三木那由他『言葉の展望台』とぼくたちの時代の考えるヒント

三木那由他『言葉の展望台』を再読する。ぼくは実は発達障害という障害を抱えていて、その障害の特性の1つとして「言葉の裏(綾)を読めない」「冗談や皮肉が理解できない」というのがある。言葉とは必ずしも1つのことがらだけを意味するものではなく、時には発話者がそこに「言外の意味」を汲み取らせようとする意図だってありうる。たとえば会議で相手が「この部屋寒いですね」と話したならそこには「私は寒い思いをしている」という意味があり、そこから「エアコンをつけてもらえないか。あるいはあたたかい飲み物をいただけないだろうか」といったことを匂わせている(場合もある)ということだ。だが、その「匂わせている」ことを嗅ぎ取る能力が発達障害者はきわめて低い。だから相手から「なんてニブい人」と思われて評価が著しく下がる、なんてこともしょっちゅうなのだ。どうしたらいいのか、ぼくにはわからない。この障害を治すべきなのだろうか? (と書くが、こんなことを書いたからといって「キレた」と受け取らないでほしい。ただたんに素朴な疑問を書いただけである。ええ、キレてないっすよ)。


三木那由他の本を読むと、まず何よりもこの人はそんなぼくと「同族」だなと思ってしまう。上野俊哉の言葉を使えば、信頼できる「トライブ(種族)」に一緒にいる人と思ってしまうのだ。というのは、三木がこうした言葉の持つ多義性(つまり1つの言葉がさまざまな意味を帯びてしまうということ)にきわめて敏感だからだ。ある言葉をぼくが語る。何でもいい。たとえばそれこそ「この部屋寒いですね」にしよう。それは単にぼくからすれば事実を表明した言葉である。だが、その言葉は相手にとってさまざまな意味を見出しうるものであるはずだ。たとえばそのぼくの言葉から「気が利かねえヤツだな、エアコンぐらいつけとけバカヤロー(寺島進の声で読んで下さい)」とぼくが遠回しに言わんとしていると受け取る人もいるだろう。仮にそうなら「ごめんなさい。いまエアコンつけますね」とその人は反応する。が、それを聞いてぼくなら「あ、ごめんなさい。そんなつもりなかったんですけど」と言うかもしれない。ぼくは部屋が寒かったことを言いたかっただけだからだ。が、何はともあれ人はエアコンをつけるという予想を裏切る行動に出る。そうしてコミュニケーションは始まる(この場合のコミュニケーションにはこうした行動の応酬も含まれる。何なら「折衝」とさえ言えるかもしれない)。


三木は『言葉の展望台』『会話を哲学する』『言葉の風景、哲学のレンズ』といった本でこうした「言葉が(特に『予想外に』『予期せぬ形で』)人を動かしうること」を手を変え品を変え、探究に探究を重ねている印象を受ける。それはまず何よりも――氏は立腹されるかとも思うが、それでもあえて「ざっくり」言えば――氏の持つ繊細さからだろう。十二分に繊細で、その芯にねばり強い思考能力を保持しておられるその二枚腰の姿勢がこうした言葉の持つ政治性と世界のはらむカオティックで驚異的/脅威的な位相へと氏を惹きつけているのだとぼくは思う。言葉はどうしたって、上に書いた事例のように人を動かさざるをえない。そして、動かす言葉にしたがって/ノセられてぼくたちが動くと事態は予期せぬ展開を見せる。いやこれは「あたりまえ」のことだ、といえばそれまでだ。だが、そこはさすが哲学者だけあって三木は日常のさまざまな事例から鋭くこうしたカオスの位相を見出し整理していく。その柔軟な思考能力にあらためて舌を巻く。


そして、三木のこの本を読むと対話が実にスリリングなものに捉え直せるから不思議だ。それは同時に、希望が湧いてくるということでもある。どのようにしたって言葉は伝わることはない、万全に自分の意図がクリアに伝わるなんて幻想だ……という現実が一方にはある。人が自分と違う来歴とそこから育まれた人格を持つ存在であり「一個の宇宙」(中井久夫)である限り、むしろ自分の意図がコピペのようにまるっと伝わるなんてことを夢見る方が失礼なのだ。だが、三木の引く事例や三木が経験した出来事をぼくたちもトレースすることによってぼくたちはあらためてコミュニケーションの不思議や魔性の魅力について学べる。その不思議さとマジックは、ぼくたちも先の見えない世界や未来に向けて自分自身を差し出したい、いろいろ試してみたいと思わせるに充分なものではないかと思う。三木の哲学的なセンスが十全に発揮されたこのワンダフルな日常エッセイをあなたにも薦めたい。そう、日常の中にこそこうした深遠な思索の種は潜んでいる。

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