5.3
式見の面倒を見る必要がなくなった翌日。
その事実を式見に話せないまま今日も授業は始まっていく。式見は当たり前のように、僕が何も言わなくても一時間目の授業から席に着いて板書を写していた。
けれども、僕がその後ろ姿を逐一確認する必要はもうない。そう思って実際に二時間目以降は式見を気にせず、先生と黒板だけを見るようにしてみた。
そうすると、途端に自分が――ゴールデンウイーク以前の自分に――戻ってしまったように感じる。青春を謳歌しているとは言えない、特に何もない日常を繰り返す僕に。
「式見さん、ちょっといいー?」
「何かしら?」
「良かったら今日はうちらと一緒にお昼しない?」
「え……私と?」
そして、その日の昼休み。式見は今日も女子から話しかけられていた。そのグループは病弱設定の式見に駆け寄って心配していた三人で……僕はすぐに苗字を思い出せなかった。
けれども、式見を誘う時の声は、多少興味本位でありそうながらも善意で言っているように聞こえた。
「どうして急に私を誘うの?」
「いや、それなんだケドさ。式見さんこそどうして急に授業出るようになったのか気になってて。その辺の話を聞いてみたいって思ったワケ。ねー」
中心的な女子の言葉に他の二人は同意の頷きを見せる。
それに対して式見はすぐには言葉を返さず、後ろに振り返って僕の方を見ようとした。
「――京本!」
「うわっ!? いきなりなんだ蒼一!?」
「今日は中央テラスで食べる感じなのか!?」
「えっ。まぁ、天気いいから考えてたが……蒼一も今日は一緒に食べるか?」
「ありがとう! ぜひ行かせて貰う!」
「お、おう。なんか珍しいテンションだな」
咄嗟に話を振ったので京本は引き気味だったが、予想していた通りの流れになった。
今の段階では式見が女子グループに付いて行くかわからなかったが、京本なら僕が一人になる可能性を察してくれると思っていたから。
それから僕がもう一度正面を向くと、式見は女子グループとの会話に戻っていた。
「最近の式見ってなんか変わったよなー」
「なんかってなんだよ」
「いや、見ればわかるしょっ? こう……前はちょっとばかし近寄りがたい感じがあったのが、柔らかくなったというか」
「確かに。式見は色々柔らかそう」
「そっちの話じゃないってば。でも……実際その辺りの柔らかさはどうなんすか、そういっさん」
久しぶりに参加した男子の昼食では、当然ながら式見の話を聞かれることになった。噂を助長させるのが嫌だったので、僕は黙秘権と記憶にないを駆使しながら、会話を流していたけど……
「それくらいにしといてやれ。蒼一は揺さぶって口を割るタイプじゃないんだ」
「えっ。あれだけしつこく聞いていた和樹が一番冷めてるのどゆこと……?」
「まさか……和樹にも春が訪れた!?」
「ちげーよ。というか、訪れてたらもっと大々的に自慢するわ!」
「確かに」
「そりゃそうだ」
「オマエらなぁ……」
京本は話の方向を変えてしまったけど、他が指摘していた通り、一番興味を示しそうな京本が何も聞いてこないのが意外だった。
「蒼一。ちょっと」
「うん? どうかしたか?」
「……あとで式見ちゃんと今日のこと話しとけよ」
「えっ? 言われなくても話す機会はあるが……」
「そうじゃなくてだな……まぁ、その話す機会でよく話しとけ」
それどころか、何か気遣われる感じの言葉をかけられてしまう。無論、京本に事情を話したわけじゃないから……何かを感じ取られたのかもしれない。
午後の授業も式見が最初に着席しているのを確認してからは、式見に注視することなく授業を受けていた。
式見を見張る前まではこれが普通だったのだが、いざ元に戻してみると……意外に授業の時間は早く流れていく。授業内容は先生にもよるけど、決して退屈なわけじゃないし、ボーっとしていたわけでもない。僕としては集中して授業を聞いていた。
だから、式見を見張っていた時の僕は自分が思っているよりも集中できていなかったのかもしれない。
「ソーイチ。ちょっと来て」
そんな一日送った後の放課後。式見は少し不機嫌にも見える態度で僕を呼びつける。
そうなることはわかりきっていたので、僕は素直に従って、いつもの屋上前の空間までやって来た。
「……今日は玉子焼き食べられなかった」
「そこから始まるのか」
「じゃあ、言わせて貰うけど、昼休みのあれは半分くらいソーイチも悪いじゃない! 私はそれとなく視線を送ろうと思っていたのに!」
「いや、がっつり後ろ向いてたが」
「やっぱり振り返ってるの気付いてた!」
「まぁ、たまにはいいじゃないか。今日は明確にお昼に誘われていたわけだし、いい感じに誘ってくれたんだから断るのも何か悪いだろう?」
「ううん。私は普通に断れた」
「そ、そうか。でも、僕も……久しぶりに男子連中とお昼を過ごしたかったんだ。あんまり参加しないでいると、男子の間で居心地悪くなっちゃうから」
そう言ったのは決して嘘ではなかったけど、どちらかといえば式見に対して女子との関係性も築いた方がいいというアピールのつもりだった。
しかし、それを聞いた式見は納得するわけでもなく、怒るわけでもなく……なぜか悲しそうな表情になった。
「……ソーイチは、他の男子との関係も大切したいの?」
「えっ? それは……うん。できればそうしたい」
「……そっか。じゃあ、私も他の女子と仲良くすべきなのかな」
「仲良くとまではいかなくても、少し話せる関係があった方がいいとは思うよ」
「それはソーイチが望むこと?」
僕の意見に式見はすかさずそう聞き返してくる。
「う、うん」
「……わかった。でも、基本はソーイチと一緒にお昼食べるからね?」
「そうしないと玉子焼き食べれないもんな」
「あー!? せっかく忘れ始めてたのにまた悔しくなってくるじゃない!」
「別に一日くらい食べれなくてもいいじゃないか。ここ数週間は毎日のように食べてたんだし」
「――だからよ」
「えっ?」
「……なんでもない」
そこで会話はひと区切り付いたけど、最後に少しふざけた程度では戻せない微妙な空気が流れていた。
確かに今日の僕は少々強引だった。式見と一旦話してからどうするか決めた方が良かったかもしれない。
だけど、仮にそうやって話した時に、式見が僕と一緒にいる方を選んでしまったら……僕はそれを断れなくなる。式見に優先して貰ったことを……嬉しく思ってしまう。
だから、こうするしかなかったんだ。これをきっかけに式見が女子の友達ができて、授業にもちゃんと出て、噂や勘違いされていない本当の式見恵香を知って貰えたら――
「あっ……」
――ああ、そうか。どうして僕はもっと早く気付かなかったのだろうか。
僕と式見の関係が成り立っているのは、式見に不真面目な部分があったかったからだ。
そんな式見が普通に授業に出て、みんなから受け入れられるようになったら、それは僕が中学二年生の頃からずっと考えてきた、当たり前のことができて、僕よりも優れた存在になってしまう。
特技や美点を持つ式見は……ちゃんとしていれば、そうなれるだけの存在なんだ。
ここ最近で感じていた僕の不安は、式見に対する劣等感だった。
自分よりも上の存在がいると、同列に並ぶのを忍びなく思ってしまう、僕の根っこの部分にある面倒な性格のせいだった。
式見の面倒を見なければならないという大義名分が無くなった今。
僕は、僕よりも優れている式見と、一緒にいられないと思っているんだ。
「ソーイチ……?」
「……色々言ったけど、式見が頼ろうとしてくれたのに、それを無視するようなことをしたのは良くなかった。ごめん」
「急にどうしたの? まぁ、多少思うところはあったけど……」
「本当にごめん……僕が悪かった」
「そ、そこまで思い詰めなくても。もう……ソーイチはそういうとこ真面目だよね。いいよ。私は仏様じゃないから三回よりは多く許してあげる」
「ありがとう……次は絶対に気を付けるから」
式見に失望されないためにも。
そう……今までと違う点が一つだけあるとすれば。式見恵香と既に親しくなってしまって、僕自身が……式見から見限られたくないと思っているところだ。
式見のためにと思って動いていたくせに……僕はなんてあさましいのだろう。
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