第31話 二人きりの食事

「クラウス、朝ですよ。起きられますか?」

「んん゛……」


 私はクラウスのことが好きだと自覚した後も、しばらく普通の日常を過ごしていた。

 朝食、掃除、洗濯……と家事をこなし、昼頃にクラウスを起こす。昼食が終わればまた掃除をして、時々クラウスの手伝いをする。

 顔を合わせる場面が決まっていたから、どうにかやり過ごすことが出来ていた。


「もう少し寝かせてくれ……」


 起きたばかりの少しかすれた低い声が、布団の中からかすかに聞こえてきた。


「三十分前もそう言っていましたよ」

「ああ……そうだったかな」


 クラウスは魔力が回復して以降、寝起きが幾分か良くなったけれど、それでもすんなり起きられる日は稀だった。


(寝ぼけて攻撃されなくなっただけでもありがたいけれど)


 お屋敷さんがいつものように窓を開けて、爽やかな風を入れてくれる。風でクラウスの髪の毛がふわふわと揺れて、とても気持ちよさそうだ。

 けれど、クラウスが起き上がる気配はなかった。


(今日は寝起きが悪い日かも。もう少ししてからまた来ようかな……)


 今日は人間界での用事は入っていないはずだ。急いで起こす必要はない。

 頭の中で予定を考えていると、クラウスの声が聞こえてきた。


「カレン」

「はい……わっ」


 名前を呼ばれたと同時に腕を掴まれた。ぐっと引っ張られてクラウスの顔が近くなる。


(な、何……?)


「今日はやけに甘い匂いがするな」


 ぼんやりとした目で瞬きを繰り返しているクラウスは、まだ寝ぼけているようだ。


「あ、甘い匂い? あぁ……今日はパンケーキを焼いたので、その匂いですかね」


 最近気づいたことだが、クラウスもティルも甘い物が好きなようだ。二人とも何でも美味しいと言ってくれるけれど、甘い物を食べた時の反応が一番良い。

 今日は珍しく早起きしてきたティルのリクエストで、パンケーキを焼いたのだった。


「そうか、では起きて食べるとするか」


 パンケーキという単語を聞いて、少し目が覚めたようだ。クラウスはゆっくりと起き上がった。

 そのまま私の腕を持ったまま立ち上がって扉に向かうので、必然的にクラウスに連れられる形になった。


(腕が……近いですクラウス!)


 寝ぼけているクラウスは、攻撃的じゃなくても心臓に悪い。

 これからは起こす時にちゃんと距離をとろう。そう決心した。


「そ、そういえば、ティルが出かけていきましたよ」


 動揺を悟られないように、なんとか話題を出す。

 

「あぁ、昨日急に用事が出来たとか言っていたな。夕方には戻ってくるだろう」


 そう。今日の昼食はクラウスと二人きりなのだ。




「……美味いな。もう少しもらえるか?」

「もちろんです。はい、どうぞ」


 用意しておいたパンケーキにクリームとフルーツをのせて、クラウスに渡す。

 食事の用意が終わる頃には心臓のドキドキも治まり、いつものように振舞えていた。


(やっぱりいつもの食事よりたくさん食べてくれてるわ。時々なら甘めの食事もアリね)


 毎日似たような食事では作る方も飽きてしまう。

 それに、悪魔にとって人間の食事は娯楽みたいなものだろうから、栄養よりも美味しさ重視の方が良いのかもしれない。


「クラウスは負の感情からしかエネルギーを摂取しないのですか? 食事みたいに他の物から摂取出来たりします?」


 毎回負の感情を呼び込んでエネルギーを得るのは、飽きたりしないのだろうか。

 ふと聞いてみると、クラウスが食べる手をぴたりと止めた。


「今のところないな。俺は魔王にそういう風に作られた魔物なんだ。あいつが決めた方法だから、他の方法はないな」


 魔王。その単語を出すクラウスは固い表情をしていた。怒りや諦めとは違う、何かを決意しているかのような表情だった。

 自分を作り出した存在。その相手には、色々と思うところがあるのかもしれない。


(ティルも魔王を嫌っていたわね。気難しい存在なのかも……)


「……一つの方法しかないのは大変ですね」

「大変でもないさ。ある程度は社交界に顔を出すだけで摂取できるからな。最近はちょっと用事があって使い過ぎただけだ。それももうすぐ落ち着く」

「それなら良いですが……」

「それに前も言ったが、カレンがいれば効率が上がるから。そう心配そうな顔をするな」


 少しおどけるように、私が心配しないように、優しくそう言ってくれるクラウスの声は温かかった。

 クラウスがそう言うなら今は心配しない。もうすぐ落ち着くなら摂取回数も少なくて済むだろうし。


「分かりました。私、皆の嫉妬を煽れるような態度をとるようにします!」


 私が握りこぶしを振り上げると、クラウスは声を出して笑った。


「ふっ……はははは、それがいい。思う存分暴れてくれ」


 クラウスは本当によく笑うようになった。それを見ることが出来て本当に幸せだ。


 


 お茶の時間に差し掛かろうという頃、ティルが帰ってきた。


「ただいまー! 帰ってきたよー。お土産もあるよ!」


 やけに元気な挨拶が気になって、掃除の手を止めて玄関へと向かった。

 玄関フロアにはクラウスも来ていた。

 

「……お客様か?」

「うん! どうしても我が家に来たいみたいだったから、連れてきてあげたのー! 『おもてなし』しなくちゃ」


 楽しそうなティルの後ろには、三つの人影があった。


「あなた達……」


 そこにはボロボロの服装をした父と母とミシェルが立っていた。

 三人とも怯えた表情をして、縮こまっている。


「い、一体どうなっているんだ? ここはどこだ? お前が侯爵家の人間だって聞いたから……」

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