第10話 覚世


『お前あんなのがタイプなのか?』


「だから違いますって」


『ロリコンってやつか?』


「僕の声聞こえてます?」


 ミューレとトウキが駄弁る姿はちょっとし学生の会話だった。まるでよくある男子高校生の会話。

 しかし実際はミューレは誰にも見えないのでトウキはただひたすら 1人ごとを口ずさむ変人である。

 さっきの少女に奇異な目を向けられたのは当然だろう。だがそれはミューレが話しかけてきたからであってトウキが悪いわけじゃない。

 無視すると後々面倒になりそうなことが目に見える状況下、ミューレに対して返事をしなきゃいけないのは必然だ。だからどうしても変人に見られてしまう。


『まぁそれは置いといて。ここの本を読み進めるぞ』


 ミューレがトントンっと叩くのは2メートルほどある本棚の一つだ。

 少年はミューレに目を向けると彼女は好奇心が抑え切れる様子だった。


「世界史ですか。かなりの数ありますけど」


 世界史の本は本棚1つが完全に埋まっており尚、右隣の棚にも続いている。

 フレア王国を中心とする隣国と遠方国の文化圏。民族、食、技術、それらを押し留めた結果がこれだ。数えきれない数になるのも頷ける。


『そこは厳選するほかあるまい。ワーレが知りたいのは直近100年の事象だ。なに、100年なんて紙にまとめればすぐだ。あまり数はいたらんだろう。取り敢えず…これと、これと、これと、これと、これと、これとこれとーーー』


「え? あの、厳選……」


 ミューレが選んだのは一冊二冊ではなかった。それこそ腕には乗らないほどの教材の山々だ。

 トウキは厳選とは何だったのかと耳を疑う行為に慌ててミューレを鎮めた。


「ちょ、ま、待ってください。学習室で読みましょう! これ以上持ちきれないので」


『ん? そうだな』


 ミューレはつい舞い上がってしまったと反省の色を見せる。

 100年と言えど歴史にすればそう多くはない。文字で一行で語られるそれらが実際では何年もかけてのことであることも当たり前だ。

 よってそこまで数にして多くはないはずなのだがーー。



             △▼△▼△▼△



『これくらいか』


「……」


『ーー? どうした? 何かあったか?』


「い、いや…何かあったと言いますか…現在進行形で何かあっていると言いますか。あの、はっきりいます。こんなに読めません!!」


 学習室への入室許可をもらった後その室内で嘆く者が1人。

 原因は勿論眼前に積まれた山積みの叡智だ。恐らく関係のない本も混じっている。

 100年なんて人1人と半人分程度の寿命なのだ。いくら歴史が大きく動いたとは言えこれほどの本の山が形成されることはないはず。

 だが眼前の本数を数えてみるとその数脅威の20冊。

 更に全てが辞書のような分厚い教科書だ。


 こうやってみると当たり前だが問題が一つ浮上する。


「いや無理。これは弱音じゃないです! 無理です不可能です! せめて2冊にしましょう。10分の1にしましょう! まだ早まる時じゃないですよ」


『殴るぞ』


「なんで!?」


 トウキはその時初めて思った。仕える師匠を間違えたと。

 そもそも一冊読むことさえままならない辞書を20などと。

 たとえ脳と目が10個あっても足りない。時間がないというのもあるし読むこと自体が辛いというのもあった。

 これだけ読めば考古学者にだってなれるのではないだろうか。


 もういっそ逃げてしまおうか。ついそう考えてしまう。

 しかしーー、


『まぁそう慌てるな。ここで私が裏技を教えてやる』


 ミューレはにっこりと笑いながらそう言った。太陽とまではいかないが太陽に魅入られた月の様な綺麗な笑みだ。

 その笑顔はミューレに似合ってはいるがしかし裏の顔を含めると嫌な予感がしてしまう。


「裏技、ですか?」


『うむ、まずは1冊目の本を開いてみろ』


「1冊目?」


 トウキはひとまず椅子に座り落ち着いてから本を開いた。

 表紙にはフレア王国建紀と書かれており、かどの少し下のそで部分を摘むとゆっくり本を開いていく。

 内容はこの国の歴史の内容とのことで、トウキもとわかることを口に出し始めた。


「フレア王国の歴史……。これ裏技も何もない気がしますけど。裏技って何ですか?」


 裏技という言葉にトウキは耳を傾ける。

 やれることは少ないはずだ。

 多分速読のためのコツとか単純に読む場所を絞るとかその程度のことしかできない。

 それでも時短はできる。

 絞り込みは量からして必須だ。

 この100年での事象のみ理解できればそれで十分なのだから無闇矢鱈むやみやたらに不要な本は捨て置けば十分な知識は得られるだろう。


『そうだな。まずお前がこの本を全て読み切るとしてどのくらいかかる?』


「500ページ以上ありますし多分、1日くらいかな」


『ワーレなら20分も掛からない』


 20分。これを見開き1ページに加算すると大体5秒。2ページ分を5秒だ。1ページにすると2.5秒になる。


「え、本当ですか!? あっ、え、そ、そういうことですか? …あ、あの……し、師匠。言いにくいですけど、弟子である僕に胸を張りたいという気持ちは理解できます。でもいくら何でもできないことを吐くのはダメですよ。できないことはできませんってちゃんと言わないと苦労します。誰だってできることとできないことはありますから。僕みたいに弱音を吐いてもいいんですよ。大丈夫です! 一緒に読み進めましょう! 時間は掛かりいますけど、僕もちゃんと読み進めますから」


 最初こそ驚いたがすぐに気づいた。

 これは嘘なんだと。

 いくら速読を極めようと数秒で1ページを読み終わることなど不可能だ。

 数秒でできることは一行読めるか読めないかという刹那の時間と捉えていい。そんな一瞬で読めるというのは最早意地の領域だ。

 

 きっと、ミューレは無理をしている。

 なら慈悲の目で見ないといけない。

 そう思ってトウキは同情とは違う、子供を見る目で彼女を見た。

 それをよしとする彼女ではないかもしれないが。


 ミューレは胸に秘める怒りを激情にして意味もなく思いっきり机を掌で叩きつける。


『な、な、何が大丈夫ですだその目をやめろ!!!! ワーレは別に意地を張っているわけではない……っ!! それに僕みたいの弱音を吐いてもいいんですよだと!? お前はダメだろ! 契約上普通にダメだろ!』


「へ? あ、あ〜はは…確かに」


 言われて気づくトウキの原則。

 彼はミューレとの契約で弱音を吐かないと決め込んだ。であればミューレは兎も角彼がそれを吐くことは許されない行為だ。

 その様子をミューレが一見して少し気が緩んでいるのではと、


『確かにじゃない! 師匠への敬意がまるで足りてないな』


「敬ってます信じて下さい! …それにもし師匠がそれをできるとしても、多分ダメなんですよ」


『あぁ? ダメ?』


 少し低い声でトウキは言った。それはもとより話すべきことだった事項だ。

 ミューレがそれがいくら出来る側の人だとしても実はここではあることが禁止されている。勿論変なものを持ち入ることじゃない。

 この図書館、特に書庫においての特殊事項の1つにこの様なものがあるのだ。


 即ち、


「実はこの図書館魔力がーー」


『ーー使えない、だろ?』


 トウキが話す次の言葉をミューレが代わりに言った。

 まさか先に言われると思わなかったトウキな眉をあげて俯いた顔を上へあげる。

 この図書館には結界自体は貼られている。そして大図書館はそれとは別の結界も貼られている。どちらも勿論魔力は使えなくなる効果はある。

 だが書庫はそれだけじゃない。隠蔽、物理半減、修復、制限、天翔。他にも様々な付与がなされた結界だ。

 その中で隠蔽がかけられた結界は自分で気ずくことはもとより困難。もし結界の能力について肌でわかるものがいれば相当な実力者だろう。


 だからこそトウキは目を向いて驚いた。


「…何で…」


『この書庫全体に魔力結界が貼られていることくらい見ればわかる。これほど広範囲で、しかもかなりの精度だしな。緻密すぎて逆に分かりやすい。貼ったのは恐らくこの学校の創設者か、又は十傑か』


「そうです。ここに貼られている結界は十傑のリリア・シュレイラ様が張ったとされるものです」


『だろうな。まさかこんなことにすら気づけぬ鈍間だと思われていたとは……これからお前にはしっかりワーレの凄さを堪能してもらわねばなるまい』


「…うっ……」


 ミューレはそう言ってトウキを睨みつけ、彼を萎縮させた。同時に雑に頭を撫でてくる。

 

 結界を見抜くその瞳、いや、感知力と言うべきだろうか。

 ミューレの見れば分かると言うのがもし本当に感じるのではなく、物理的な意味ではっきり見えているのなら、彼女の瞳に秘密があるのだりうか。

 魔族特有の能力、種族別に存在する持つべき者が持つとされる力の一片。自分は人間なので分からないが、

 

 曰く、魔眼持ちなのだろう。

 結界を見抜く魔眼だろうか。それはまだわからない。

 単に本能で気づいた場合や書庫という財への対策があるはずだという推測力によるものである場合もある。

 両方かもしれない。


 しかしトウキにとってそんなことは気にするものでは無い。それよりも、今はミューレがいう裏技というのが気になっていた。


「そ、それでどうするんですか?」


『まず本の読み方からだ。通常お前は本を読む時右から順番に読むだろう。それが普通だし作者も読者がそう読むだろうと思って読んでいる。だがワーレは違う。ワーレはまず見開き1ページ全体を見るのだ。そしてその視界に映る情報を全て直接脳へぶち込み分析する。つまり写像記憶したものを脳で一瞬の間に理解するというものだ。そうすれば内容は瞬時に理解できる』


 ミューレの言っていることはトウキだって理解しやすい内容だ。写像記憶という技能に解析という理解を加えるという作業。

 もしそんなことが可能ならば確かに見開きページを10秒もかからず理解できるのかもしれない。しかしそれはできればの話だ。

 ミューレができるというのはわかったが、張本人であるトウキができるかは別。

 だから、


「やることはわかりました。けどそれを僕がやらなきゃいけないって話なら難しいんじゃ無いですか?」


『ん? 何でそう思うんだ?』


「だって今まで僕が無意識下にやっていることを変えるってことですよね。これは本の速読法というより視点の変化というか…多分僕の当たり前を変えるってことです。それを一朝一夕でやれなんて」


 写像記憶とは視界に入ったものをそのまま記憶することである。例えば空を10秒見上げるとした時、鳥が5匹飛んでいたとすると、通常誰もが1匹または3、4匹の様子、そもそも何匹の鳥が飛んでいたのかということに注目するだろう。

 だが写像記憶では少し違う。鳥の位置は勿論その数、しかし他の情報ーー雲の動きや形、視界に入っていれば目の端に捉えた山々までもが記憶される。

 言ってしまえば目というフィルターにかかったすべてのものに注目してみるというのが写像記憶術の特徴だ。


 それを理解できたトウキの発言にミューレは調子のいい顔をする。


『よくわかっているな。そうだ、これは本に限らず普段の生活における視点支配を変える特別な代物だ。このスキルを『覚世カクヨ』という。これができればお前は目の端で捉えた敵に反応することも、不意に迫り来る手や足技に反応する能力が上昇する。だがお前の言う通り毎日習慣づけられた当然を変えることは至難だ。染みついたルーティンというのは腐敗しようにもできないものだからな。でもそれはワーレがどうにかしてやる。ワーレが魔力信号でお前の脳に直接情報をぶち込み無理矢理インプットしよう』


「魔力信号? なんですかそれ?」


「通常生き物は脳からの電気信号めいれいによって動くことができ、考えることもできる。だからそれをワーレの魔力で行うんだ。脳に情報を送る。まあやってみればわかる」


 そう言いながらミューレは手を銃の様にしてこめかみに向ける。

 妙に様になっている。

 まあ兎も角、


「情報を脳に…でも…い、いや、できるなら…分かりました。お願いします」


 トウキは少し迷って言葉に詰まった。その理由はいくつかある。1番は彼女に自分の疑問ばかりぶつけても信じていない様に思われるかもしれないということを察したからだ。

 聞きたいことは何でも聞くがそれは今回のことが終わってからでも十分時間はある。


『よし、ではいくぞ。お前はページを捲るだけでいい。それかできるならお前も写像記憶し理解してみろ。ワーレの魔力信号の所為で無意識的にできるようになるかもしれない』


「無意識的に…? ならやってみます!」


 やることは全てミューレがやってくれるという申し出。トウキだって是非も無い。

 これはやるべきことだから。

 強くなるチャンスの1つであるなら、トウキだって気合が入る。


「ーーーー」


 こうして彼の訓練の一端が始まりを迎えようとしていた。

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