岐門之記

「ごめんください」


 と、ぼくはヘレーラの御家を訪れていた。


 ここを訪れた理由は植物の種を買いに来たという安易な理由だ。


「なっ! 男子!」と侍女だろうか? 結構歳の行った女子はぼくを見るなり驚いたように一歩さがった。


「あの、こんにちは、ヘレーラはいますか?」


「――男子がお嬢様に会いに! あぁ、大変だ! 御赤飯を準備しなくては!」


「いや、あの、用があって来たのですけど、今ヘレーラは御家にいますか?」


「あら、御用と言うのは――まさか! 駆け落ち! 許されざる恋にふたりは引き離されるけれど、男女の仲というのはそう簡単に引き離せるものでもないのですね! ああ、あの恋に疎いお嬢様も成長なされてばあやは嬉しゅうございます――」


 いやいや、どんな話の流れですか……というかキャラ濃いなこの侍女。


「あ」と、そこにヘレーラが登場すれば話の流れは遡る。


 種の保管――紅藍くれのあいの一族が始めた植物の種の保管。理想郷で取れた植物の種を現世界で保管するということをやっているらしい。その種が欲しくてぼくはヘレーラの御家に来ていたのだ。


「こんにちはヘレーラ、良質な種を買いたいのだけど、探してくれないかな?」


「おやおやヴィクターくん、もしかして現世界で農業を始めるつもりかな?」


「――しかし、いけませんよお嬢様! いくら色男でも駆け落ちなんてばあやは許しません!」


 話に割って入る侍女は真剣な面持ちだ。


「ばあや、ちょっとどこか行っててよ」


「なりません! ちゃんと結納を済ませて、三三九度を以って禊祓としなければ、先代の方々は結婚など認めませんからね! ばあやも認めません! いくらこの男子がお嬢様の好みでも見極めが必要です! この男子の作法を一から十まで見ないと駆け落ちなんてばあやは許しませんよ!」


 いや、駆け落ちにルールなんてあるのだろうか……それに駆け落ちを許す許さないってどういうことだ? 駆け落ちとは許されない恋だからこそ駆けるのではないのか? うむ、わからない、流石血啜人族クシナと言えるのだろう。


「ちょっとばあや、こっち来て」


「ダメですよお嬢様! 当主様が認めてもばあやは認めません!」


「ちょっと、ばあや静かにしてよ。他の人が集まってきちゃうじゃない」


「ばあやは認めません! お嬢様、しっかりした手順を踏んだうえで交際をしてください! それじゃないとばあやは心配です!」


「心配しなくていいから、はいこっちに来て」


「お嬢様ぁぁ…………」


 ヘレーラとばあやは御家の奥へと引っ込む。そして次にヘレーラだけがぼくの前へ現れた。あの侍女がいると話にならないから引っ込ませたのだろう。


「それで、農業をする気なの?」


「いいえ、家庭菜園ですよ。ある意味、植物を枯れさせる趣味です」


「はははっ……あなたも挑戦するんだね」


 あなたも? ということはアイリスの挑戦を知っているということか。いや、七道巫の女子たちはアイリスと友達だったのだから知っていて当然か。


「ヘレーラも挑戦を――」


「――ううん、やらない」


 とヘレーラは、ぼくが提案しようとした事を察したのか、速攻で且つ素っ気なく返してきた。なんか悲しくなるからもうちょっとオブラートに包んだ返し方をしてほしいな。


「それで、夏野菜の良質ならどんな品種でもいいの?」


「うん、君が選んだ物で頼むよ。それと、君も手伝いに来てくれたらアイリスは嬉しがるよ」


 ぼくの言葉にヘレーラは驚いたように口を開けた。


「そっか……やっぱりアイリスはまだ諦めてないんだね。わたしは諦めてしまった」


「ヘレーラはどうして諦めてしまったの?」


「うーん、わたしの一族って農業を伝えた一族なんだよ。その一族出身のわたしが何も役に立てないって思ったら、なんか自己嫌悪みたいな感じになっちゃって、挑戦するのも嫌になったの。名門の一族の底辺ってやつよ」


 だからアイリスから離れていったのか。アイリスの挑戦の邪魔になると感じて、そして自分が嫌いになって、落ちるところまで落ちてしまった。


「森に愛された一族、農業を伝えた一族、それがわたしの一族、紅藍くれのあいの一族なんだよ。その名門の御家出身なのに土を生き返らせることはできなかった――恥曝しだよ、復興の時代で何の役にも立てていない名前だけ大きい一族」


 ヘレーラはいつも明るい子なのに、この話をする時は暗かった。


 できなくとも仕方ない――それが許されない一族か。ヘレーラの周囲はどれだけの陰口で塗り固められているのだろうか……いつも明るい彼女がどれだけの仮面で自分を偽っているのだろうか。本当の彼女は明るいのだろうか? 暗いのだろうか?


 疑問は浮かぶ、彼女しか答えられない深淵のような疑問ばかりがぼくを取り巻いている。でもぼくはヘレーラに光を感じているんだ。


「君は諦めないでほしい。ヘレーラが諦めてしまったら森が悲しむ、森だけじゃなく先代の方々も悲しむよ。だから立ち直ろう。それが難しいことならぼくが支えになろう」


うん、なんか恥ずかしいことを口走っていないだろうか。いいや大丈夫、ぼくはレンカだ、いつも恥を曝しているじゃないか。


「うーん……じゃあ諦めない。あははっ」


 ほう、なんという可愛らしい笑顔をするのだ。そして何故ぼくは、その笑顔を懐かしく思うのだ。何故、その何度も笑わせた笑顔を取り戻さねばならぬとざわめくのだ。ぼくは頭がおかしいのか? いや、もとから頭はおかしい、ならば何故ぼくは――いや、もう考えるな。


「よかった。君がいないと物語は進まないんだ」


「なんか、昔もそう言って口説いて来なかった?」


 ぼくが口説く……女子を口説く? そのような冗談はあり得ないですぞ。


「そんなことは無かったと思いますが……口説かずして歴史は動きますまい」


「はははっ、やっぱり女垂らしだ」


 女垂らしなのか? そうか、ぼくは女垂らしなのか――いいや、あり得ないだろ。


「言っときますけど、ぼくは女子と手を繋いだこともありません。握手ならしたことありますけど」あと小指なら繋いだことがある。


「じゃあわたしと手を繋いでみる?」


 うむ、今はお断りしておこう。仕事だ仕事、今は仕事一筋だ。

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