3.2

「ここがソーイチのハウスね」

 学校から出て約十五分後。式見の目的地に辿り着く前に我が家に到着した。この学校からの程よい距離間が今の高校を選んだ理由でもある。

 そんな僕のハウスを観察した式見は、

「築十年といったところかしら」

 と、得意げな顔で言う。

「他人の家を見て最初の感想それなのか。まぁ、僕が五歳の時に建てたらしいから、だいたい合ってるけど」

「ふふん、見る目があるでしょ」

「僕の基準にはない褒めポイントだから褒めづらい」

「そういう褒め言葉として受け取っておくわ。じゃあ、お邪魔しまーす」

「は?」

「え?」

 そのまま敷地内に入っていく式見に僕が驚くと、式見はきょとんした顔で見てくる。

「なんでお邪魔しようとしてるんだ」

「だって、ついさっきソーイチの家の方に用があるって言って納得してたじゃない」

「……もしかして僕の家の方って、方面のことじゃなくて、僕の家自体を言っていたのか……ややこしいな!?」

「オー、ニホンゴッテムズカシイネー」

「純日本人じゃなかったのかよ」

「遺伝子に伝わりやすい日本語の使い方までは刻まれてなかったみたい」

 謝罪の精神よりも刻まれて欲しい情報なのに。おかげで今の僕は大きな勘違いを起こしてしまった。

「だったら、最初から家に行くと言えば……」

「そんなの素直に言ったら、ソーイチは絶対イヤだって言うでしょ」

「それはそうだ」

「でも、ここまで来てしまったらこのまま直帰させるのは何だか気まずい。お茶の一杯くらいなら出してやらんでもない、と真面目なソーイチは思う」

「ぐぬぬ……なぜそんなことばかりに頭を回してしまうんだ」

「褒めないでよ」

「何でもポジティブに捉えられるところだけなら褒めてやる」

「ありがと。それで……ソーイチは私に家へ上がられると不都合なことがあるの?」

「それは――」

「もしも家庭的な事情とかがあるなら私も無理を通すつもりはないわ」

 式見は珍しく常識的なことを言う。その気遣いができるなら、ちょっと騙すような手は使うなと思うけど。

 ただ、式見に自宅まで付いて来て欲しくなかったのは、自分のプライベートな空間に学校の知り合いを連れて来るのが何となく嫌だっただけで、不都合と言えるほどの理由はない。

 そして、式見を家に上げるのを渋ってしまうのは――僕の記憶が正しければ、知り合いの女子を家に上げるのが幼少期以来な気がするからである。

 要するに僕はいつも通り思春期らしい恥ずかしさを覚えていたのだ。

 その一方で、式見の予想通りここまで来てすぐに帰すのは、僕の性格上良くないと思ってしまう。心配していたという言葉も付いて来る口実にしていた可能性はあるけど、心配そうな表情は恐らく嘘ではなかった。

「はぁ……仕方ないか」

「本当に大丈夫? ここからはセーブできないわよ?」

「僕の家でラスボスにならないんだったら上がってもいい」

「わーい、お邪魔しまーす」

 僕が許可するや否や式見は無邪気にはしゃぐ。

 そして、僕が鍵を開けると、玄関に入った式見は大きく伸びをした。

「は~ やっぱり一軒家の玄関だと、家に帰って来たーって感じがするわね」

「一人暮らしになるとそんな感想も浮かんでくるのか……いや、他人の家だとむしろ違和感ないか?」

 最近はその機会を失っているけど、幼少期に他の人の家へ入ると、自分の家と違う間取りと雰囲気のせいか、緊張や居心地の悪さを感じていた。

 式見のようにずかずかと入っていく奴もいるので、僕が気にし過ぎるタイプだとは思うけど、初めての訪問ならそう感じるものだと思っていた。

 それに対して式見は頬に手を当てて少し考えるけど、

「全然ないわ。何ならちょっと懐かしさを感じるくらいだし」

 と言って、遠慮なく上がっていく。

 懐かしさというからには、今の式見はホームシックのような状態なんだろうか。僕も一人暮らしを始めたら、一般的な一軒家の玄関を恋しく思うのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、式見をリビングに通して適当に座るように言うと、僕は飲み物の用意を始める。うちはリビングとキッチンが繋がっているから、式見が座らずにリビング内を興味深く見渡しているのが見えた。

「冷たいミルクティーとオレンジジュース、あとはパックのコーヒーがあるけど、どれがいい?」

「うーん……一番消費期限が近いやつで」

「ありがたいけど、斬新な注文だな。じゃあ、ミルクティーにするか」

「ここに飾ってあるのは小さい頃のソーイチ?」

 式見が見ていたのは壁にいくつかかけられている額縁に入った写真だった。

「うん。母さんが写真撮るの趣味だから。小さい頃からたくさん撮ってるんだ」

「これがまだ純粋だった頃のソーイチ」

「今が純粋じゃないみたいに言うのやめろ。ほら、ミルクティー机に置いとくぞ」

「ありがと。あれ? こっちの可愛らしい女の子は……」

「ああ、妹の朱葉だよ」

「へー、妹さんいたんだ。アゲハ……ってどんな漢字で書くの?」

「朱印の朱に、葉っぱの葉」

「ふむふむ……目元と鼻筋以外は似てないわね」

 式見は直近の成長した朱葉の写真と僕の顔を見比べながら言う。そういう時は似てる部分を言うものだろうと思ったけど……実際、僕と朱葉は兄妹だけど似ていないところの方が多い。性格は真面目寄りだけど、それ以外は全く質が違う。

 そのことを式見に話してやろうと思っていると――

「――あっ」

 目を離している隙に、式見は手を滑らせたのか、コップに入っていたミルクティーを制服のシャツの上にぶちまけていた。

「なっ!? 大丈夫か!?」

「大丈夫。こぼした分は私の胸部装甲が全部吸収したから机も床も無事よ」

「そっちじゃないわ! タオル持ってくるからちょっと待ってろ!」

 僕は急いで洗面所に向かう。一緒にお昼を食べている時も何回か食べ物をこぼすことがあったから、式見は飲み食いに関して少々不器用なところがあると思う。

 その度に、僕がポケットティッシュやハンカチを出すと、式見は「女子力~」と言って……なんで僕は式見との日常を振り返っているんだ。

 これじゃあ、まるで――

「ソーイチ?」

「うわぁ!?」

 いつの間にか洗面所まで来ていた式見を見て、僕は二重の意味で驚く。

 式見は染みが付いてしまったシャツの胸元を開けていて――白い膨らみが見えていたからだ。

 夢にまで見た式見の――いやいや! この言い方だと僕が楽しみにしてたみたいになるじゃないか!

 僕はその部分を直視しないように大きく顔を逸らす。

「待ってろって言っただろ! それにふ……服!」

「下まで染みちゃって肌がべたべたするからもう脱いだ方がいいかと思って」

「良くない! 他に着る物ないだろ!」

「そこはソーイチがシャツか何かを貸してくれたらいいじゃない。ブラもちょっと濡れちゃった」

「ぶ――」

「……ソーイチ、もしかして緊張してるの?」

 からかうような口調で式見は言う。表情は見えないが、恐らくニヤニヤしながら。

「別に見られて減るようなものじゃないのに。それに健全な男子高校生はもっとエチチなヤツいっぱい見てるでしょ」

「そういう問題じゃない!」

「見てるの? もっとエチチなヤツ」

「そ、それはその――」

「……ソーイチ。このままシャワー借りてもいい?」

「なっ!?」

「べたべたして気持ち悪いから洗い流したい」

 今日初めて僕の家に来たばかりの式見が、今からシャワーを……?

 そう考えた瞬間、僕の脳内には具体的な映像がよぎった。

 ――僕も健全な男子高校生だから。

「五分使う度に百円払うから。ダメ?」

「す、水道代の問題じゃない……が、気持ち悪いなら……仕方ないな」

「わーい。よいしょっと……」

「まだ脱ぐなぁ!!! 僕が出て行ってからにしろ!」

 式見がくすくすと笑っている間に、僕は床だけを見て洗面所から脱出すると、すぐさま扉を閉じた。

「それで着替えは何を貸してくれるのー?」

「さ、探してくるから……」

 そう言ってはみるけど、今の僕は式見の着られる物を探せる状態じゃなかった。

 今日は何の変哲もない日だったはずだ。

 式見がうちに来るまでは細かいことに目をつぶれば、問題はなかったと言える。

 それが何故か式見が僕の家で――裸になろうとしている。

 というか――胸を見てしまった。

 すぐに目を逸らしたはずなのに、脳内のスクリーンショットには大きめの画像でそれが保存されている。

 着痩せするタイプだったのか、夢で見た時よりもしっかりと――いや、決してあの夢を脳内で反芻していたわけじゃない。断じて。絶対に。

 だが、今はそれでうろたえている場合じゃない。朱葉が帰って来るまでに染みてしまったシャツを何とかして式見を帰宅させて――

「ただいまー!」

 そう思った瞬間、玄関から無慈悲にも朱葉の声が聞こえてくる。

 いつもなら部活があってもう少し遅い時間に帰ってくるはずだけど、今日に限って早く帰って来てしまった。

「あれ? お兄ちゃーん。誰かお客さんが――」

「朱葉! ちょっとそのまま玄関でストップ!」

「えっ? なんで?」

「なんでも!!!」

 僕はその場で必死に声を出して朱葉を止める。

 この状況は絶対にまずい。

 いきなり女子を家に上げているだけも大変なことなのに、その女子がシャワーの真っ最中なのはどう考えてもややこしいことになる。

 せめて式見がシャワーを終えるまでの時間を――いや、あいつ今着る物ないんだった!

 そ、それならいっそ事情を説明して、朱葉に着る物を選んで貰った方がいいか……?

 どちらにせよ、遭遇してしまう前に僕と式見に関する正しい情報を入れておかないと、朱葉もクラスメイトと同じになってしまう可能性が高い。

 なぜなら――現在中三の朱葉は絶賛そういう話題が気になるお年頃だから。

「改めてただいま、お兄ちゃん」

 玄関まで行くと、朱葉は後ろで結んでいたヘアゴムを外して髪を整えながら待ってくれていた。

 他の家庭がどういう感じかわからないけど、二個下の妹との仲は良好で、兄として立ててくれているのか、僕の言ったことはわりと素直に聞いてくれる。

 それでいて学校ではバスケ部の活発な女子で、クラスの中心に立つことも多いらしいから、真面目なだけの僕とは大違いだ。

「お、おかえり。急に大きな声で止めてごめん」

「ううん。わたしもお客さんがいるのに声かけちゃったから。こっそり入れば良かったんだけど、つい気になっちゃって」

 朱葉は申し訳なさそうに笑う。だが、僕としては声をかけてくれてとても助かった。こっそり入っていたら大事故になっていただろう。

「いや、こっちも急に来ることになって連絡忘れてたから」

「そうなんだ。それで……お客さんって女子だよね?」

 朱葉は玄関にある式見のローファーを見ながら言う。うちでこのタイプの靴を履くのは朱葉しかいないから、すぐに勘付かれてしまったようだ。

「う、うん。その……同級生の女子がちょっとこっちの方に用事があって、うちが近かったから飲み物くらいは出すよってことになって……」

 僕は勘違いしていた内容を上手く織り交ぜながら朱葉に伝える。この短い時間ではそれくらいしか言い訳が思い付かなかった。

 ただ、それを聞いた朱葉は、なぜか嬉しそうな顔になる。

「お兄ちゃんが同級生の女子を!?」

「な、なに、その反応」

「ううん。それより、わたしも挨拶していいかな? 終わったらすぐ自分の部屋に行くから!」

「い、いや、挨拶は……無理にしなくてもいいんじゃないかな……」

「でも、さっき大きな声出して驚いてると思うから謝っておいた方がいいと思うな、わたしは。ね? ちょっと顔見せるだけ!」

 陽キャオーラを前面に出してくる朱葉に、僕は後ずさりしてしまう。これが全く知らない人なら無視できるのだが、妹がやっていると思うと無条件に負けてしまう。

「わ、わかった……挨拶だけなら」

「はーい! あっ、どうしよ。髪結んだままの方が良かったかな?」

「そこは気にしなくてもいいと思う。そ、それよりも……」

「うん?」

 挨拶するならシャワーと着替えの件も伝えなければならない。

 何を気まずく思う必要があるんだ。

 単に事実を伝えればいいだけだ。

 それなら素直な朱葉は――

「あれ? ソーイチ、その子が朱に交わればの朱に、万葉集の葉で……」

 僕が喋り出す前に、恐らく風呂場から出て来たであろう式見が、何食わぬ顔で声をかける。

 その姿はパンツを履いていて、首からかけたタオルで胸を隠していたけど――僕から言わせればほとんど裸だった。

「…………」

「…………」

 それを見た僕と朱葉は当然ながらフリーズする。

 シャワーを浴びて微妙に濡れた髪と少し火照った顔。

 そんな同級生の女子がいる状況を隠すような話し方をしていた僕。

 まるで朱葉が帰ってくるまでの間に、ナニかがあったように見えてしまうような――

「式見!!! お前、なんてこと――」

「お兄ちゃん!!!」

 僕の文句を遮るように朱葉の声が響く。

 その時点で僕は嫌な予感がした。

 僕が家庭内の地位まで失ってしまう――ことではない。

 隣にいる朱葉は失望するのではなく、口角が上がっていた。

 たぶん、次に朱葉の言葉は――

「やっぱり大人の階段上ってた!!!」

「……やってしまった」

 僕が絶望している間に、朱葉は半裸の式見に駆け寄っていく。

「初めまして、妹の柊朱葉です!」

「お、おお。私は式見恵香……」

「式見さん! この度はお兄ちゃんが色んな意味でお世話に――」

「朱葉! やめろ、ストップだ!」

「さすがに二回目は無理だよ!? お兄ちゃんが女子を家に連れ込んでる時点でもしかしてと思ったけど、これはもう動かぬ証拠だよ! お昼からパーリータイムだよ!」

 興奮状態の朱葉を見て僕は文字通り頭を抱えてしまう。

 先ほどのそういう話題が気になるお年頃というのは、色恋沙汰ではあることは間違いないんだけど、朱葉の興味はどこで間違ったのか――下ネタに寄っていた。しかも、その興味を僕の前でもオープンにしてくるからたちが悪い。

「……ソーイチ。私が言うのも何だけど……なかなかの妹さんね」

 その勢いはうかつにお風呂場から出てきた式見もちょっと引いていた。半分は式見のせいなんだけど、なかかの妹という感想には同意する。

「それで……お兄ちゃん、どんな感じでした? 意外と激しいタイプでした?」

「何聞いてんの!?」

「……それはもう凄かったわ」

「嘘を教えるな!!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る