童書之記
と考えながら、ぼくが水を飲みに行った時、
「隊長ってさ、《千夜一夜の物語》の本当の結末を知ってるんでしょ……」
休憩の合い間にルーナはそんなことを訊いてきた。
ルーナは誰からそんなことを聴いたのか? という疑問が浮かんだけれど、どうせ巫たちの間でぼくの語りが噂されたのだろう。
「うーん、どうだろうね。結末は分岐するからどれが本当の結末か分からないよ」
「じゃあ隊長は、数ある結末の中でどれが好きなの……」
「そうですねぇ……最後は空白で終わりますが、童書之記の結末は好きです」
もしも、結末は読者が決めるという展開ならば、読者のぼくはセカイを救う展開にするだろう。
「そっか、隊長もあのヒトと同じこと言うんだ。やっぱり似てる」
あのヒト? あのヒトとは誰のことだろう? 似てるってことは、親父殿のことだろうか? それとも御袋殿のことか?
「それで、ルーナはどうして千夜一夜の物語をぼくに訊いてきたの?」
「うーん……なんとなく」
なんとなくか。まぁ、本人がなんとなくと言うならなんとなくなのだろう。
「では一つ語ってあげましょう――<千夜一夜、童書之記。競争時代、開眼せし女子を救うはひとりの男子とふたりの女子。昼夜を越えては
「あはははっ…………」とお腹を抱えて笑ったルーナは、次に真剣な顔をして「わたしには妹がいるんだけどね、目が見えないの」
唐突だった。ルーナの身の上話はぼくにとって衝撃的だった。彼女の境遇はまるで千夜一夜の物語に出てくる主人公と同じだ。
「わたしって西國の枝ノ國出身だからさ、他人との協力よりも競争ばかり教え込まれた。復興の時代なのに競争して、勝ち取って、妹の目を治そうとして、そして結局何も変わらない。一番になったとしても、妹の目が治るわけでもない」
「妹さんは血の呪いに……」
「そう、血の呪い。わたしの家柄――アーリシェス家は年齢と共に少しずつ目が見えなくなる。わたしの母も祖母もそうだったように、二十五を過ぎれば完全に光を失う。そのはずなのに、二十歳のわたしは両目とも見えている……見えすぎるくらいに見えているの」
血の呪い――七道巫の御家と三相劃の御家が背負う逃げられない障害。
「見えすぎるってことは……」
「未来が見えるの」
これにはぼくでも驚いた。今までいろいろなヒトに会ってきたけれど、未来が見えるヒトに会ったのは初めてだ。そんなにぽんぽんと未来視できるヒトがいても困るけどね。
「まあ、最初は幸運だなって思っていたけど、不幸にも見える未来は誰か死ぬ未来ばかり。それで何度も未来視しているうちに、抗ってやろうと思ったんだけど、わたしの友達は与太話としてしか聞いてくれなかった。ひとりで未来に抗う、わたしを見た周囲は頭がおかしい奴って思ってたんだと思う。まっ、今となっては被害妄想も良いところよ」
「ぼくは信じますよ。血の呪いは必ず解いてみせます。ぼくの一族の誇りに懸けて」
こちらを見るルーナは困ったようにニコリと微笑んだ。
「あなたは明るいわね。あなたの語りも明るい」
明るい……いや違う、照らさなければならないという禁止だ。暗いことばかり起こる現世界では己に禁止を与えて、その禁止を守らなければならない。禁止に禁止を重ねて誇り高く生きてゆかねばならぬ。
「わたし隊長のする語りが好きになっちゃった。今度わたしの妹にも語ってあげてよ。空想時代の語りなんて聞いたらわたしの妹は喜ぶわ」
「あはは……ところどころ空白や騙りですけどね」
「それでも、誰かに読み聞かせるためにあるのよね?」
誰かに読み聞かせる。そういえば、ぼくは誰に読み聞かせたいんだ……。
読み聞かせると約束したはずなのに、誰に読み聞かせたかったのか思い出せない。
「ぼくは語り部ではありませんから、ルーナが読み聞かせてあげたらどう?」
「え……わたしが読み聞かせたら子供たちが逃げていくわよ」
「逃げないさ、だって君は千一夜の一族の血筋なんだから」
「血筋なんて関係ないでしょ。上手に語れるか語れないかの、それだけの違いでしょ」
そう、名門だろうが名門じゃなかろうが関係ない。
「関係ないけれど、はじめにルーナが語らなければ始まらないんだ」
酷いセカイを語ることになっても、旧劇も真劇もルーナ無しには語れないんだ。
「隊長はアイリスみたいなことを言うのね」
「え? 彼女のことを知っているの?」
「知ってるも何も、わたしはアイリスから逃げたから」
と、ルーナは水道水で顔を洗った。
「隊長もアイリスから逃げたんじゃないの?」
「ぼくは、アイリスの挑戦に乗りましたよ」
「嘘……隊長って結構馬鹿なのね」
「まぁ、脳筋です」
「そっか、わたしも脳筋になろうかしら」
「ルーナが来てくれればアイリスも喜ぶよ」
とぼくが言えば、ルーナは何も言わずニコリと花のように微笑んだ。
ぼくはまた集結させようと決めた――彼ら彼女らをアイリスの元へと。
<日>とは何なのか知るために。
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