5.4

 式見と別々に昼食を取ってから三日後。

 その間は式見が女子グループや伏野から誘われることはなかったので、お昼ご飯は一緒に食べていた。

 しかし、式見の見張りに関しては完全に目を離すようになってしまったので、そろそろ式見に事実を伝えなければいけないと思い始める。

 数日間隠してしまった時点で、また式見に失望されてしまう可能性はあるが、僕が心を整理する時間がここまでかかってしまった。

「式見、今日の放課後は……時間あるか?」

 決心を固めた僕は、昼食を食べ終えた後にそう言う。

「えっ、放課後!? も、もちろん、時間は……………………あるわ」

「その動揺と長い間はなんだ」

「時間とは自ら作り出すものだから」

「何の説明にもなってないが……まさか先生から呼ばれてるのか?」

 僕がそう指摘すると、式見はわかりやすく顔を逸らして口笛を吹き始める……いや、吹けずに空気が出る音を漏らしていた。

「それなら仕方ない。また明日にしよう」

「何も言ってないんですけど!? 今日やろうと思ったことは今日やるべきよ!」

「その言葉は概ね正しいとは思うが、本当にスルーして大丈夫な用事なのか?」

「……補講が入っています」

「だったら、そっちを優先するべきだろう」

「で、でも、補講も一回くらいなら……」

「そうかそうか。つまり式見はそういう奴だったんだな」

「そ、ソーイチの意地悪! 先生に言いつけてやる!」

「その先生に言うための労力で補講を受けられるだろうに」

「うぅ……わかった……わかりました」

 式見の良心を利用することになってしまったが、何とか説得に成功する。

 それと同時に……少し安心してしまった自分がいた。式見の言う通り、今日言おうと思ったのなら今日言っておくべきなのに。

「でも、明日の放課後は絶対行くんだからね!? たとえもう一回補講を入れられても!」

「いや、そうなったらまた補講に……行くってどこへ?」

「え。あっ……そ、そうよね。ううん、なんでもない」

「それにしても補講ってこのタイミングでやるものなのか。てっきり夏休み前とか夏休みに入った後だと思ってた」

「学校的に設けられているのはその時期だけど、教師によって結構変わってくるわ。夏休みに入る前に終わらせておきたい教師もいるだろうし」

「それもそうか。本来ならやらなくてもいいことだもんな」

「まったく、困った生徒が多いんだから」

「……ちなみに式見以外で補講を受ける同学年の奴はいるのか?」

「ゼロではないけど、限りなくゼロね。教科によるわ。今回は私一人だけど」

「よくその口で三つ前の台詞言えたな!?」

「褒めないでよ」

「メンタルが強いと解釈したなら間違いではないけど褒めてない」

 直近の授業は全て出席しているはずだから、本当にゴールデンウイーク前の四月はサボり魔だったのがよくわかる。

 式見は知り合う前の僕を教室で見かけたと言っていたけど、実際はどれくらいの時間、教室にいたのだろうか。

 聞いたら正確な時間や日数が返ってきそうだけど……こちらが反応に困る気がしたからやめておいた。


 それから掃除を終えた放課後。テスト前やテスト期間中を除くと久しぶりに式見と絡まない時間になったので、帰宅部らしく即座に帰宅しようと思っていた……その時だった。

「柊くん、お疲れ様」

「……お、お疲れ」

「今から帰りだよね? 良かったら……一緒に帰ってもいい? 私も今日は部活がないから」

 落ち着いた口調でそう言ってくる今峰だったが……僕は驚きを表情に出さないよう努力していた。

 なぜなら、今峰から一緒に帰ろうと言われたことなんて一度もなかったからだ。小学生の時は集団で帰らされる際に同じだった時もあるけど、自由に帰るようになった中学以降で、こんな風に誘われたことはない。

 しかも今峰と最後に話したのは、式見の噂について告げられて、僕が拒否感を露わにしたあの日以来だった。無論、僕としてはその時から今峰との空気が元に戻ったとは思っていない。

 けれども、明確に断る理由が思い付かなったから、

「……いいよ。途中まで帰ろう」

 と、僕は返してしまった。

 決して仲直りできる期待をしていたわけじゃないけど、このタイミングで今峰が普段取らない行動をしたことには、何か意味があると思ったから。

「なんだか久しぶりだね。柊くんとこうやって学校から一緒に帰るなんて」

「久しぶりも何も……小学校以来じゃないか?」

「ええ。だから、凄く久しぶりと言った方が正しいかな」

 校門を出て歩き始めると、今峰は僕が式見と知り合う以前のように話し始める。いつも優しい雰囲気で、高校になってからは少し茶目っ気も入ったような口調。ただ、今日の話し方はいつも以上に弾んだ声のように感じた。

「まぁ、今峰は学級委員や演劇部で放課後も用事があったから、たまたま帰りに会うこともまずなかったし」

「じゃあ、もしもたまたま帰り際に会ったら、柊くんは一緒に帰ってくれた?」

「それは……実際になってみないとわからない」

「もう、たとえ話なのに。柊くんは真面目だね」

「……今峰、どうして今日は一緒に帰ろうと思ったんだ?」

 今峰から理由を言ってくれそうにないと思った僕は堪え切れずにそう聞いてしまう。

 すると、今峰は笑みを浮かべながら喋り出す。

「いい機会だと思ったからだよ。私の部活が休みで、柊くんが……式見さんに構う必要がなくなったから」

「な、なくなったわけでは……」

「荒巻先生から聞いたの。柊くんが先生に言われて式見さんの面倒を見ていたって」

 今峰から出た予想外の発言に僕は足を止めてしまった。それを見た今峰は微笑を見せる。

「珍しく柊くんが呼び出されたのが気になっちゃってね。それならそうと言ってくれたら良かったのに」

「す、すまん……でも、クラスで噂が流れていたから何だか言いづらくなってて――」

「ええ、わかってるわ。式見さんにあんなことをされた後だから、たとえ真実を言ってもみんなには悪い方に取られていたと思うわ」

 今峰は僕の言い訳を肯定してくれる。だけど、僕は今峰の態度から優しさを感じられなかった。僕と話しているというよりは、今峰自身の疑問を口にしながら答え合わせをしているようだったから。

「急に柊くんが式見さんのことを気にかけるなんて、今考えればおかしな状況なのにどうして気付かなかったのかしら。最初は柊くんが巻き込まれたと思っていたはずなのに」

「それは……僕が疑われるような言動をしていたせいだ」

「ふふっ、そんなに反省しなくても大丈夫だよ。私は柊くんが悪くないってわかっているんだから。柊くんは本当に真面目だね」

 お決まりの台詞のように、今峰は――真面目という言葉を――繰り返してくる。

 その度に僕は……少しずつ痛みを感じていた。

「でも、本当に凄いと思うわ。授業をサボりがちだった式見さんをきちんと授業に出席させられたなんて。荒巻先生の期待通り、きっと真面目な柊くんから良い影響を受けたのね」

「……式見自身の努力もあるよ」

「そうかもしれないけれど、式見さんを動かしたのは柊くんには変わりないわ。ただ、式見さんの態度が改まったのなら、柊くんも自由の身になれたってことよね。だから、もう式見さんのことなんて――」

「今峰。僕はこれまで今峰にずっと言えなかったことがあるんだ」

「えっ……?」

 唐突な僕の発言に今峰は少し動揺する。

 でも、ここで言わなければ……僕はこの気持ちをずっと今峰に隠し続けてこれからも接していかねばならない。

「い、いきなりそんな……」

「僕は…………今峰に真面目って言われるのが苦手なんだ」

「……は?」

「僕よりずっと真面目で、才色兼備な今峰が僕を同じカテゴリーの人間として扱ってくるのが嫌だった。決して嫌味に聞こえているわけじゃないんだ。でも、僕は……今峰が思ってるほど真面目じゃない。たまに授業は上の空だったりするし、廊下に落ちているわかりやすいゴミから目を背けたりもする。確かに授業をサボるような不真面目なことはしてこなかったと思う。だからといって、真面目と評されるような生徒じゃないんだ……僕は」

 それは今峰だけではなく、先生にずっと言いたかった話だった。

 柊蒼一という人間を称するのに、他の相応しい言葉がないのはわかっている。

 みんなが真面目と口にする時は、褒めてくれているのもわかっている。

 不良になりたいわけじゃないし、不真面目と思われたいわけじゃない。

 だから、僕が真面目と言われるのが嫌なのは、単なる僕のわがままだ。

 成長や努力はしないくせに、文句だけ言う僕の悪い部分だ。

 だけど、僕はずっと……その言葉に縛られている。

 今峰にそんなつもりはなかったのだろうけど、僕にとってはそれを今峰に伝えなければならないタイミングだった。

「……ふっ」

「今峰……?」

「……そうだったんだね。私の方こそ、ごめんなさい。今まで気付いてあげられなくて」

「いや……今峰は悪くないよ。今日まで言えなかった僕が悪いんだ」

「そう言える柊くんは偉いよ。でも、良かった。これでもう柊くんとのわだかまりはなくなったんだから」

 そう言った今峰は安心しているのではなく、どこか呆れている風に見えた。

 恐らく僕が自分で言っていることが、身勝手で間違いだらけだと思っているから、そう見えてしまったんだと思う。

「ああ、最後に一つだけ。柊くんは……式見さんが魔女である可能性は考えないの?」

「ま、魔女って……どういうこと?」

「童話に出てくる魔女のように嘘と魔法で誑かすって意味。今、式見さんが柊くんに言っていることが、全部真実だと言い切れるの? 自分を可哀想な存在に見せて、柊くんを騙している可能性だってあるのに」

 今まで聞いたことがない独特な言い回しと試すような口調では今峰は聞いてくる。

 確かに僕は式見の過去や現状を一切疑うことなく、全部受け入れてきた。

 でも、それは式見が騙すのが上手いとか、僕が可哀想だと思って騙されてあげてるとか、そういう話ではない。

 だから、僕の答えは……

「全部が真実かわからないけど、僕は式見のことを信じるよ」

「……そう。じゃあ、私はこっちだから。柊くん。さようなら」

「あ、ああ。さようなら」

 僕の別れの挨拶を聞き終える前に、今峰は僕に向き合うのを止めて帰っていたように見えた。

 だけど、今の僕は今峰を呼び止めて何か言おうと思わなかった。

 あのまま今峰を喋らせ続けていたら、僕はまた今峰から聞きたくない言葉を……いや、式見について僕が言われたくない言葉を聞かされていただろうから。

 そこに今峰のどんな思いがあったのか、僕にはわからないし、もう知るつもりもない。

 僕は今峰との距離よりも――式見との距離を選んだんだ。

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