森達也『虐殺のスイッチ』と「ぼく」が壊れてしまう瞬間
森達也『虐殺のスイッチ』を読む。いつも書いていることなのだけれど、ぼくは発達障害という障害を抱えている。そして、そのせいもあっていじめに遭ったりした。男女問わず「ばい菌が伝染るから近寄るな」と言われたり、後輩にあからさまに「帰れ」「死ね」と言われたり、後ろから意味もなく蹴られたり、などなど。こういう話をすると「つらかったんですね」という話になる。いや、それはそれでもちろんいいのだけど……でもどこかで「ああ、ぼくが『正義』になってしまってはまずいなあ」とも思う自分がいることも確かなのだ。よくいじめは「いじめられる側にも原因がある」という話になり、もちろん過去にいじめに遭って心を壊されたり死ぬ目に遭ったりした自分としてはそういう言い草は「盗っ人猛々しい」「おれの人生を返せ」とも感じるのだけれど、でもどこかそうした「加害者の言い分」を聞く態度を持つ心がけがないことには新たな集団ヒステリーが始まらないとも限らないなと思ってしまうのだった(ああ、だからいじめられたんだろうなあ……なんちゃって)。
森達也の書いたものは『U』と『虚実亭日乗』くらいしか読んだことがないのだけれど、どこかぼくはこの人を誤解していたのかなとこの本を読んで思った。侮れない人である反面、スキがあって親しみを持てる。宮台真司言うところの「脱社会的」という匂いを感じるのだ。ぼく自身もまぎれもなく所属してあくせく働いて税を納めて生きているこの社会を「脱」な視点、つまり「メタ」な視点から捉えられているというか。だからこそあれほどまでにオウムがバッシングされていた時期に『A』(これは観たことがある)という「脱社会的」な映画を作ることができたのだろう。その素質は『虐殺のスイッチ』でも遺憾なく発揮されており、多少難しいところあれど確かなぬくもりある文体に惹かれて読み進めれば、ぼくたちも深遠な謎を問い詰めることができる。なぜキリング・フィールドやアウシュヴィッツは実現してしまったのか、という根源的な問いだ。
いや、こうした倫理的な問いはこれまでも数多く問われてきた(だから陳腐だ、とは言わない。こうした問いにぶつかる資質こそ天才的だともぼくは信じる)。でも森の慧眼はその問いを「クジラやイルカを捕ること・殺すことは倫理的か」といった幼稚といえば幼稚な、でもきわめて根源的でアクチュアルな問いにつなげるところだ。だけど彼は同時に、そんな問いを観念論あるいは机上の空論としては提示しない。言い換えれば、頭でっかちな人間ではありえない。彼の空気の読めなさ(俗に言う「KY」体質)はそのまま彼の皮膚感覚・身体感覚と密接につながり、ユーモアをにじませる文章にもにじみ出ている。大げさな表現を使えば「肉体派」というか「ベビーフェイスな武闘派」とも言えるのかもしれない。ぼく自身、自分自身の中に確実にある「いじめっ子体質」「弱っちい自己(それは集団ヒステリーによってたやすく『流され』『洗脳され』うる)」を自覚させられる。これは侮れない仕事だと唸る。
そこから何を導き出すべきなのか。そこで森の筆は少し止まっているようにも見える。森は結局ノンフィクションのドキュメンタリー映画の撮影者にしてこうした書き手として自己を成長させたが、誰もがそんなふうに「KY」でいられるとも限らない。だが、ここから先はそれこそ読者が自分自身の頭と肉体を駆使して考え抜くべきことなのだろう、とも受け取れる。ぼくもそのようにしてこれからを考えたい。逆説めくが、ぼくはこの本から2つの大事なことを教わったように思う。それは、1つは「人は人を殺せない」という希望。実地で相手の肉体に銃剣を刺すことをためらう人は確実にいたし、オウム真理教の信者にしてもぼくたちの基準をそのまま応用できる「優しさ」があるのだ。そしてもう1つは、そのような希望を裏切るようにして確実にある歴史的事実――つまり、「人は人を殺す」という絶望だ。この希望と絶望が渾然一体となった現実をどう見つめ、どう生き延びるか。そのための好個なテクストとして、ぼくは森のこの本を推したい。
たそがれ時のみゆき通り 踊る猫 @throbbingdiscocat
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