保阪正康『Nの廻廊 ある友をめぐるきれぎれの回想』とちっぽけな友情の形

保阪正康『Nの廻廊 ある友をめぐるきれぎれの回想』を読んだ。実を言うとこの著者にはあまりいい印象を持っていなかった。ぼく自身は実を言うと過去にひどく左翼思想にハマった時期があり、その流れからいまでも宮台真司の思想を追いかけて、「ぼちぼちと」ではあるけれど読んだりしている。保阪正康と言えばその意味で『正論』『諸君!』的な書き手、つまり保守派の書き手だと頭から決めてかかってしまったのだった(いや、もう48だというのにこの浅はかさは我ながら「不明を恥じる」としか言いようがない)。でも、ふと「このタイトルの『N』とはどういう意味なんだろう」と思ったことから関心が湧いて手に取り、読み始めて「面白い」と思ってそのまま読み込む決意を固めたのだった。ざっくり言えば「N」とはとある戦後を代表する思想家/知識人のイニシャルなのだけれど、本書で時に「すすむさん」「Nさん」と語られるこの名前は最後まで明かされない。ならば、ここでそれが誰なのかぼくなりの推測をほどこして書き記すのも無粋というもの。控えることにしよう。


先走ってしまった。保阪正康とこの「N」とは十代の頃に知り合い、その後も「N」が刊行した『発言者』などの雑誌に保阪が寄稿するという形で公私にわたってつき合いが深められたと書いている。だが、そこから見えるのは「ぬるい」つき合い・向き合い方ではなかったとぼくは見た。ここから見えるのは「N」の見せる知性に素直に瞠目しそれに畏敬の念を示すと同時に、彼の人間臭い怒りが時に爆発する(その時の「N」は吃音癖にもかかわらず「アウトロー」さながらであったと記される)瞬間を見逃さない。刎頸の交わり、という言葉を思い出す。そしてその筆致は確かに、「N」に対して失礼な質問をする人間の無礼さ(「N」が指導者的な役割を果たした全共闘の責任問題をズケズケと切り出すなど)をもあぶり出し、そこから「N」の深い知性が内省を彼自身に強いていただろう人間的な深遠さをも浮き彫りにするのだった。


そうした人間的な交わりが主となっているこの「N」と保阪の交流録は、とてもおもしろい。読みながら「なぜ保阪は『N』の名前を隠すのだろう」と思ってしまったりもしたのだけれど、読み終えたあとぼくなりの仮説を記すならたぶんこれは「N」を語る時にどうしたって外せない「自死」という彼自身の生の閉じ方、あるいは「N」が『朝生』で活躍した知識人だったというパブリックイメージ(つまり「俗情」)をカッコに入れて読んでもらいたいというそうした意図があったのではないだろうか? 保阪が読んでもらいたいのは「保守派」「イデオローグ」として活躍した「N」ではなく、あくまで一個人として苦悩したりチェスタトン仕込のユーモアを交えて世を楽しんだりするフランクな(あえてこんな失礼な言い草を選ぶと「ちっぽけな」)「N」の姿なのだろうと思ったのだった。そしてそれは確かに伝わってきて、ぼくもこの「N」を(そしてもちろん保阪正康という書き手も)ナメていたと汗顔の至りを感じてしまった。


実を言うと……ぼくはいまもって「N」が誰なのかわからない。でも、ぼくの読みが確かならばぼくは「N」にもいい印象を持っていなかったのである。東大出の知識人でありエリーティズムの象徴であり、そこから大衆を見下ろす醒めた目を持っている人間だ……と、いかにもな「俗情」に洗脳されていたからだ。これもまた実に恥ずかしい。宮台真司に染まりきった時期があったので、宮台の著書の中で実に批判的に(というか、もう「終わった人」扱いで)言及する「N」のことをそれこそ「なら、もう読まなくてもいいわけだ」と片付けてしまったところもあったことを認め、これもまた「我が不明を恥じる」。最近になって中島岳志が語る「リベラル保守」の思想にぼく自身興味を持ち始めていて、そこから「N」がほんとうはどういうアティチュードであの時代を生き抜いて戦ったのか「これから」読んでいければと思っている。いや、これも実は「ぼちぼちと」読むとしか言えないのが情けないのだけれど。

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