早尾貴紀『希望のディアスポラ』と内なる多文化共生

読み進めて、そしてあらためて考えた、「ぼくにとって」たとえば、いままさに住んでいる「日本」という国家とは何だろう、と。この問いは極めて大真面目に書いている。実を言うと、ぼくは海外の地でアイデンティティ・クライシスを味わったこともなく、ましてや自分の住む地を奪われてさまよった経験もない。ぼくにとってずっと「日本」という国は「母国」であり、その土地で話されている「日本語」は(いかに世界的な趨勢がグローバル化に傾き「日本語が亡びるとき」が来るかもしれないという状況が訪れていると言っても)ぼくにとってなじみ深い言葉であり続けたのである。ゆえに、ぼくにとって「日本」は「好き・嫌い」という言葉では表象・形容しえない不思議な「なつかしさ」「親しさ」を孕んだ「ふるさと」であり続けている。ならば、世界中に離散して暮らしている人びと(ひらたく言えば「移民・難民」)について論じられたこの『希望のディアスポラ』をぼくはどう読めばいいのだろう。


早尾貴紀は熱い筆致で日本という国の現状分析を施していく。そこから見えるのは、たとえば日本が確実に衰退・退廃していく現実だ。どのように事実を糊塗しようと少子高齢化社会の到来は避けられず、したがってかつて実現されていたような右肩上がりの経済成長・発展も絶対に見込めない。だが、皮肉にもそうしたマイナス/ネガティブな事象が見えてくればくるほどある種の「反動」からくる「美しい国」という耽美な日本主義が懐古してくる……というのが早尾の整理だ。ふむふむとうなずいたり、「そうかな?」と思ったりしながら引き込まれて読んでしまった。うなずいたというのは、特に珍奇・斬新な議論ではないかもしれないとはいえ日本の現状をクールかつドライに見据える視点が保たれているところ。「そうかな?」と思ったというのは、早尾の筆致が時に過度に熱く走りすぎるところが見られるところだ。そうしたクールな分析を熱い口調で行っているというある種の「いびつさ」が、そのまま早尾氏の誠実さと危うさの証でもあると思いながら読んだ。


そしてこの本の議論をどこかに「つなぐ」こと、そしてそれこそ「希望」をつむぐことはできないかとも思ったのである。これからの日本はまず間違いなく「移民・難民」問題を(「受け容れる/受け容れない」の間で世論としては大きく揺れながら)リアルな問題として抱え込まざるをえない。だが、ここから直ちに「だから『移民・難民』を『歓待』すべきだ」と語るのもナイーブで危険すぎる。「移民・難民」が増えて日本の国内にさまざまな外国語があふれ、海外の文化が(それがこれまで馴染んできたステレオタイプな「欧米」一辺倒の文化のみならず、また無害化された「エスニック」な文化でもなく真に生々しい「異物」として)入ってきて精神的な「衝突」「コンフリクト」を起こすだろう状況をどう生きるべきか。そう考えていくと、本書が決して口当たり良く甘ったるく「国際化」「多文化共生」を訴えただけに留まらない、辛口淡麗な1冊であることがうかがえる。昨今のガザをめぐる情勢を考える上でも実に有益な視点をも提供してくれる。


これはぼくが勝手に頭の中で抱いた感想であり他人に強制するつもりもない、と念を押した上で書くのだけれど……過去の日本の「はじまり」に復古し、そこから(ありえない)日本文化の「純血性」を夢みるのが危険であることは論を俟たない。それはそれこそ早尾氏が紹介・依拠するポストコロニアリズム研究や、過去話題となったカルチュラル・スタディーズが教えるところでもある。だが、そこから直ちに現実を無視した「棄国」「棄民」(つまり「日本をいっそのこと捨ててしまう」という荒業)を皆が選べるわけもないのも明白だ。大事なのは、日本にいながら「日本人であること」を疑い続ける姿勢ではないかと思う。「日本に住んでいるから日本人なのだ」という同語反復的な論理から一歩抜け出て、しかし「日本的なものは押しなべてカッコ悪い」という「反動」にも至らない「自分の内部での『多文化共生』」を目指すこと……と書いていて、いや違うかなとも思ってしまった。そうした「内なる多文化共生」はみなとっくの昔に成し遂げていて、だからこそこの時期になるとハロウィンやボジョレー・ヌーボーで盛り上がったりするのかな、と……。

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