R・D・レイン『好き? 好き? 大好き?』と全肯定の病

R・D・レイン『好き? 好き? 大好き?』を読み、あらためてぼくは「言葉って何だろう」という問いにぶつかってしまった。言い換えれば「言葉はどんな役割を果たしているんだろう」という問いだ。常識的に考えればそれは「意志を伝達するため」と言えるだろう。もしくは「認識したものをよりわかりやすく、理知的に分析して表現するため」とも言えるかもしれない。何にせよ、見えてくるのは「言葉にすれば伝えたいものは明確化され、相手にも通じうるものになる」というアイデアだ。でも、そうして考えていくと「言葉が万能だ」という幻想に至るのではないかと心配してしまう。それはリアルだろうか。人にもよるのだろうけれど、ぼくは言葉とはむしろ無力なものではないかとさえ思う。ぼく自身(発達障害という事実もあって)自分がこうして書く言葉がいかに「伝わっていない」かを思い知り、絶望することもある。だが同時に「(十全に)伝わっている」「全肯定される」ことを夢見ることがリアルじゃないこともわかるつもりなのでややこしいのだ。誤解や曲解をはらむカオスな世界こそ、ぼくが生きるべき場所……そんな原理原則を思い出す。


『好き? 好き? 大好き?』に収められているのは、精神科医であるレインが書いた実にチャーミングなモノローグやダイアローグ、そして詩だ。ちょうど最果タヒの作品を読むような感じでカジュアルに(そして、もちろん最果の作品に匹敵する「刺さる」強度を感じられる作品としても)ぼくたちはレインの言葉を手軽に読むことができる。今回ぼくは読み返してみて、ここに書かれているのがまったく一筋縄ではいかない「ミスコミュニケーション」の問題であるとあらためて思った。たとえば表題作では、相手の愛情を確かめようとする男女が執拗なダイアローグを交わす。「好き?」「大好き?」と。だが、このダイアローグは不毛ではないだろうか。というのは、相手がどう答えたらこのダイアローグが終わり相手がほんとうに「大好き」なのかがわからないからだ。疑おうと思えばいくらでも相手の言葉を疑うことは可能だ。そして、疑ってしまう心がある限りこの問答は続きうる(おそらくは、永遠に?)。


当たり前のことを言うと、言葉とはぼくが発明したものではない。誰かによって承認され、了解されてこそ言葉はこの世界に位置を占めることが可能となる。つまり、言葉は他人との間で共有(シェア)可能な社会性を帯びていないといけない。そして、それはぼくたちの人格・性格についても言えることだろう。つとめて平たく言えば、ぼくたちは他者の了解・承認抜きにはどうしたって自分自身を成り立たせることができない。まったくもって孤独に、どんな人間からの了解・承認をも拒絶・無視するかたちで生きることはできっこない。だが、その他者は必ずしもこのぼくやあなたをまったくもって無条件に是認してくれるとは限らない。仮に是認してくれたとしても、ぼくたちの中に何らかの疑念・猜疑心が芽生えたとしたらその時点でぼくたちは「相思相愛」「完全な合一」「全肯定」を諦めなければならなくなる。だが、簡単に諦められるほどぼくたちは強い生き物ではないだろう。だからこそ生きることの苦しみが芽生えてくる。ぼくは『好き? 好き? 大好き?』の中にこのアポリアを見出す。


レインが描写する、「好き? 好き? 大好き?」と問い続ける女性の風景はいまは姿を変えてXやFacebookなどでの他愛のないコミュニケーションの風景と重ね合わせることができるのではないか。凡庸な整理になるのだけれど、ぼくならぼくはこうして「好き? 好き? 大好き?」と書きつけることで相手のリアクションを手軽にもらうことができる。そのリアクションがしかし、ぼくの認知をリフレッシュさせる方向に向かうのではなくむしろぼくの心を閉ざす方向、難しく言えばぼくが持つ病理を「こじらせる」方向に向かっているとしたら。「好き? 好き? 大好き?」と問うことが、「好きだよ」「嫌いだ」とどう言われようがその個人の内観をますます閉ざし内的世界を狂わせ、より外の言葉をフラット/プレーンに受け容れられない方向へと病ませていく。そんな「闇/病み」が自分の中にないだろうか、と問いながらレインを読むのは有意義なことではないかとぼくは思う。

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