5.5
今峰と一緒に下校した翌日。
意を決して話したとはいえ、全く後悔がなかったと言われたら嘘になるので、朝から微妙な気分を引きずって学校に到着した。
今峰からの期待や信頼を裏切ることは、本当に正しかったのだろうか。
僕が楽になりたかっただけの行動だったのではないか。
今更考えても仕方がないのに、一時間目の授業が始まるまで頭の中で考えが巡っていく。
そんな気分であろうとも先生には関係ないので、切り替えて集中する――
「おい、蒼一……!」
京本が肘で小突きながら小声で話しかけたせい……いや、今日の場合はおかげというべきか。僕は現実に戻れた。
「痛っ。な、なんだよ、急に」
「……今日は式見ちゃん、休みなのか?」
「は? 式見は……えっ!?」
そう言われて廊下側の前から三番目の席に目をやると――そこに式見の姿はなかった。
ここ最近はいるのが当たり前だった式見が……いない。
思わず立ち上がりそうになってしまったけど、授業は既に始まっていたので、僕は留まってしまった。
そして、一時間目が終わって休み時間に入った直後に、また京本が話しかけてくる。
「そんなに焦ってるってことは事情を知らない感じか」
「し、知らないよ。昨日は普通に元気そうだったし、最近は授業をサボ……休むことなんてなかったのに」
「そうは言っても病気はいつなるかわからないものだし……」
「いや、式見は――」
「まぁ、連絡取ってみるのが一番なんじゃないか?」
「…………」
「おい、まさか……連絡先知らないのか!?」
僕の無言から察した京本は本気で驚愕していた。
だけど、今までは連絡なんて取り合う必要がなかったから仕方がない。僕と式見の関係は基本的に校内だけで収まっていて……その校内では毎日のように会っていたから。知り合ってから一日も欠かさずに。
無論、必要ないと思っていたのは僕だけかもしれないが……今は自分の落ち度を後悔している場合じゃない。
「……探してくる」
「探すって……学校に来てるとは限らないんじゃないか? 荒巻先生に聞けば欠席かどうかはわかると思うが……」
「いや、いるよ。絶対に」
そう確信している僕に京本はまた驚いているようだったけど、そんな京本を置いて僕は廊下に出て走り出す。
式見の面倒を見るように頼まれた初日と同じように、二階・三階・一階の順番で思い当たる場所を探していった。
「保健室には来てないわね。休みかどうかはすぐ確認できるけど――」
「大丈夫です! ありがとうございます!」
「ちょ、ちょっと、柊くん!?」
でも、それで簡単に式見が見つかるなんて僕は思っていなかった。式見が今日サボった理由が、気まぐれでやったわけじゃないと僕はわかっていたから。
二時間目が始まる二分前に、式見のお気に入り散歩コースである実験室前の廊下に着いても、式見は姿を見せない。
僕は何をやっているんだ。
そう思ったのは式見を探し始めたことへの後悔ではなく、自分に対する憤りだった。
僕が意図的に式見から目を逸らさないようにしていれば。
昨日の今峰の件をグズグズと引きずっていなければ。
……もっと早く気付いて、式見を探しに行けたのに。
そう思いながら、僕はまた走り始める。
すれ違っている可能性もあるが、ここまで式見を見つけられなかった時、最後に式見がやって来る場所は――
「……ソーイチ」
屋上前の空間しかなかった。
しかし、そこで式見を見つけた瞬間、二時間目が始まるチャイムが鳴ってしまう。
僕は……その場で立ち止まる。
「いいの? もう授業始まったわよ」
「……まだ式見が一時間目をサボった理由を聞いていない」
「別にいいじゃない。ソーイチはもう私の面倒を見る必要はないんだから」
「……良くないよ」
「どうして?」
「面倒を見るとか関係なく、僕自身が式見を心配しているから」
僕は式見を真っ直ぐ見つめながら言うと、式見は顔を逸らして……「ぷっ」と笑いを堪えた。
「恥ずかしい台詞」
「い、いいだろう、たまには。隣、座っていいか?」
「……うん」
許可を貰って式見の隣に座ると、式見はわざわざ僕の方に体を寄せる。
悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「とうとうソーイチも授業サボっちゃったね」
「いや、まだ授業自体には間に合う……としても途中から入るのは気まずいか。まぁ、次の授業は世界史だから、いざとなったら荒巻先生に何とか言って許して貰おう。僕なら色々免罪符を用意できるだろうし」
「うわっ、ズルい! ソーイチが今まで言った中で一番ズルいこと言ってる!」
「かもしれないな。さて、準備運動はここまでとして……どうしたんだ、いきなりサボって」
「ソーイチは……私がいきなりサボりそうな心当たり、ない?」
そう言われてしまうと……あり過ぎてどれかわからなかった。
ここ最近の僕の言動はどれも式見のためにやっているようで、どこか迷走していたのは間違いない。
それに加えて、完全にネガティブな思考になっていたから……どこを取っても僕が悪いとしか思えなかった。
そんな僕が悩んでいる様子を察して、式見は口を開く。
「……ソーイチが真面目って言われるのが嫌だなんて知らなかった」
それを聞いた僕は心臓が飛び出そうになった。
「き、昨日の話聞いてたのか!?」
「補講へ行く前にイマミネさんと一緒にいるのを見て、悪いとは思ったけど……後を付けたの」
「じゃあ、昨日の補講は……」
「もちろんサボった」
「ま、マジか……」
「そんな補講なんてどうでもいいの。私が言いたいのは……どうして私には教えてくれなかったのってこと」
そう言った式見は……悲しそうで、寂しそうだった。ここ最近の僕はこんな見なくてもいいはずの式見の表情を引き出してしまっている。
「あれは……今峰に言いたかったことであって、式見に当てはまるわけじゃ――」
「じゃあ、ソーイチは私から……真面目って言われた時、全く何も思わなかったの?」
「それは……」
思ってないとは嘘でも言えなかった。真面目という言葉は、僕にとって……重荷だったから。
それを察した式見は顔を少し俯ける。
「ソーイチは私が天才少女って言われるのを嫌がったら、言うのをやめてくれたのに」
「い、言うのはやめたが……心の中では思っていたこともある」
「でも、口にしていないのは事実でしょう?」
「……そう、だけど」
「私……ソーイチにとって真面目って言葉は、褒め言葉だと思ってた。先生やクラスメイトから言われて嬉しいことだと思ってた。だから……今日まで何回も、何十回も言ったのを覚えてる。その度にソーイチが嫌な気分になっていたなんて……嫌だよ」
「違う。式見が思ってるほど悪い気分にはなってない」
「だとしても! 嫌なの……ソーイチが少しでも嫌な思いをするのが」
僕は見誤っていた。式見が天才少女と呼ばれることに、ここまで強い拒否感を感じていたなんて。
僕は知らなかった。式見が僕に対する真面目という言葉にそんな意味を見出していたなんて。
僕は……気付けなかった。式見が僕のことを……こんなにも大切に思ってくれているなんて。
「……私、ソーイチの家に泊まった次の日に言ったよね? ソーイチが嫌なこと、ちゃんと教えて欲しいって」
「……言ってた」
「覚えてるのなら……我慢しないでよ」
「……ごめん」
「……ソーイチのバカ」
そう言って式見は顔を俯けたまま、自分の肩を僕の肩にぶつけてきた。
本当は……式見から真面目と言われるのは我慢していたわけじゃないと言いたかった。今峰や先生から言われるのとは違って、式見は僕と知り合ってからそれほど時間が経ってない段階の言葉だったから。
だけど、仮に式見とこの先何年も一緒にいた場合、僕は式見からの真面目という言葉も嫌に感じていたに違いない。
嫌なことになり得るのには言わなかったのは、僕の落ち度だ。
「……バカは言い過ぎたわ。ごめんなさい」
「いや、いいよ」
「ソーイチの小バカ」
「その言い方だと意味合いがちょっと変わる気がするが……まぁ、いいか」
「良くないわ。ソーイチにはまだ言いたいことが山ほどある」
「や、山ほど……」
「最近のソーイチは私のことを意図的に遠ざけてようとしていたわ」
そう言った式見は先ほどよりは表情に柔らかさはあるけど、確実に不機嫌さを出していた。
こうなったら僕は全部素直に答えていくしかない。
「……はい」
「どうして?」
「式見に……女子の友達を作って欲しかったから」
「ソーイチがいるのに?」
「同性の方が話しやすいこともあるだろう」
「それだけ?」
「……僕が式見の友達に相応しくなくなる可能性があったら」
「はぁ……まったく、ソーイチは本当にそういうところあるわね」
そう言いながらわかりやすく呆れた顔になる式見。
「理由は聞いていいの?」
「聞かないでくれる選択肢があるのか」
「まぁ、この件に関しては私もダメなところがあったから」
「いや、この件で式見が駄目だったところなんてない。式見が駄目だと思うのは……全部僕のせいだ」
「……ふふっ」
「ど、どうした。急に」
「ソーイチ。今の言い方、無意識に言ったの?」
「そ、そうだが……」
「じゃあ……ソーイチも私の影響、受けてるんだ」
式見はなぜか嬉しそうに言う。
一方、僕はそう言われて、前に式見から似たような内容を言われたことを思い出す。
式見を意識したつもりはなかったけど、無意識に引っ張られた可能性は大いにある。
だって、式見と知り合って今日まで、僕の頭の中にはいつも式見が思い浮かんでいたから。
「蒼一もっていうことは……」
式見は「うん」と頷きながら、僕の手を……三回も式見に咥えられてしまった指を優しく握った。
「爪の垢だなんだとは言ってたけど……最近の私はね。ソーイチの爪の垢を飲まなくても、傍にいるだけで性格的な影響を受けていたんだと思う。他人の悪口に乗っかるうちに、自分の性格まで悪くなってしまうってよく言われるけど……私の場合はソーイチの……頑張り屋さんで気遣いができるところが移った。だから、ちょっと柄でもないことをしてしまったの。ソーイチに言われなくても最初から授業に出て、全部の授業を真剣に聞いた。ソーイチが私を避けているのがわかっても、私の為に何かしようとしてくれると思って我慢した」
式見はそこで後悔を表すような小さなため息をつく。
「でも、それで……ソーイチが面倒を見る必要がなくなっちゃったのは失敗だったわ。アラマッキーにとっては良かったのかもしれないけど、私はそんなこと望んでない。そう思ったから――」
「今日の一時間目をサボった……のか」
「うん。そうしたら……ソーイチは来てくれた。もう面倒を見なくていいはずの私の前に」
式見は柔和な笑みを見せる。
「だから、我慢せず正直に言うわね。私はソーイチがイマミネさんと仲良くしているのが嫌だし、二人で一緒に帰るなんてもってのほかレベルで嫌」
「そ、そうか……」
「それに男子と仲良くするのも普通に嫌」
「だ、男子も?」
「同じよ。私からソーイチと過ごす時間を奪っているんだから」
乱暴な言い方をしているが、式見は本気で言っていた。
「私はね。ソーイチがいればそれでいいの。同級生の話せる女子とか頼れる先生とか、そんなのはいらない。ソーイチだけが私の傍にいてくれたらいいの」
俯いていた顔は気付けば僕の顔をしっかりと見ていた。
「わがままな自覚はあるし、現実的にソーイチだけと関わって生きるのが難しいのもわかってる。ソーイチは私と違って、他の人との関係性を大事にしなきゃいけないことも。でも、私はそう望んでいるの。だって、私は……こんなにも好きだと思うソーイチを見つけるまでに十六年と六ヶ月もかかってしまったんだから。ありきたりな表現にはなるけど、私にとってソーイチは運命の人だって言える。他の誰かが代わりになるなんて思ってないの」
……知り合って三日目の時、僕個人では式見の問題を解決できないと自分で考えていた。
だけど、僕は式見のために役立ちたいと思うがあまり、勝手に解決する方へ向かってしまった――自分を排除する形で。
式見が求めているのは、僕との時間だと何となく察していたのに。
式見と自分の差を感じて、式見に対する僕の感情に負い目を感じて――式見の期待から目を逸らしてしまった。
「式見は……僕のことを過大評価してるよ。式見と別の出会い方をしていたら、僕はきっと式見のことを……他の人と同じように扱っていた」
「でも、私が出会ったソーイチはそうならなかった。それにね。私が評価しているのは……私が出会った時から今日までのソーイチ。近づいたきっかけは味と匂いだったかもしれないけど……今は違う。私に構ってくれて、私を心配してくれて、私のために変に頑張ろうとしちゃう、そんなソーイチなの」
「式見……」
「あ。でも、最近のソーイチはちょっと嫌だったわ。いくら私のためだからといって、何も言わずに突き放そうとするんだが」
「……本当にごめん」
「ううん、大丈夫。色々言っちゃったけど、ソーイチの考え過ぎちゃうところも私は好きだし……アラマッキーに面倒見なくていいって言われたのに、それを私に隠しちゃうソーイチも好きだから」
わざわざ追加した言葉は僕をからかう意味もあったのだろうけど、それも含めて式見は嬉しそうだった。
ああ……そうだ。
僕が見たかったのはこの式見の笑顔だ。
そして、こんな風に式見が笑って学校生活を過ごすために必要なのは、遠回しな気遣いや他の誰かをあてがうことではなく――僕自身が向き合うことだった。
「ソーイチ。前にも言った通り、私を一度受け入れたから私はソーイチから離れるつもりはないわ。だけど……もう一度だけ確認させて。これからも私と一緒にいると、今回みたいにソーイチが後悔するようなことが起きると思う」
「ああ……」
「それと……私は見た目に対して性格はそんなに良くないし、執着心はあるし、嫉妬深い。ちょっと扱いを間違えたらメンヘラになる可能性が高いタイプの美少女よ」
「…………」
「そんな私でも……これからも面倒見てくれる?」
不安は隠しきれないていないが、それでも式見は期待していた。
そんな式見に僕が返すべき言葉は――
「もちろん。こんなにネガティブで、余計なことで気遣って失敗してしまうような……僕で良ければ」
「……うん」
結局、僕はクラスにおける式見の悪い噂を払拭することはできなかったし、式見が気兼ねなく話せる女子友達を作る道も邪魔してしまった。
自分で予想していた通り、出会ってから今日までの日数でも何も解決できなかったのだ。
しかも、式見はそんなことを全く望んでいないのだから……すべては僕が自己満足するための行動でしかなった。
だけど、式見はこんな僕の失敗や面倒な部分を受け止めてくれる。
式見は僕に影響されたと言っていたが、きっと式見の根底には優しさや気遣いの心がしっかりあるのだと思う。
「……でも、ソーイチ。私を不安にさせた責任は取って貰うからね?」
「はぁ!? ま、まさか……」
「ソーイチらしい責任の取り方をしてみせて」
式見はそう言いながら僕の両肩を掴んで、今回は既に目をつぶりながら顔を近づけてきた。
「ま、待て、式見!」
「なによ」
「僕が嫌なことを一つ挙げるとしたら……こういう距離間を間違っている行為だ! 僕と式見はそんな関係じゃないんだから、からかうにしても限度ってものがある!」
僕も意識しないように努力すべきところだが、式見も行動に気を付け貰わないと困る。
理由は聞かれなかったから言わなかったが、僕は……少なからず式見を意識してしまう瞬間があるのだから。
しかし、それを聞いた式見は一瞬ぽかんとした顔で固まった後、大きなため息をついた。
「はぁー…………この流れでそう考えちゃうか」
「な、なにが?」
「……まぁでも、ソーイチらしさはあるわね。それにもう少しくらいはこのままの関係を楽しんだ方がいいのかも」
「どういう意味……?」
「わかったわ。今後暫くは私もソーイチとの距離間を慎重に……全年齢を対象にできるようにしていくわ」
「お、おう。よろしく頼む」
式見は何か言いたげだったが、自分で納得して解決してしまった。
それを察せるようになるには……まだ時間が必要なのかもしれない。
「でも……その代わりに別の方法で責任を取って貰うけどいい?」
「ぼ、僕ができる範囲なら」
「それじゃあ……これかれは放課後の学校の外でも……私と一緒にいてくれる? もっと話したり、外へ遊びに行ったり……したいから」
そう言った式見は今日一番照れくさそうにしていた。
さっきまで僕に対する想いを伝えたり、顔を近づけたりした時は、全く恥ずかしがる様子はなかったのに。
「ああ。今日から管轄内にする」
「約束だからね?」
でも、そんな他の人とはちょっぴり違って、実際は普通の女の子とそれほど変わらない式見のことを――僕は好ましく思う。
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