空から落ちてきた

増田朋美

空から落ちてきた

その日も暑い日だった。とにかく今年の夏は暑いなあという人は多いが、それはもしかしたら、広島とか長崎に原子爆弾が落ちたとか、戦争が終了して平和を続けようとか、そういう重たい月であることで、余計に暑いと感じてしまうのかもしれない。まあ、いずれにしても、8月は、そういう歴史的な事件が多くて、非常に重たいというか、なんだか生きにくい月だなと思ってしまいやすいことは間違いなかった。

杉ちゃんたちは、歴史的な事件とは、あまり関係しないと思っていたのだが、それでも国際色豊かになってきた日本で、杉ちゃんたちの様な平凡な日本人も、歴史的な事件に関わりのある人物と話をしたりすることになるのだ。

杉ちゃんと、ジョチさんは、相変わらず食欲のない水穂さんに、頑張ってご飯を食べてくれるようにああだこうだと、一生懸命お膳たてをしていると、

「こんにちは。浜島です。ちょっと、お願いというか、こういうことは、ジョチさんみたいな人でないと、わかってくれないんじゃないかなと思ったので、ここへ連れてきました。ちょっと、彼女の話を聞いてあげてください。」

と、浜島咲が製鉄所にやってきた。

「こんにちは。」

それと同時に、老婦人と思われる女性の声もする。ちょっと発音が不明瞭なところがあるので、日本語があまり上手ではない、つまり外国人だなとすぐに分かった。

「今日は、外国の老婦人を連れてきたの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、彼女は、丸野エリさん。ちょっと精神がおかしいから、日本の精神医療を体験させて上げたいって、娘さんが、ここに連れてきたのよ。」

咲は現状を説明した。

「へえ、どこの国から来たの?」

杉ちゃんがそう言うと、

「あんまり、口に出して言いたくないような国家なのよ。」

と、咲は、ちょっと恥ずかしそうに言った。それと同時に一台の車が、製鉄所の前に止まる音がした。そして、

「ちょっと!お母さん!」

と言って、一人の若い女性が、製鉄所に飛び込んできた。ということはつまり、車で二人を追いかけてきたのだろう。

「お母さん、どうして私達の結婚を認めてくれないんです。私達は、一生懸命これでもやっているつもりなんですよ。それなのにお母さんと来たら主人の事を頭ごなしに否定して、孫にもあってくれないなんて、どうしてそんなに私達の事を、認めてくれないんですか!」

と、娘さんと見られる若い女性は、その丸野エリさんという女性に向かって、そういったのであった。

「はあ、ちょっとまって。もうここで感情的になってしまっては、困るでしょ。ちゃんとはじめから、要領をちゃんと話してもらおう。まず初めに、エリさんが、何処から来たのか、それをちゃんと話してもらおうな。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「ええ、もちろん、海外からこちらに来た母ですから、日本のことはあまり良く知らないかもしれませんが、私が、結婚した男性の事をどうしても認めてくれないんです。」

と、娘さんは話を始めた。

「つまり、お前さんのご主人は、日本人なんだね?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ。それなのに母と来たら、私と同じ様な苦労をするような人と、結婚するのは絶対だめだと言って聞かないんですよ。あたしは、あまりにも母が反対するのが嫌で、籍も入れて、孫も生まれました。それなのに母と来たら、絶対に認めないんなんて、ずっと言い続けて。もういい加減にしてもらいたいんです!」

娘さんは嫌そうに言った。それを聞いている丸野エリさんの表情が変わらないのが気になる。

「娘さんのお名前はなんですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ、中園靖子です。旧姓は、丸野靖子ですが、母がいつまでもこんな態度をしているので、もう丸野と名乗りたくはありません。全く、いくら被爆を体験しているからって、こんなに頑固だとは知りませんでした。」

と、娘さん、中園靖子さんは言った。

「被爆?つまり、原子爆弾がおっこちたときに、ここにいたの?外国人なのに?」

と、杉ちゃんは言ったのであるが、

「でも、戦争で使われたばかりではありませんよね?」

ジョチさんはそういった。

「そうだよねえ。それにお前さんの年齢なら、まだ原子爆弾が落っこちたときの年齢ではなさそうな気がするし。」

杉ちゃんが言うと、

「そんな事、女性にいうと失礼ですよ。それでは丸野エリさん、いくつかお尋ねしたいのですが、日本語について知識はありますか?最も、丸野の姓を名乗られているから、大丈夫かな?」

ジョチさんがそう言うと、

「少しなら、わかります。」

と、エリさんは言った。ちょっと心配だと思ったジョチさんは、四畳半にいた水穂さんを呼び出して、英語の通訳をしてくれと言った。水穂さんが、了解しましたというと、

「じゃあ、もう一度質問しますけど、一体どちらの国から、日本に見えられたのでしょうか?」

ジョチさんは急いで聞いた。水穂さんが急いでそれを英語に通訳する。

「ええ、ロンゲラップから来ました。」

と、彼女は答えた。

「ロンゲラップとは何処なんだ?」

杉ちゃんが聞くと、

「ああ、なんとなく聞いたことありますよ。確かブラボー実験で有名になった島ですね。あの爆心地から一番近いところにある島で、今は住民は別の島に避難したとか。」

ジョチさんが、すぐに言った。

「その近くで、第五福竜丸が被爆した事もありました。映画にもなって、有名な事件でした。僕はほんの子供でしたけど、まだ原子爆弾を懲りずに使い続けるのかと、呆れた覚えがあります。それをもとに童話も書かれていますよね。」

水穂さんが、それを通訳すると、

「いえ、英語で言わなくてもわかります。第五福竜丸は、有名な事件なので、私も聞いたことがありましたから。」

と、エリさんは、水穂さんの通訳を止めて、そういったのであった。

「なるほどねえ。いわゆる、核実験か。何度も地球が火傷するな。きっと火傷してすごく痛かっただろうな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、ほんとに怖かったですよ。いきなり空気が血の色みたいに真っ赤になって、その後で白い粉が空から降ってきました。あたしたちは、それを浴びてもどうすることもできなくて、海に入って体を冷やすしかありませんでした。」

と、エリさんは言った。

「なるほど。いわゆる死の灰ですね。あれを浴びると、大変な健康被害を被ると言います。大量の放射能を持っていると言いますから。」

ジョチさんはエリさんに言った。

「まあ、いずれにしても、ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾にしろ、なんとかという島の水爆実験にしろ、無関係な人がいい迷惑を被ったということは、間違いないな。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうですか。それだから、嫌だと母が言うんです。日本で原子爆弾の被害にあった人と、結婚しちゃいけませんって。」

娘の、靖子さんが言った。

「つまり、広島か、長崎の人ってことか?」

杉ちゃんが言うと、

「ええ。私の主人のお父さんが、長崎で被爆した人でしたから。母の話によると、主人のお父さんは、長崎で被爆した事をいいことに、格好つけて議員にまでなったと言うんですが、それは私としては、すごい立派なことなんじゃないかと思うんです。ですが、母は、それが気になるみたいです。私は、そんな事、どうでもいいじゃないかと思うんですが?なんで、母は、彼のお父さんが長崎の人だったからと言って、こんなにも猛反対するんだろう。もう本当にわけがわかりません。もう、戦争とかブラボー実験は、とうの昔に終わってるじゃない。」

靖子さんは言った。

「そうでしょうか?」

水穂さんが小さな声で言った。咲は、右城くんと水穂さんに言ったのであるが、

「いえ、本当にそれを体験したのであれば、時代が変わっても、終われないのでは無いでしょうか?」

と、水穂さんが言った。水穂さんは、同じことを、英語でも話したが、それがやけに生々しくて、みんな一瞬黙ってしまった。

「まあ確かにねえ。日本では、広島長崎は有名であるが、そうだねえ、そのなんとかという島の話は一度も聞いたことがなかったかな。それじゃあ確かに、嫉妬するのも、不思議ではないなあ。」

杉ちゃんがすぐに言った。

「そうですねえ。いずれにしても、こういう問題は、日本の歴史だけではなくて、核実験の歴史でもあるからねえ、簡単な気持ちでは務まらないと思うぞ。相手に対して、どういう気持を持つかということになるんじゃないかな。どっかの外交官みたいにな、うまい口で勝負できるもんじゃないからな。まあ、そうだねえ。あとは、お互いがどっちかが柔らかくなることだと思うよ。」

杉ちゃんの話に咲も、

「ええ。あたしも、そう思うしか無いわねえ。」

と、小さなため息を付いて言うのだった。

「そうなると、あたしたちはまた時間をおいて、どっちかが柔らかくなるのを待つしか無いのかあ。」

「いいえあたしは、中園玲さんのそばにずっといますよ。お母さん。お母さんがいくら、変なところに嫉妬していようと、あたしは、そうしますからね。一応、孫の朝子だって居るんだから。せめて、朝子に顔くらい見せてやってもいいじゃありませんか!」

と、靖子さんは言った。

「でも、お母さんのエリさんが体験した、ロンゲラップの被爆事件を、日本のメディアがあまり報道しなかったというのもまた事実ですよね。それなのに同じ被爆でもヒロシマ・ナガサキのことは、本当によく報道されているから、それに大して嫌な気持ちになることもまたしょうがないことなのかなと思います。だから、長崎から来た男性と娘さんを結婚させたくなかったんですね。その気持も、なんとなくですけど、わからないわけでは無いですよ。」

と、水穂さんは、エリさんと靖子さんの顔を見ながら、そういったのであった。

「でもさ、それでは、お母さんと、娘さんの溝は埋まらないわ。右城くん、それに対してなにか対策を立てなくちゃ。」

咲はすぐに言ったのであるが、

「でも、対策と言っても、いずれも日本と世界の歴史ですから、それを取り消すことはできないでしょうし、塗り替えることもできないんですよ。だから、どう言われても何もないということだと思います。」

ジョチさんが、皆を代表するように言った。

「かと言って、僕らは関係ないと思って生きるのも、できないよね。こういう女性が、現れちまったからよ。なんかみんなさ、歴史は学んでもそれを変えることができないで、なんとなく後ろめたい気持ちだけ持って、いきているってのが、今の僕たちでもあるんだよな。どうせ、周りの奴らは、ああ、なんとかしなくちゃいけないなって思いながらもさ、実際に行動を起こせるやつは、偉い人しかいないんだよな。誰でも、なんとかしようっていう気持ちには、なろうとしても、なれないよな。そういうのって、なんか、感性のいいやつは、罪悪感持っちゃうんだろうな。」

杉ちゃんは、そういった。

「それで、行動を起こすために、一念発起して、有名になっちゃうやつも居るんだよね。そして、何もできないで病んでしまうやつも居る。まあ、世の中ってのはさ、そういう奴らばっかりだよな。何もできないで、終わっちまうやつばかりだよ。虚しいねえ。それだけで一生終わっちまうなんてよ。」

水穂さんが英語でなにか言った。杉ちゃんが、何を言ったんだよとジョチさんに聞くと、

「ええ、資料館とか、そういうところに行って見たらどうか、と、彼は言ったんです。」

とジョチさんは答えた。

「そうだ。できることは何でもやってみたらいい。ヒロシマ・ナガサキにまつわる本とか英語で出版されていないの?それをよんでみるのもいいかもよ。」

水穂さんが、通訳すると、エリさんは嫌そうな顔をした。もしかしたら、水穂さんの通訳には、通訳以外の言葉が入って居るかもしれない。

「あとはそうだねえ。もし、お前さんたちが、なんとか島で被爆したのを日本で報道されなかったのが、そんなに悔しいんだったら、お前さんも行動を起こしたほうがいいな。何かできる仕事ないかな?なんでもいいんだよ。そういうのを語らせるのだって、立派な仕事になるからな。」

と杉ちゃんが言った。

「そうですね。何処かお話のサークルとか、そういうところに加盟したらどうでしょう。もしよろしければ、小説を描いたことはお有りですか?もしよろしければ、僕が、出版社と話をしてもいいですよ。」

ジョチさんも杉ちゃんに続いてそういったのであった。

「なるほど。本があれば、誰でも手にとって読めるかもしれないものね。」

と、咲はそういったのであった。

「でも私、日本語もあんまりちゃんとわかっていないところもあるのに?」

エリさんはそう言っているが、

「わからないからこそ伝わるものもありますよ。」

とジョチさんは言った。

「それでは、あなたがロンゲラップ島で被爆したことを、文章に表してみてください。もし、必要な手助けがありましたら、僕がします。」

水穂さんが通訳すると、

「はい。わかりました。」

と、エリさんは日本語で答えた。

それから数日後。エリさんが、茶封筒に入った原稿を持って製鉄所にやってきた。原稿用紙100枚をこす膨大な原稿であるが、日本人が日本でブラボー実験の事を報道する事をしなかったことに対する悲しみばかりが書かれていた。これでは、ただの日本人をバカにする本になってしまう。ジョチさんはタブレットで、ヒロシマ・ナガサキにまつわる写真などを見せながら、彼女に文書を書き直させた。何度も閉口してしまったのであるが、それでも、彼女は文章を書き直し、一生懸命ロンゲラップで死の灰が降ったことを伝えようとしていた。それと同時に、映像や画像などを眺めて、日本がされてきた、酷いことも理解するようになった。

「なんだか、私がされてきたことも、日本のみなさんがされてきたことも、予想していなかったということが、同じなんですね。本当にいい迷惑だったんでしょうね。」

と、エリさんは、原稿を書きながらそういう事を言った。

「だって、同じじゃないですか。空から降ってきたんですもの。ロンゲラップでは、白い粉が空から降りました。日本では、直接爆弾が空から降ったんですね。でも、それは雨とは違うんですね。雨は、自然が降らしてくれますが、爆弾は人が落とさなければ落ちません。」

「いいこと言うじゃないですか。ぜひ、伝えてあげたい言葉ですね。それも本文に描いてあげるといいですよ。」

ジョチさんは、彼女に言った。

「でも、それだけではいけないって、伝えることも必要だと思います。そして、一人ひとりが、二度と爆弾に明かりをつけることのないようにしてあげてください。そういう気持ちになれる本を、ぜひ出してあげてください。」

こうなると、エリさんの執筆作業は更に速度をました。それからしばらくして、ジョチさんの知り合いの出版社のはからいもあり、彼女の原稿は、書店に発売されるまでは行かなかったけれど、富士市の郷土資料館におかせてもらえることになった。

「いやあ良かったですね。おかげさまで、原稿が、本になることは成功したじゃないですか。それでは、誰かに訴えることもできるんじゃないかなと思います。本当にご成功おめでとうございます。」

小さなレストランの一角で、ジョチさんは、そう、丸野エリさんに言った。今日は、本を初めて郷土資料館に置くことができたので、成功を記念して、みんなで食事に行こうと、杉ちゃんが提案したのであった。

「本当に良かったな。お疲れ様です。」

杉ちゃんもにこやかに笑ってそういうと、

「ええ。日本語もなかなか難しくて、描くのは苦労したけれど、皆さんの励ましを受けて、かけるようになりました。とても嬉しいです。ありがとうございます。」

と、エリさんは嬉しそうに言った。

「じゃあ、今日はぱっといくか。主役は、一杯食べていいぞ!」

杉ちゃんが自分のパスタの一部を、エリさんの器に取り分けるとエリさんは照れくさそうな顔をした。

「ありがとうございます。皆さんのおかげです。」

「いや。どうってこと無いよ。ただ、お前さんが、一生懸命描いただけでしょ。僕らはお手伝いしただけだ。それで、娘さんの心も動かせるようになったかな?」

杉ちゃんがそういうのと同時に、製鉄所では、エリさんの娘である靖子さんが、大きなくしゃみをした。

「あら、夏風邪でも引いたのかしら?」

と靖子さんは思わずいうと、

「いえ、そんな事ありませんよ。ただ、噂されていただけなのでしょう?」

体調が悪くて、レストランに行けなかった水穂さんが、そう言ったので、靖子さんは、そうですねとだけ言った。

「でも、びっくりしました。不思議です。」

「不思議って何がですか?」

靖子さんの話に水穂さんは聞いた。

「ええ、だって、母があれだけすごい文書を書かせてもらえたんだもの。私、こう見えても母のこと好きじゃなかったんですよ。だって、母は居るだけで悲劇のヒロインみたいなところがあるじゃないですか。母は、ロンゲラップで、被爆した経験があるから、それでいろんな人から注目されることができるけど、あえてそれをしてこなかった人なので、今回、こんなふうに本なんか出してしまえるというのに、私驚いているんです。」

靖子さんはそう水穂さんに話した。

「きっとそれは、娘さんである靖子さんだってできるんじゃないですか?お母さんがあれだけの文書を描くことができるんだったら、靖子さんだってできると思いますよ。だからこそ、長崎の方と結婚したのかのしれないし。そういうことであれば、辻褄が会いますよね。一見その時点では全く合致しないように見えても、あとになって実はこうだったという事例は、結構あるんですよね。」

水穂さんはそう靖子さんに言った。

「いずれにしても、あたしたちは、そういう事を伝えていかなければならないんでしょうね。二度とこういう事を繰り返してはならないって。だって、母がロンゲラップであったことも、ヒロシマ・ナガサキであったことも、絶対にやってはいけないことですから。未だに母のことは、好きではないところもあるけど、でも、それもまた何処かで合致するようになるかな?」

靖子さんは、空を見上げて笑うのだった。

確かに青い空だった。空から何も落ちてこない、平和な空だった。

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空から落ちてきた 増田朋美 @masubuchi4996

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