レシピ・22「朝食コーヒーと事前準備」

「――そういやさ、二年後の私って他に何か言っていなかった?」


(…本当に、ぐいぐい行くなあ)


 内線で朝食の皿を下げてもらうよう頼むへルン室長に対し、先ほどまでの会話のダメージがまるで無いかのように振る舞う千春に、私はただただ感心する。


「まあ…もし二年前の君たちに会うことがあったら、しっかり食事をして好きなことをして欲しいとは言っていたかもしれんな」


「そう…やっぱり私ね!」


 そう言いつつ、食べ終わった食器を重ねて小窓の前に置く千春。


「――となるとこっちも対策を立てないと。そういやさ、おじさん。電車の中で見た子供が怪異なのは確定してたけど…結局、何なの?」


「それは…」と、一瞬私は名前を呼ぶべきかためらうも、ここでは異界の影響が無いことを思い出し「【ヒダル神】だな」と、素直に答える。


「【ヒダル】って、山とか歩いているとお腹が空いて倒れるやつ?」


 千春の問いかけに「ああ。へルン女史の異常な食欲や電車の中にいた子供たちの外観から考えて、それが一番当てはまると思う」と、続ける私。


「飢えた人間が亡くなった土地を通ると急な空腹に襲われて動けなくなることがある。これを【ダリ憑き】と呼び、米粒一つでも口に入れれば動けるようになるが――ただ、気になる点が一つ」


「娘たちは食事を取っていた…と言う点だな?」という、へルン室長。


「ああ、それが気になっていた――というか。そちらも正体については、すでにレポートで確認していたのか?」


 私の質問に対し「…では、そもそもの説明をしておくか」と、へルンは内線を使いコーヒーを頼む。


「――すでに知っていると思うが対象が時間経過などで異界に取り込まれる現象を【異界化】、さらに進むと【順応】となるんだが…最近、【異界化】が進んだ人間の記憶が時間軸に関係なく異界に還元されてしまうことが分かってきてね」


「え、どゆこと?」


「それは…」


 驚く私たちの元にコーヒーとフルーツヨーグルトの鉢がやってくる。


「なにぶん、それが分かったのは先月のことだ」と、コーヒーを手に取る室長。


「すでに知っているとも思うが、こちらの調査員三人が異界に存在するショッピングモールで逗留中とうりゅうちゅうに行方不明になる事件があり、それから日が経たないうちに二名のうち一人が通信機器で体調を崩すと言う事件があった――」


「あー、私のスマホ事件ね。その説は失礼しました」と、頭を下げる千春。


「…まあ、そちらに関しては、事前説明にもかかわらず注意喚起が足りなかったことが大きいが――ともかく入院した後に体調を崩した調査員が妙なことを言うようになってな」


「妙とは?」


 私の質問に対し、ポケットから一台の録音機器を取り出す室長。


「――いくつか質問をした結果、彼の記憶は調査員三人のものと混じってしまった可能性が高いと見ている」


 押される再生ボタン。

 そして、質問者と調査員と思しき男性の声が流れ始めた…



『所属と名前を』


『――隊、――です』


『住所は』


『合衆国の――州、――に住んでいます』


『そうですか…』


(何かを書き付けるような音)


『あなたの家は――州の――と聞いていますが?』


『え、でも。そこには私の妻と子供が二人いて…』


(書類をめくる音)


『調べでは、あなたは独身で母親と二人暮らしと以前に聞いておりました』


『…』


『では、最近の記憶は?』


『えっと…日誌、そう日誌を書いていました。そうだ。二人の部下の行方が分からなくなってしまって、私は彼らを探したんですが…!』


『落ち着いて、落ち着いて…その二人の名前は?』


『――と、――…いや、違う。それは俺の名前だ。あ、そうだ。俺はあの時に調理していた肉を食わせたら連中が文句を言ってきて…待て、ここはどこなんだ!』


(重いものが倒れる音が続く)


『いかん、鎮静剤を――!』



「――というわけでね。その後、三回ほど質疑応答を繰り返したが、未だ三人分の記憶が入り混じった状態にある。ちなみに彼は他の三人とは別の班であったし、面識がない状態だ」


 そう言って、コーヒーを口にする室長。


「現在、彼は昏睡状態で会話も困難…そのようなことから、空間内に取り込まれた人間は意識を共有しているのではという結論が出たと言うわけだ」


「記憶の共有って…ヤバいじゃん」


 フルーツヨーグルトの中からミカンを取り出しつつ、千春は室長を見る。


「ということはさ。この研究所にいた連中が異界に取り込まれていたとしたら、私らのことはもちろんとして、室長やへルンのことも知ってるってこと?」


「…そう。それもすでにレポートに書かれていたことであり、こちらも重々気をつけてはいたんだが――防ぐことはできなかった」と室長はため息をつく。


「うんうん、一番怖いのはヒューマンエラーだからね」とコーヒーを飲む千春。


「ちなみにさ。実際に事が起きた時にどんな対策をするかとか、他の人と一緒に話し合ったりした?――これまの感じ、へルン室長って自分一人で抱え込んで、失敗しているような気がしているんだけど」


「――それは」と言葉に詰まる室長に「まあ、ここは話を戻そう」と、私。

 

「…ああ。ともかく、それに何が繋がるかと言う話だが」と焦っているせいか、ヨーグルトをスプーンでしきりにかきまぜながら、話を進めるへルン室長。


「…【空間制作委員会】について、二人はどこまで知っている?」


 室長の質問に「ええっとね――」と千春。


「おじさんが【順応】した道具で茶室まで移動させられて。スマホを使って通信ができて…あ、そもそも名前ってへルンがつけたんだっけ?」


 そこまで話しかけたところで「…やはりな」とヨーグルトを食べ終えた室長は静かに顔を上げる。


「実は【空間製作委員会】という名前は娘が考えたものだという認識を私はしていない――むしろ、が娘を使い、そういう存在があると認識させようとした結果だと考えている」


「どゆこと?」


 首を傾げる千春に「…もしかして」と、私は思わず室長の顔を見る。


「へルン女史――彼女は上で【ヒダル神】に憑かれたと?」


「んん?」


 会話に意味がわからず首を傾げる千春。


 ――ちなみに、我々のヨーグルトの鉢はすでに空になっており、テーブルにはおかわりのコーヒーとオレンジジュースの入ったサーバーが置かれていた。


「つまりな、彼女を含めた行方不明となった他の調査員は怪異側に名前を取られ操作されている…しかも、その原因は異界に【順応】してしまった調査員の記憶から名前を引き出されたたためで、室長はそれを恐れて彼女を調査から遠ざけていたにも関わらず、事件が起きてしまったのさ」


「ちょ、ちょ、ちょ…」


 そこに、二杯目のジュースを注ぎつつ千春が声をあげる。


「待って、おじさん。その理屈だと私らだってヤバいじゃん。でも、異界を探検しているあいだに操作された記憶なんてないんだけど?」


「…いや、私自身は確かにあったんだよ」


 ――そう、あの温泉街から茶室までの移動前後の行動。


 あれは半分以上が私の意思では無く、記憶の混濁とともに茶を飲まされそうになっていた――しかも、あの時には【空間製作委員会】の男の接触があり向こうの意図で茶室に移動させられたことは明らかであった。


「――まあ、その件については相手の男の介入があったとして…それ以外は別の意思が働いていると私は認識している」と、コーヒーをすする室長。


「調査員に聞いたインタビューの中では、私が変更を加える前のレポートと酷似した内容のものもあった。時間軸も超越してとはそう言うことでね――つまり、連中はどうやっても同じ流れにしたかったという意図があるのさ」


「…んー、となるとさあ」と何か思案げな顔をする千春。


「どうやっても同じ流れになるし、こっちの行動も読まれているというのなら、ともかく目の前にある問題を解決しなきゃあね――向こうにいる、ヘルンたちの食事問題とか」


 それに「そういえば、娘が食事をしていると言っていたが何を食べている?」と個人的なことを質問するへルン室長。


「カレー、もう食べ飽きたって調査員はみんな泣いていたよ」


 千春の答えに「…まあ、子供の頃から一緒に作った料理がそれくらいだったからな」と渋い顔をする室長。


「帰ってきたら別の料理も作ってあげて、レシピも以前に渡したから」と千春。


「善処しよう」と室長は苦笑しつつ「…そうだな。向こうに行く際に何か必要なものがあるのなら揃えるが」と、メモとペンを渡す。


「あ、そうだね。再会した時に何か作れるように持っていこう」


 ついで、メニュー表と材料を書きつける千春。


「そうそう、いなくなった元・調査員の人数とかも一緒に教えて。材料が足りないといけないから…えっと、その数だと――」


 へルン室長に質問をしながらもガリガリと埋まっていくメモ。

 その様子に「…前向きだなあ」と思わず呆れる私。


「だって、へルンは憑かれてお腹がすいているんだよ?」


 そう言って、二枚目のメモに突入する千春。


「飢えている人にはご飯をあげれば、大抵のことは解決するんだから!」


「…そりゃ、すごいな」


 そう言って、すっかり冷めたコーヒーをすする私に「そういえば」と室長。


「遠野くん。確かここに来る直前に向こうのものを持ち込んできていないか?」


 私はそれに思い当たるものがあり「…これか?」とポケットから数珠じゅずを出す。


「ああ、そうだ」


 ついで、へルン室長は私を見つめ「…なあ、遠野くん」と声を上げる。


「人は食物を、仏は救いをかてとする――では、神は何を糧とすると思う?」


「…え?」


 不意の問いかけに戸惑う私。

 それにへルン室長は「――いや、失礼なことを聞いた」と苦笑する。


「キミはその答えをとっくに知っていた…だから、あの時につぶやいたんだ」


「私が、何を?」


 だが、その時に千春のメモが書き上がり、私たちの会話は中断した。

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