第5話 歌詠みの桜
あの、不思議な桜との夜から数日たったある日、ユウタが妖鬼神社にやってきた。
「なぁ、神宮司。西行法師の事なんだけどさ。ちょっと、うちの韋駄天たちに調べてもらったんだ。
どうやら、西行法師は河内の弘川寺で亡くなったらしいんだけど、その辞世の句が、
「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃」
なんだって。これって、サクラのもとに帰りたかったんじゃないのかな。」
ユウタはどうやらサクラのことが気がかりで色々調べたりしていたらしい。
「そうだね、世間一般の解釈はちょっと違うんだろうけど、サクラさんの話を聞いている僕らとしては、そういう解釈もできなくもないよね。」
神宮司も西行法師の事を色々調べていた。
そこへ、狗神のショウも加わって、
「親父さんに聞いたんだが、西行法師は人の世の儚さとサクラの永遠の命に思い悩んでいたらしい。」
「でさ、思ったんだけど、西行法師が生きていた時代は、まだ吉野が一つで、表の吉野しかなかったわけでしょ?この裏吉野はもっと後の時代、それこそ松尾芭蕉が訪れた時代より後にできてるわけで。ってことは、もしかしたら西行法師は表の吉野でサクラさんを探してるんじゃないのかな?」
「ジン!それ、思いつかなかった!!そうだよ、表の吉野にいるのかもしれないよ。」
「そうだな、確かにそれは思いつかなかった。行ってみる価値はありそうだ。」
三人は早速、表吉野に向かう用意をすることにした。
裏吉野から表吉野に向かうには一度結界を抜けなければならない。
妖たちと人間を棲み分けするためだ。
結界は銀峯山寺にあるので、そこから表吉野に向かった。
表吉野は裏吉野とほぼ同じような街並みになっている。
もちろん西行庵も、一番奥の山の頂付近にあり、三人はそこへ向かった。
月明かりが美しく、その月明かりに照らされて西行庵がぼんやりと浮かび上がって見える。
果たして、西行庵には一人の僧侶がぽつんと座っていた。
「西行法師様ですね。」
その僧侶がおもむろに目を開け、一行を眺めた。
「あなた方は…?」
「あなたを探しておりました。あなたを待ちわびておられる桜の精の代わりにお迎えに上がったのです。」
ショウが西行に言った。
「サクラ…。私はサクラに合わす顔がございますまい。現にサクラは今もうここにはおりません。それに、長い寿命を生きておるサクラと私ではつり合いが取れません。サクラと共に過ごした時間、私は自分がちっぽけだと常に思っておりました。
サクラのように毎年美しい花を咲かせ、夏には身をつける。私は何も残せません。そんな自分が悲しかった。だから、サクラのもとに戻れなかったのです。
命尽きた今でも、なかなかサクラにある覚悟ができずに、やっとここに戻りましたが、サクラはもういなかった。」
西行は遠い目をしながらそう言った。
「西行様。それは違います。あなたは、数多くの歌を残されました。その歌は、800年の歳月を経た今でも、人々に愛され詠まれております。サクラ様のようにあなた様も長い間人々の心に、吉野の花を咲かせてくださっておるのですよ。
サクラ様はずっとあなた様を待っておられます。今は、ここ表吉野ではなく、裏吉野でいらっしゃいます。私たちと一緒に、裏吉野にお越しください。サクラ様のところへご案内します。」
神宮司が西行に有無を言わさない口調でそう言った。
「西行様、今の時代では妖や神などの人類の理解の及ばないような者は恐れられてしまい、排除されてしまいます。人の暮らしも妖の暮らしも守るために、裏吉野を作ったのです。サクラ様はそちらにおられるのです。」
ユウタが、重ねて西行を説得していく。
「私は、サクラに会う資格があるのでしょうか。」
まだ、西行は迷っているようだったが、
「西行様はサクラ様にお会いになりたくないのでございますか。お会いになりたいからここにとどまっておられるのでしょう。何を迷うことがございますか。」
そう、ショウが言うと、西行法師はすうっと立ち上がり、
「お手数をおかけします。ご案内をお願いします。」
と、頭を下げた。
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