第2話 彼女の家に居座る私

 千里はデイトレードでお金を稼ぐことを趣味にしていると言った。

 ナイショだよと、自分の口に指を当てて私に言った。

 学校にいる時も携帯でチェックして随時、売買をしていると言う。


 そしてその時に困っていることを打ち明けられた。

 学校終わってから友達に遊びに誘われる数時間の状況が掴めなくて歯がゆいと。

 彼女としてはデイトレードの1日の収支金額をせめてプラスマイナスゼロで終わらせたいというのが希望らしい。


 私はそこで千里に提案した。

 ―彼女の代わりに私が状況を伝えるというのはどうか?


 初めて会った日に家にきてと言った時と同様に、千里は平然と「それ、いいね」と私の案に同意した。


「タダでそれをやってもらうのは気が引けるから、儲けの10%をゆききに渡すでいいかな?」と千里は言ってきたが、私は断った。


「それはいらない。…その代わり、千里の部屋に居させてくれない?」

 私はお願いだけした。


 千里にしては珍しく、きょとんとしてから考えているようなそぶりを見せた。

 少しして「うん、全然問題ないよ」と答えてくれた。


 後で聞いた話であるが、千里の家は母子家庭でお母さんしかいない。

 お母さんは夜勤もある仕事でほとんど顔をあわせることがなく、家に誰がいようが気にしていないということだった。とはいえ、家に見知らぬ人が勝手に出入りするのはどうかと思ったので、千里にお願いして、一度だけ会った。


 初めて会った千里のお母さんはふんわりとした笑顔で話してくれた。

「千里が友達を家に連れてくるなんて…嬉しいことね、ほら、デイと、れーど?なんてずっとやってるから、友達いないのかと…」


 千里を見ると、とぼけた顔して窓際を見ている。

 そっか、家に友達連れてくることなんてなかったんだ…。

 学校での千里を思い出すとピンとこなかったが、この趣味があのグループの誰かに理解されるとは思えなかったので不思議に感じなかった。


「じゃあ、交渉成立だね!」

 千里は満面の笑みを浮かべた。


 それから私は学校が終わったら平日のほとんどを千里の家で過ごすことになった。

 お金の動きがあれば千里にすぐ連絡する、ただそれだけ。

 千里の部屋で千里が帰ってくるまでノートパソコンにかじりつく。


 そして千里が帰宅したら、その横で漫画を読んだり、ゲームしたりしながら時間を潰し、0時すぎに自宅に帰るか、そのまま千里の家に泊まるかを繰り返した。


「千里はなんでデイトレード始めたの?」

 私は隣でノートパソコンを真剣に見ている千里に聞いた。

 千里は私の方を見て、少し困った顔して私に説明してくれた。

「えっと…そうだね、大学の費用を自分で稼ぎたいのと…という真面目な話の他に…お金は裏切らないから、かな」


 そして千里は逆に私のことを聞いてきた。

「じゃあ、そろそろゆききの家に帰りたくない理由も教えてよ」


 私は困って、どう言おうかと考え込んだ。


 父親の酒癖の悪さから始まる家庭内のDVがひどい。

 母親も逃げ回っていて家にはほとんどいない。

 家庭は崩壊してる、…なんて言えるわけがない。


 今は私もほとんど顔を合わないように過ごしているから何か大きなことがあるわけじゃない。そうだ、そうそう、シンプルかつ単純に言えばいいんだな…と唾を一回飲み込み、息を整えた。


「あのね、うちの両親、夫婦喧嘩が毎日ひどいの…家にいたら、巻き込まれてケガしそうだから」


 大したことではないように、努めて冷静に私は言った。

 千里はへぇと相槌を打ち、メガネをかけなおした。


「そういうことだったんだ。私も助かるし、うちはいくら居てもかまわないからね」


 毎日、家に帰ることが苦痛だったから、その言葉で私がどれほど安堵したことか、千里は知らないんだろうな、と思う。


***

 そんな風に日々を過ごしていく中である日、千里がだいぶ遅く帰ってきた日があった。


「どうしたの?」

 私はベッドに寝ころびながら、声をかけた。

 千里は何も答えずに、私の上に乗っかる形で抱きついた。


「ねぇ…ゆききはずっといるよね」

 珍しく元気がない。


「まぁ、帰る場所がアレだしね…」

 千里の心配そうな声に対して、ずっと数字、折れ線チャートといったものが表示される画面とにらめっこしすぎた私は冷静に答えてしまったが、そんな私の様子に千里は小さく笑った。


「そうだね…そうだったね……ねぇ、ゆきき、好きだよ」

 そう言って、千里は私の顔に自分の顔を近づけてキスをした。


「ここにずっといていいから」


 真剣な千里の告白に、私は名前を『ゆきき』と呼ばれた日を思い出した。

 この笑顔の横はきっと暖かくて心地が良いだろうなと思ったこと。

 現実になったこの瞬間いま、私の心臓がぎゅっとして熱を帯びたのがわかった。


 あぁ、私、心臓が動いてる、生きている。


 今まで息はしていたが、どこにいても自分という存在が形作られない存在のようだった。それが千里によって、私という生き物の生を与えられたかのように感じた。


「うん、私も千里が好き…」

 自然とそう答えて、そのまま千里に抱きついた。

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