第8話 悪魔の侯爵クラウス・モルザン
どうして気づかなかったのだろう。クラウスという名前、初めてお会いした時の既視感。ヒントはいくらでもあったのに……。
――――――――――
クラウス・モルザン。その名前を知ったのは数年前くらいだろうか。
社交界に出入りしていない私は、当然直接会ったことはない。新聞でよく目にする有名人、それが彼だった。
最初は、両親や姉の噂話に時々出てくるだけの名前だった。
「最近の若い者はマナーがなっとらんな! あのクラウスとかいう若造は一体何者なんだ? モルザンなんて家名、聞いたこともない」
「国王のお気に入りらしいわ。でもあの傲慢さには呆れるわね。ミシェル、あんな男に捕まらないようにね」
「分かっていますわ、お母様。私ならもっと良い男を捕まえます」
どうやら父の挨拶を無視したとか、そんな話だった気がする。
どうせ父が、お得意のゴマ擦りで媚びへつらおうとしたのだろう。それを見透かされてあしらわれたようだ。
(父のやり方に気を良くするような貴族はロクな人じゃない……。クラウスって人はまともな人なのかも)
そんな風に思っていた。
そして数ヶ月しないうちに、その名前をたくさん目にすることになる。
月に一度は新聞の一面を飾っていたからだ。
『悪魔の侯爵クラウス・モルザン、また大臣を更迭』
そんな見出しばかりだったように思う。
『侯爵の身でありながら国王からの信頼が大変厚く、助言一つで大臣をも更迭させる。どんな話術で国王を動かしているのか。まさに悪魔のような手腕だ。彼の言動からは目が離せない』
といった内容が多かった。
(やっぱり優秀な方なのね。父は侯爵様に気に入られなくてイライラしてたもの。見ていて面白いほどに……)
パーティーなどで顔を合わせる度に、父は彼の悪口を吐きまくっていた。
一番酷かったのは、父がすり寄っていた貴族がクラウス・モルザンに解雇された時だ。両親は今までにないほど喚き散らしていた。
「気に食わない男だ。貴族の暗黙のルールが分かっとらん! 賄賂ごときで解雇だと? どうして国王はあんな奴を信頼しているんだ!」
「彼のせいで我が家の収入が減って散々だわ!」
「まったくだ! また宝石を横流ししてくれる方を探さないとならん。俺がどれだけ苦労して今のルートを確保したと思ってるんだ!」
父は国外から仕入れられた宝石を横流ししてもらい、高値で売りつけていたようだ。
私はその時初めて、父が悪事を働いていることを知ったのだ。
(目上の人間に媚びへつらっているのは知っていたけれど、真っ当に働いていなかったなんて……最低だわ)
父の嫌な面を再発見してしまい、最悪な気分になったことを覚えている。
姉のミシェルも、クラウス・モルザンを嫌っていた。彼が自分になびかなかったから不満なのだ。
「あの方は見る目がないわ! 私が話しかけたというのに、無視したのよ?! あの態度、信じられない……。まあ、あんな怖そうな人、私だってお断りよ! 紳士じゃないもの」
食事を用意している間、ずっと愚痴を聞かされたことを思い出す。
私があまり相手にしなかったので、発言がどんどんエスカレートしていた。
「彼はきっと暴力男よ。目が恐ろしかったわ。カレンが嫁いだら面白そう! あぁ……でも無理よねぇ。あなたは貴族と会う機会すらないからね! あはははっ」
そんな姉の発言に両親は楽しそうに乗っていた。
「カレンに結婚なんて無理に決まってる。だが、あの男が我が家の収入を減らした責任をとって、カレンを買い取ってくれるなら最高なんだがな」
「まぁ! 夢のような話ね。こんな役立たず、いくら悪魔侯爵だってお断りでしょうに」
「それもそうか。はははははっ」
――――――――――
(あんなに家族から名前を聞かされていたのに、すっかり忘れていたんだわ。嫌な記憶とセットだったから、脳から抜け落ちたのかも……)
思い出した記憶は、あまり良い気持ちになれないものだった。知らず知らずの内に、記憶に蓋をしていたのだろう。
それに新聞で見たクラウス・モルザンは、モノクロの写真で、ピントが少しぼやけたようなものばかりだった。
今、目の前にいるクラウス様と結びつかないもの無理はない。
(新聞で見たときは、こんなにも人外的な美しさはなかったわ)
改めてクラウス様の顔を見る。本当に整っていて、人でないのも納得だ。
「カレンと会うのは今日が初めてだ。どこで俺を知ったんだ?」
「新聞です。よくお見かけしていましたわ」
「あぁ、なるほど。ちょっと人事に口を出すくらいで、大げさに取り上げられるからな」
「クラウス様は、悪魔の侯爵って呼ばれていましたね。なんだか可笑しいです」
本当に悪魔なのだからなにも間違っていない。それが面白かった。
クスクスと笑っていると、クラウス様もつられたのか口の端で笑っていた。
「……クラウスで良い。もう夫婦なのだから、様はいらない」
「分かりました、クラウス」
呼び捨てを認めてくれるのは、私を妻としてを認めてくれたみたいで嬉しかった。
お互いのための契約結婚だけど、悪くないスタートだろう。
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