3.3
「お兄ちゃーん。式見さんの着換え終わったよー」
式見と朱葉の邂逅から十分後。式見を視界から外しつつ朱葉に正しい情報を教えると、朱葉は「若い二人には色々あるんだよね……」と言って納得してくれた。いや、納得したことにしておいた。
それからいつまでも式見を半裸にしてくわけにもいかないので、朱葉に式見の着替えを任せる。
それは僕が選ぶよりも朱葉の方がいい感じの服を選べると思ったからなんだけど……
「なんで上だけ僕の服なんだよ」
着替え終わった式見は下が朱葉のジャージのズボン、上には僕のシャツを着ていた。朱葉が僕の部屋から漫画を借りることはあるけど、それと同じ感覚で服を持っていくとは思わない。
「いやぁ、式見さんの胸、わたしより大きいからわたしの服合わなくて」
そう言いながら朱葉が目線を移すので、僕も釣られて指摘された部位を見てしまう。
僕が着た時にはできない膨らみがそこにはあった。
「む、胸……」
「もう、お兄ちゃん。胸だけで反応するのはただのむっつりスケベだよ?」
「べ、別に反応なんて……」
「ソーイチはむっつりスケベと……」
「余計なこと覚えるな!」
「でも、オープンスケベではないでしょ。さっき見た時の反応も……」
「えっ!? なんですか!? やっぱりわたしがいない間に何かあったんですか!?」
本日二度目の食い付きを見せる朱葉に、式見はまんざらでもない顔をしながら説明を始める。
初めこそちょっと引き気味だった式見だが、着替え中に交流を深めたのか、朱葉と仲良くなってしまったようだ。
一方の僕はこの数十分のやり取りで学校にいた時よりも疲弊していた。体力よりも精神の疲弊だ。
「えっ……お兄ちゃんやっぱりむっつりスケベじゃないですか」
「でしょ?」
「……もうそれでいいよ」
「落ち込まなくても大丈夫だよ、お兄ちゃん。男子なんてみんなスケベなんだから」
微笑みながら僕を慰める朱葉。だけど、妹には言われたくない台詞だった。
朱葉は中学校だとこの手のネタは控えていると言っているけど、少しでも言っているなら思春期の中三男子達は翻弄されていることだろう。
「制服のシャツは染み抜きして洗濯しておきますね。たぶん一時間もかからないんで」
「何から何までありがとう、アゲハ。この数分だけでアゲハのこと好きになった」
「そ、そんな……照れちゃいます」
「お姉ちゃんって呼びたい気分。年下の姉」
「おお、年上の妹よ」
なんでだよ――とツッコむ気力は残っていなかった。ボケとボケで会話をするんじゃないと思うが、やり取りだけなら二人の相性は良さそうに見える。
「……何だか不思議です。式見さんとは今日初めて会うはずなのに、凄く親しみやすくて――あっ、ごめんなさい。わたし、先輩に対して相当馴れ馴れしくしちゃって……」
そのことは朱葉自身も感じているようだった。普段からコミュ力が高い朱葉でも、さすがに初対面の相手に踏み込み過ぎることはなかったのだろう。一応、式見は先輩でもあるし。
「ううん。全然気にしてないわ。むしろ、こうなりそうだと思っていたから」
「こうなりそう……ですか?」
「ええ。だって、ソーイチの妹なんだから」
式見は薄く笑いながら僕を見る。朱葉の存在を知ったのはついさっきのことなのに、そんなことを言うのは、失礼なことをしたと思っている朱葉に対する気遣いか。それとも……言葉のままの意味か。
ただ、それを聞いた朱葉は「きゃー!」と見当違いの反応を見せる。
式見が狙っていたのはこれだったか。
「ではでは、邪魔なわたしはそろそろ部屋に戻って、あとはお若いお二人で……」
「朱葉。いい加減にしてくれ」
「はーい。冗談は置いといて、ゆっくりしていってくださいね、式見さん」
「うん。そうさせて貰うわ」
朱葉は僕と式見に期待の眼差しを向けながらリビングを出ていった。
本当に困った妹だ。下ネタ寄りの思考さえなければ、どこに出しても恥ずかしくないと思うんだけど。
「とっても可愛い妹さんね」
「嘘だろ!? ここまでのやり取りでそのシンプルな感想になるのか!?」
「あら、私から見れば全ての言動がチャーミングに思えたけど。ソーイチはアゲハのこと可愛がってないの?」
「そうは言ってない。僕よりできた……いい妹だよ」
「素直でいいじゃない。それはそれとして……どう、私の恰好?」
式見は立ち上がりながら服装を見せつけるように腕を広げる。
下はジャージのズボンでウエスト的には問題無さそうだが、上は春先に着る厚手のシャツなので、袖や裾の辺りはかなりダボっとしている。
「どうと言われても……他に合う上着はなかったのかと」
「もう、そうじゃないでしょ。こういうのを彼シャツって言うんじゃない」
「いや、僕は彼氏じゃないから、サイズの合っていない男性用シャツを着ているだけだ」
「言い換えるだけで微塵もロマンが無くなるわね……ソーイチは好きじゃないの、こういうやつ?」
「別に。何も思うことはない」
嘘だった。いや、前々から好みであったわけではないが、目の前で式見が僕のシャツを着ているという事実は、否応なしに色々なことを意識させる。
朱葉は胸のサイズがどうとか言っていたが、僕のシャツになったところでそれが完全に解決されたわけではなく、過程を知らない僕にはむしろ強調されているように見えてしまった。
そして、シャワーを浴びる前の情報からすると、式見はブラジャーをしていないはずだから――
「……そ、それよりもその恰好で本当に寒くないか? ちゃんと髪は乾かしたのか?」
「うん。十分。髪も着替える前にドライヤー貸して貰ったから」
「そ、そうか」
「……ねぇ、ソーイチ」
「はい!?」
式見はわざわざ僕に近寄りながら話しかけるので、僕は大げさに驚いてしまう。
その恰好で傍に来られるのは………心臓に悪い。
「今度は絶対にこぼさないから……何か飲み物を貰えない? シャワーで温まったら……喉渇いちゃって。一番消費期限が近いやつでいいから……」
「わ、わかった」
用件を聞き終わると、僕はすぐさま立ち上がって再び冷蔵庫からミルクティーを取り出す。
今度はストローでも付けて出してやるべきか――いや、今考えるべきはそこじゃない。
家に上げてから色々起こって忘れていたけど、結局、式見は何の用事で僕の家までやって来たのだろう。
僕の家に何となく興味があった? 久しぶりに家へ帰る感覚を味わいたかった?
そうじゃないのなら――今日の僕がボーっと考えていたことに関係があるのか。
――そうだ。せっかく学校ではない場所にいるのだから、直接本人に聞いてみればいいじゃないか。ここなら適当な噂も勘繰るような目線もなく話せる。最も式見がそれを気にしているかと言われたらそうでもなさそうなんだけど。
「式見、ちょっと話が……」
「……すー……すー……」
しかし、僕がミルクティーを持ってきた頃には、式見は机の上に伏せて寝息を立てていた。
授業中でも居眠りだけはしなかった式見がソファーにも座らずに寝てしまったのは、シャワーを浴びたせいか、色々はしゃいでいたせいか。
「……まったく」
せっかく用意してきたというのに、式見はなかなか僕の思う通りにはなってくれない。
でも、安心したような穏やかな寝顔を見たら、文句は言えなかった。家に上がった時、口にした感想は本当の言葉だったのだろう。
それなら少しくらいは懐かしさに浸らせてやるか。
少しくらい……
ほんの少し…………
あと三十分くらいは……………………
………………………………
「いつまで寝とるんじゃあ!!!」
「……ふえ?」
「ふふふ。本当にぐっすりだったね」
気が付けば時刻は十九時前。朱葉もリビングに戻って来ていた。
その間に何度か起こそうとしたけど、あまりに気持ち良さそうに寝ているから悪いと思うのを繰り返して、僕がようやく起こそうと決心した時も、朱葉に何回か止められてしまっていた。
「……ぐっもーにん。ソーイチ、寝覚めにいい音楽かけて」
「朝じゃないし、僕は人工知能みたいな指示は受け付けない」
「じゃあ、歌って」
「じゃあじゃないが。ほら、とっと起きて家に帰れ」
「えっ。お兄ちゃん、式見さんのこと帰すつもりだったの!?」
意外そうな顔で驚く朱葉。逆に何で帰さないつもりなんだ、と僕は口には出さずに目で訴える。言ったらどうぜ式見と組んで面倒くさいことになるから。
「せっかくお母さんにも連絡入れたのになぁ……」
「はぁ!? 何勝手なことしてんの!?」
「いい時間だから一緒に晩ご飯食べたらいいと思って。式見さん、一人暮らしなんですよね?」
「そう……私は一人寂しい暮らし……」
式見はわざとらしい合いの手を入れる。
「ほら、お兄ちゃん。式見さんは毎日一人で晩ご飯食べてるんだし、たまには賑やかな食卓に誘ってあげてもいいんじゃない?」
恐らく朱葉は完全に善意でそう言っているが、式見の方はそれを上手く誘導しているような気がする。身内に甘いわけではなく、二人の性格と傾向から考えたことだ。
「いや、式見は一人で食べるの平気なタイプだし、ちょっと前まで昼ご飯も一人で――」
「うん。今は毎日ソーイチと一緒だけど」
「ええっ!? そんな話聞いてないんですけど!? だったら、なおさら晩ご飯も食べて貰おうよ、お兄ちゃん!」
またしても陽キャオーラを出した朱葉に、僕は押され始める。
いや、僕だって別に式見と晩ご飯を共にするのが嫌なわけじゃない。
僕が気にしているのは、このままだと朱葉だけでなく、母さんにまで式見を知られて……
「ただいま~ そーちゃんが女の子捕まえてうちに来たってあげはちゃんから聞いたんだけど――あらあらあら~!」
僕の思いは天に届かず、両手に買い物袋を持った母さんは玄関で止まらずにリビングへ帰って来た。
明らかにいつもより帰ってくるのが早いが!?
親子揃ってどうしてそうなんだよ!?
「初めまして。ソーちゃんに捕まった女の子です」
「変な言い方するな!」
「最初に言ったのはソーイチママの方なんだけど」
「うっ……それは……」
「初めまして~ そーいちママです~」
「……柊一家、ソーイチ以外はこんなテンション?」
自分で振っておきながら母さんの反応にちょっとびっくりする式見。少なくとも父さんはこうではないので、朱葉の性格は母さんの遺伝子を濃く受け継いだのだろう。
すると、荷物を置いた母さんは改めて式見に声をかける。
「式見ちゃん。違ってたら悪いんだけど、もしかして、あなたがわたしの玉子焼きを気に入ってくれてるお友達?」
「えっ。あっ、はい。たぶん……私です」
突然の質問に式見は驚きながらも答える。一方、僕は一気に心臓の鼓動が早くなった。
「じゃあ、今日の晩ご飯にも玉子焼き作っちゃおうかしら。もうちょっとだけ待っててね」
母さんはそう言ってキッチンの方へ行き、朱葉も手伝うために付いて行った。
リビングに残された僕と式見の間には、気まずい空気が流れる。
「……ソーイチ」
「な、なんだよ……」
「……ううん。なんでもない」
式見は明らかに何か言いたげだったけど、敢えて引っ込めてくれたらしい。
ただ、僕の焦りと羞恥は収まらなかった。
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