうだった。
だいぶ強引だけど、優しく愛がある。
…
十二月は私と修二、二人揃って誕生日がある。
今では彼氏彼女でも何の関係でもない私たちは、お互い誕生日を一緒に過ごしたり祝福し合う義務などなく、それぞれ過ごした。
今年はあまり体調が優れず、それに日曜だったこともあり、ダラダラとした誕生日。
微熱、お腹のゴロゴロ感もあるしこんな季節だしきっと胃腸炎だろう。
ある日、昔からの友人利佳子に体調が良くない事を伝えると妊娠を疑われた。
『まさかそんなこと…』
だけど、そういう事をしているのだから可能性はゼロではない。
「まずは病院に行って来なさいよ。何かの病気かもしれないし、医師じゃないから勝手なことは言えないけど。」
彼女の母親は医師であり、医学書を読み漁って知識はあったとしても言う通り医師ではない。
利佳子は私と修二くんの、ここ数ヶ月のことを知っている様子だ。
同じ職場で働く彼女には施設系列の病院へすぐに行くよう言われたけどできなかった。
妊娠検査薬だってそう。
…何よりも結果を知るのが怖かったから。
付き合っていない相手との子どもを宿すなんてことは避けるべきだし、必然的に今はそのタイミングではない。
最近寝不足だし、徹夜続きだし疲れているだけ。
そうに決まってる。
ある日の昼休み、いつまでも行動にしない私を見かねて利佳子から呼び出された。
「里美、あなた病院は行ったの?修二くんに問いただしてあなた達の帰国してからのことは聞いたわよ。」
「まだ行ってないです…」
「もう年末なのわかる?病院も閉まるのよ。予約も今から取って、年始に必ず行きなさいよ。一人が不安なら私がついて行くから。」
後に分かること。
一つの小さな命を守りきれなかったのは、そんなもたもたしていた私の行動のせいなのかもしれない。
…
年末、その年も無事に仕事を納め、実家に帰り久しぶりに継母、継父、それから妹の歩美と過ごすお正月。
三が日が過ぎれば通常営業へと戻ってゆく。
日本人とは本当によく働く人種だと思う。
そして実家に帰る前、家でこっそりと試した本当は購入してあった妊娠検査薬。
示された結果は…
『陽性』
…
新しい一年が始まり、今日から出勤する。
目の前からやってくるのは利佳子。
「どうだった?」
「予約取れたのは明後日の夕方だったの。だからこれから。」
「そう、一人で大丈夫?」
「うん…」
私は本当は知っている事実を隠した。
お腹に存在しているはずの小さな命のこともあるだろうが、そこに仕事始めの怠さも加わり今日はあまり人と関わりたくない。
今日は執務室にこもってパソコン作業に没頭することにした。
ー昼過ぎ
下腹部がとてつもなく痛い。
それは顔の表情が歪むほどの痛み。
するとショーツの中に何かが流れ出るような感覚。
(あれ…生理?え、でも…?)
年末に妊娠検査薬で陽性の結果を見ていた里美は、頭の中が混乱していた。
普段から執務室のロッカーに保管していた生理用品を持参しトイレに駆け込むと、久しぶりに目にしたその色は出血量の割にとてつもない腹痛を伴った。
ナプキンを当て仕事に戻ろうとするが、痛みで冷や汗が止まらず、まともに歩ける状態ではない。
痛すぎて気持ちが悪く、このままでは吐くかもしれない。
(妊娠してないの?してるの?…けど、検査薬…なのに生理来た?)
考えがまとまらず、それに痛みのあまり今にも意識が飛んでいきそうだ。
廊下の壁に頼りつつ、時折座り込んで痛みをやり過ごす。
「桃瀬さん、大丈夫ですか?」
「ごめん、何かしらね。」
たまたま通りかかった後輩の真衣が駆け寄り、サポートを受けながら何とか執務室に戻ると私は仮眠用ベッドに倒れ込んだ。
少し落ち着きを取り戻した頃、仕事に戻ろうとデスクに向かうと再び大量に流れ出る何か。
明らからに生理用ナプキンでは対処できないとわかる量の出血により、足の内側を伝い流れ出る血に恐怖を覚えた。
「何なの…」
床に座り込んだまま、手を伸ばし何とか手に取ったスマホで連絡したのは修二だった。
(修二くん電話、出てよぉ…)
なぜ修二くんにかけたのか自分でもわからなかったが、お腹に宿っているかもしれない命を作り出したその相手は修二しかいなかった。
(修二くん!お願い!電話出て!)
祈りが届いたのか、諦めかけたその時聞こえた彼の声。
「はい、どうした?」
「っ、痛いの…修二くん、お腹…赤ちゃん……血が…」
「はぁっ!?赤ちゃんって…何だよ?どうした?桃瀬、今どこにいる?」
「自分の、執務室にいる…」
「待ってろ、すぐに行くから。」
あの時、彼は私の言葉足らずで、検査薬の事を伝えていないのにも関わらず『赤ちゃん』の存在を咄嗟に口にしてしまい、かなり混乱させてしまった。
どうしようもできないその時間、カバンの中にあるハンドタオルを取りに行くため立ちあがろうとするだけで足を伝い流れ出る大量の血。
そして痛みと同時に足元に広がる血。
急激な強い吐き気とふらつきに襲われて、その場に倒れ込み落ち着きを待つ。
執務室のドアが開き、その先に立つ修二の姿を視界に捉えると安心から溢れ出る涙。
血で汚れた下半身と床を見て驚く修二くんは咄嗟に私に駆け寄り、そして抱き寄せて安心させてくれた。
「大丈夫か…お前、妊娠してたのか?それよりこれ、どういうことだ?」
「わかんない…お腹、痛くて…っ、トイレから、っ、戻ったらいっぱい血が…赤ちゃんがっ…」
「大丈夫だ、泣くな。これはもう救急車呼ぶぞ、いいか?」
「うん。」
「医務室、連れてってやるから。持っていく物は?」
咄嗟に駆け寄り血だらけになった、彼の制服のズボンの裾。
いつもの鞄を託すと、修二は仮眠ベッドのブランケットを私の腰回りに巻き、軽々と抱き上げ歩き始める。
「何で言わなかった?あんまり言いたくはないが…ダメかもしれないな、子どもは。」
「ごめんなさい…」
「いつ分かった?こんなことになるとは、驚いたよな。」
「年末に。検査薬も、病院も早く行かなきゃとは思ってたんだけど…」
修二くんは私の変わりつつある身体のことをわかっている。
医務室へと向かう廊下、修二は深刻そうな顔で歩を進めた。
「すみません、彼女妊娠してるんですけど、腹痛と出血がひどくて、これ以上どうにもできないので救急車呼んでもらえますか?」
「大変!ゆっくり横になって。」
そっとベッドに寝かされる。
「腹痛はあるのかしら?」
「昼過ぎに違和感があって、さっきトイレから戻ったら急に出血して…」
「もう救急車呼んだから、赤ちゃんいるのよね、何ヶ月?」
「まだ病院行ってなくて…明後日、最初の予約取ってたのに…」
「信じてあげないと。心を強くよ。」
救急隊が到着すると、担架に乗せられ運ばれた。
「病院決まったら教えて。後で向かう。」
「修二くん…」
握った手が解かれると、不安な心のままその場で別れた。
…
受け入れ先は隣町の大きな病院。
「産婦人科の先生に診てもらえますからね。今日、母子手帳あります?」
「まだ病院、受診してなくて。」
その場に医師がやってくるとすぐに診察が始まった。
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