第10話 家政婦としての朝

「カレン、お前の結婚や仕事に関する手続きはこちらで済ませる」

「え? そのくらいでしたら私が……」


 やりますと言おうとしたのだが、クラウスの鋭い眼光が私を黙らせた。


「役所を丸め込む必要もある。こちらに任せておけ」

「……分かりました。よろしくお願いします」


 口調はそんなに厳しいものではなかったが、有無を言わさぬ迫力があった。

 もしかしたら、私の家族がらみで色々と手を回すのかもしれない。私がいると直接聴取をされたりして、面倒なのだろう。

 ここは大人しく任せることにした。


「そろそろ夜も更ける。休んだほうが良い。ティル、カレンを部屋に案内してやれ。南の空いている部屋で良いだろう」

「はーい! じゃあ行こっか」


 もう話は終わりだということだろう。

 クラウスに指示されたティルが、私の手を取ってさっさと扉に進んでいく。


「あ、はい。あの、明日からよろしくお願いします。おやすみなさい」


 後ろを振り返りながらクラウスに挨拶すると、返事が聞こえたような気がした。




 ティルに手を引かれて長い廊下を進み、一番奥の部屋の前まで来た。


「ここだよ。今日からここが、カレンのお部屋。足りない物があったら言って。なんでも用意出来るから!」


 遠慮しないでねと言いながら、ティルが扉を開けてくれた。人の姿になったティルは、行動が紳士的だ。


「ありがとうございます。わぁ……素敵なお部屋!」


 扉の向こうには可愛らしい内装の部屋が広がっており、思わず感嘆の声がもれた。


 白を基調とした壁には大きな窓があり、柔らかな薄緑のカーテンがかかっている。

 テーブルや椅子には所々に細かな模様が彫られており、まるで美術品のようだ。

 奥には大きなベッドが置いてあり、見ただけで寝心地が良さそうだと分かる。


 私が部屋の入り口で見とれていると、ティルが私の腰に手を当て、部屋の中へとエスコートする。


「気に入ってくれた? あ、多分カレンの好みが反映されてるよ」

「へ? えぇ……?」


 思いもよらぬことを言われ、変な声が出た。

 一体いつ好みを知られたのだろうか。水晶で見られていたのだろうか。


(知られていたとしても、こんな短時間で部屋の改造なんて出来るの?)


 不思議に思っていると、ティルが解説してくれた。


「この屋敷はクラウス様の魔力をいっぱい吸ってるから、色んな事が出来るの! お部屋に住む人に合わせて、ちょっとだけ模様替えしてくれるんだよー」


 確かにクラウスは、屋敷に魔力が充満していると言っていた。

 だけど、まさかこんな風に魔力が使われているのだとは思わなかった。


(すごい! なんて便利なの?!)


 今日からここが自分の部屋になるなんて、信じられないくらいに嬉しかった。


「とても素敵なお部屋で気に入りました。ご用意してくださって、ありがとうございます」


 お礼を言うと、ティルは嬉しそうに目を細めた。


「明日の朝、キッチンとか好きに使って良いからね。人間用の食材は揃ってるから安心して。僕たちは多分お昼ごろまで寝てるから」

「分かりました」

「じゃあ、おやすみ! ゆっくり休んでねー」

「おやすみなさい」


 ティルが部屋を出た後、ベッドに腰掛けてみた。予想通り、いや、予想以上にふかふかだった。

 そのまま倒れ込むと、お布団が私の身体を優しく包み込んでくれた。


「ふぅ……」


(目まぐるしい一日だったわ……。まだ夢の中にいるみたい。でも、これが現実……頭が追いつかないわ)


 仕事を探していただけなのに、あれよあれよという間に悪魔と契約結婚して、その屋敷で暮らすことになった。

 不思議なこともあるものだ。だけど今までの人生の中で、一番幸運な日だったかもしれない。あの家から脱出できたのだから。


(私が帰ってこないから、家族はきっとカンカンに怒っているでしょうね……ま、もう関係のないことだわね)


 クラウスが、あの人達から栄養を摂ろうとしていたことを思い出した。

 絶望させると言っていたけれど、どうするつもりなのだろう。……まあ、いずれ分かることだ。


「それにしても、このお部屋本当に素敵ね。小さい頃によく想像してたお部屋みたい」


 幼い頃、魔法の世界に憧れていた頃、よく想像して遊んでいた。

 私は魔法を使って新しい家族に出会い、小さいけれど綺麗な家で皆で仲良く過ごす……。

 そんな想像をしていた時、自分の部屋はこんな内装を考えてたっけ。


(理想的な住まい、有能な上司、可愛らしい先輩……本当に夢みたい。最高の職場じゃないかしら……)


 心地よい布団の上でウトウトしていると、いつの間にか眠ってしまった。


――――――――――




「んー……よく寝た。もう9時過ぎてる。こんなフカフカの布団で、誰にも邪魔されずに眠ったのは初めてね」


 窓から差し込む朝日に起こされたのは、いつもよりだいぶ遅い時間だった。


「とりあえず、朝ご飯にしよう」


 ぐーっと伸びをして簡単に身支度を済ませると、キッチンへと向かった。

 昨日ティルと廊下を歩いている最中に、キッチンの場所を確認しておいて良かった。広すぎて場所を知らなかったら、たどり着けなかっただろう。


 キッチンはとても広かったが、使いやすさを考えられた配置をしており、料理がしやすそうだった。


「すごい……食材がこんなにたくさんある。なんでも作れるじゃない!」


 我が家では見たことのない量の食材ストックに、頭がクラクラした。生鮮食品から保存食までなんでも揃っている。見たことない食材や季節外れの果物まであった。


(うーん、なにを作ったら良いか迷うわ。……こういう時は作り慣れているもので!)


 結局家でもよく作っていたリゾットを作って食べることにした。色々使ってみたかったが、失敗したら食材が勿体ない。


「家で作るより美味しい! やっぱり良い食材を使うと違うわね」


 誰にも邪魔されずにゆっくりと朝食を作り、のんびりと味わって食べる。私はその幸せをかみ締めた。




 朝食を済ませた後は、さっそく屋敷の掃除をすることにした。とはいえ知らない部屋には勝手に入れないので、廊下と玄関ホールが中心だ。


「ええっと、掃除道具は……」


 掃除道具を探そうとしたが、広い屋敷の中ではなかなか見つからない。

 こうなったら素手でやれることをやるか、と思いかけた時、廊下の奥が少し光っていることに気がついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る