2.5

 その日の授業終わり。無駄に早く登校して一日中式見に振り回されたから、帰宅を早めたいところだったが、ホームルームが終わった後は掃除の時間になる。終わらせなければ平和な放課後は迎えられない。

 そして、今週の掃除場所は二階東側のトイレだから、他の場所よりもちょっとだけ時間がかかる。それは僕が掃除にうるさい性格というわけではなく――

「柊くん……今日も一人で大丈夫?」

 そう聞いてくれたのは、絶賛気まずい空気を継続中の今峰だった。二日前の掃除時間では不自然なほど避けられていたけど、今日は今峰の真面目さが出てしまったのだろう。

 掃除場所の人数の振り分けは基本的に男女三人ずつだが、今の時点でこの場所の男子は僕しかいなかった。それが数日間続いていることに、今峰は思うところがあったのだ。

 その心配は嬉しいけれど、僕としてはそれほど困っていなかった。

「大丈夫。僕は帰宅部で時間あるから」

「そういう問題じゃないのだけれど……」

「楓~ 早く終わらせよー」

「ほら、今峰は演劇部あるんだから」

 僕の言葉に少し不服そうな顔をしながらも今峰は女子側の掃除に合流する。

 一方の僕も入口前に掃除中の看板を立てて、ホースを使って床に水を流し始めた。

(もっと納得して貰う言い方があったかな……)

 同じ掃除場所の男子二人は決して悪い奴ではない。京本ほどではないが、普段から気さくに絡んでくれるし、困った時には助けてくれるタイプだ。

 だが、活発な二人にとって放課後は、部活へ意識が向かう時間になっていた。

 教室の掃除であれば最低限は参加してくれるが、トイレのように掃除したかどうかわかりづらい場所になると、来るのを放棄してしまう。

 でも、二人が掃除をサボりたいと思う気持ちは、良し悪しは別として理解できるし、掃除前には僕に「悪いけど」と断りを入れてくれる。

 だから、僕は二人を無理に引き留めることはできなかった。

 本当に真面目な人なら注意の一つでもするのかもしれないが、事を大きくすると面倒くさいことになるからやる必要はないと思っている。

「――男子の方って個室オンリーじゃないから結構広く感じるわね。面積は恐らく同じなのに」

「へー、そういう感覚の違いが……って、うわぁ!?」

 背後から話しかけてきた式見に僕はまたしても驚く。

 一日に二回も後ろを取ってくるなんて、式見の方がスニーキングミッション上手い……とか言ってる場合じゃない。

「なんで入って来てるんだよ!?」

「掃除中なら他の男子は入って来ないでしょ?」

「いや、看板あっても男子はわりと容赦なく入って来るんだよ……じゃなくて! 普通に男子トイレだから言ってるんだよ!」

「ソーイチ……私がいつから女子だと錯覚していたの?」

「なん……だと」

「ノってくれるんだ?」

「いや、条件反射だ。女子の自覚があるうちに早く出て行け」

「まぁまぁ。男子トイレ掃除する清掃員のおば様もいるんだから細かいことは気にしないで」

 それは清掃員だからいいのであって、一般女子生徒の式見が入っていい理由にならない。

 そして、恐らくこの状況で他の男子が来たら、これまでの流れからして……僕が連れ込んだように言われてしまうだろう。

 だから、早急に退出願いたいところだったが――

「というか、式見の持ち場はどうしたんだ」

「もう終わった……って言うと、私が嘘を付いてるように思われるかもしれないから、正確な情報を伝えると、みんなで終わらせたことになった。ちなみに図書館付近の廊下ね」

「そういうことか……」

「……掃除をサボったのは怒らないの?」

「僕は掃除まで見張れとは言われてないし、放課後は管轄外だ」

「またそれー? もっとカッコいい決め台詞にしておいた方がいいと思うけど」

「別にキャラ付けしたくって言ってるわけじゃない。それに……式見だけの問題じゃないからな。他がサボるようにしたなら合わせた方がいい時もある」

 僕も掃除以外であれば、多少のサボりに付き合うことはある。これも事を大きくしないために必要なことだ。

 でも、式見は僕の答えに納得していなかった。

「じゃあ、他の二人がサボっているのに、ソーイチはどうして一人で掃除してるの? 周りに合わせればいいのに」

「……なんでサボってる前提なんだ。今日は用事があるから先に帰ったんだ」

「ウソ。ソーイチの掃除場所を調べるために班分けを見てきたけど、二人とも今日は元気に授業へ出席していたし、さっきの授業終わりも暫く教室にいたわ。急いで帰るような感じじゃなかった」

 式見はまるで僕がこの嘘を付くとわかっていたかのように即座に否定する。

「……知ってたのか」

「別にソーイチを責めるつもりはないわ。むしろ、ソーイチの方が圧倒的に正しいことをしてるんだから。でも、それだとソーイチは多数決に合わせていないでしょ?」

「いや、そもそも普通は掃除するものだし――」

「だったら、どうしてソーイチは二人を庇うような言い訳をしたの?」

 式見が食い付くように聞いてくるのは、僕の発言が前後で矛盾していると感じたからなのだろうか。

 今は合わせなくてもいい時だと言いたいけど……考えてみれば僕はおかしなことを言っているのかもしれない。

 サボった男子二人が悪い奴じゃないとしても、掃除の前に断りを入れていたとしても、本来やるべき掃除をサボるのは確実に良くないことだ。

 クリーン週間以外だと先生がわざわざ掃除場所に来ることなんてないけど、仮に先生がきちんと掃除をしているか確認しに来たら、二人の評価は落ちてしまうだろう。

 それなら、不和を生じさせることになっても二人に掃除をやらせる方が、サボりを庇うことよりも優しい対応なのかもしれない。

 だけど、僕がそうしないのは――

「自分のため、かな」

「自分のため……?」

「言い訳をしたのは式見が決め付けて言うから、反発してみただけだ。実際のところ、僕は二人が掃除をサボろうが何をしようが、どうでもいいと思ってる。僕さえ掃除をしていれば、僕の評価が落ちることはないんだから」

 一つだけあるとすれば、それこそ「どうして二人がサボるのを引き留めなかったのか」と言われるくらいだろう。それでも先生に引き留めるべきと言われるまでは、僕が率先してやる必要はない。

「……ソーイチ、意外にいい性格してるのね」

「そう思われても仕方ないけど……そんなもんだよ。僕は結構ドライなんだ」

 真面目な奴だと言われていると、優しくて気遣いができると思われがちだけど、僕はそれほどできた人間ではない。親しくしてくれる人を急に切り離したりするし、式見や今峰以外の女子の名前は未だに覚えていないくらいにはドライな部分がある。

 そんな自分の考えをわざわざ口にしたのは――式見を少し遠ざけるためでもあった。

 見張り生活の三日目が終わろうとしているけど、式見との関係はそう簡単に終わらせられそうにないのが今日でよくわかった。

 何ならここまでの言動や性格から考えると、高校生活中に改善しない可能性もある。

 だったら――今の距離感は良くない。僕は式見に深入りしそうになっているし、式見は僕に干渉し過ぎだ。

 僕の最終目標は式見を授業に出席させることではなく、式見と知り合う以前の真面目で一般的な男子生徒に戻ることだから。

 僕はこれ以上式見を知るつもりはないし、式見も僕に興味を示して欲しくない。

 そういう意味で、僕がドライな性格だと教えたかったのだ。

「ソーイチ。私は――」

「おーい。ちょっとトイレ借りていいかー?」

 式見の返事を遮るように男子の声が聞こえてきて、僕は心臓が飛び出そうになった。

 呑気に話している場合じゃなかった!

 式見を男子トイレに滞在させている事実がすっかり頭から抜けていた。

 しかし、先ほども言ったように男子は許可取りなど関係なく入ってくるし、男子トイレの入り口は一つしかない。

「し、式見! 隠れて!」

「えっ? 隠れるってどこに?」

「奥の個室!」

「それなら普通に出て行った方が良くない?」

「良くないの! いいから隠れろ!」

 まともなことを言ってくる式見を僕は奥の方まで押していって、強引に個室に入れる。

 式見が良くても僕は式見と二人で男子トイレにいたことを知られるわけにはいかない。

「よぉ、蒼一。ちょっと借りるぜ」

 ――しかもその男子が京本なら尚更だ。

「なんでわざわざこっちまで来たんだ……」

「いや、掃除場所からはここが一番近いから。まだ床がちょっと濡れてる?」

「だ、だって、掃除中だし……」

 本当は式見と話して手を止めていたせいで、掃除が進んでなかったからだけど。

 サボりを責めるような話をしていたのに、僕も半分くらいはサボっていたのか。

「悪い悪い。というか、蒼一……また一人なのか?」

「も、もちろん! 僕以外には誰もいない!」

「アイツらまたサボったのか。まったく……今度、俺からも言っといてやるけど、蒼一も少しくらいキツめに言ってやってもいいんだぞ? 部活を言い訳にサボるなって」

「それは……京本に任せとくよ。僕より圧があるだろうし」

「褒められてる気がしねぇが、頼られたということにしておく。あっ、そういえば、今日も昼にどこかへ行っててたが……」

「し、喋る暇があったら早く済ませてくれ。いつまでも掃除が終わらない」

「……まぁ、いいか。どうせなら使用料で掃除手伝ってもいいぞ?」

「いや、そこまでは悪いよ。そっちは部活あるんだし」

「そうか。じゃあ、念入りに流して行くから後はよろしく」

 京本は便器の水を流すボタンを数回押してから出て行った。

 掃除中に入ってきたのはともかく、知り合いに対する優しさは京本の方が持ち合わせていたようだ。僕に対してだけでなく、サボっている二人を叱れる優しさを。

 だからこそ普段の京本は気のいい奴なんだが、それ以外の箇所で減点が多過ぎる。京本がモテるためには、加点方式で見てくれる相手が必要なのかもしれない。

 それはともかく、京本がいなくなってから少し間を置いてから、僕は式見に呼びかける。

「式見、もう出ても大丈夫だぞー」

「…………」

「式見……?」

しかし、なかなか返事が返ってこないので、僕は奥の個室まで行って扉を開ける。

「むー……」

 すると、そこには蓋を閉じた洋式トイレに座った式見が、膨れっ面で待ち構えていた。

 隠れさせる時に無理矢理押し込んだのが悪かったのか。

「す、すまん。焦っていたからつい――」

「ソーイチが女の子を男子トイレの個室へ強引に閉じ込めた」

「その言い方は……」

「事実なんだけど?」

「は、はい……」

 元はと言えば男子トイレに来た式見が悪いのだが、バレたくない一心でぞんざいな扱いをしたのは良くなかった。

「せっかく二人でトイレの個室に隠れざるを得ない状況にできそうだったのに」

「怒ってるのそこ!?」

「だって、こんなアブノーマルな状況はそう簡単には再現できないわよ? しかもロッカーとかじゃなくて男子トイレの個室だなんて」

「な、何が言いたいんだよ」

「そこは男子たるソーイチの方がわかってるんじゃないの?」

 式見は含み笑いを見せながらその場から動かずに僕を見つめる。

 言われてみると、立って話していた時よりも男子トイレの個室に座らせている方が何とも言えない背徳感が……いかんいかん! 誘導されるな!

「何なら今からその扉を閉めて二人きりになってもいいけど?」

「なんでだよ! もういなくなってるから早く出ろ!」

「まぁ、冗談はさておき――さっきの話の続き。私はソーイチのことをドライな奴だと思わないわ」

 まだ動かないつもりなのかと思いつつも、式見が予想外の返しをしてくるので僕はそのまま聞いてしまう。

「な、なんで?」

「だって、本当にドライな奴なら最初から庇うようなこと言わないだろうし、私の面倒なんて見るわけないもの」

「そ、それは……」

「どうでもいいと思っているのも本当の気持ちだとは思う。でも、そこに辿り着くまでにソーイチは色々考えてそうだから、最初から突き放してるわけじゃない」

 まるで僕の思考を読んだかのように式見は言う。

 いや、実際に当たっているから、僕は式見に見透かされているのか。

「……今日でソーイチのこと、ちょっとだけわかった気がするわ」

「わ、わかってどうするんだよ」

「どうもこうも相互理解は大事でしょ? ソーイチはこれからも私の面倒を見るんだから」

「ずっと見るわけじゃないが……とりあえず掃除を進めさせてくれ」

「私、掃除手伝ってもいいわよ?」

「いや、邪魔だから帰ってくれ」

「ひどーい! キョウモト君にはそんな対応じゃなかったのにー」

 抗議を始める式見を無視しながら僕は今一度掃除の準備を始める。

 大して変わらない対応をしたつもりだったが――いや、式見ならこれくらい言っても大丈夫だと無意識に思ってしまったのだろう。

 式見には――何を言っても都合よく取られてしまうのだから。

「じゃあ、今日はこのまま帰るけど……明日からは他の人がサボるって言っても、私だけは掃除してから帰るようにする」

「な、なんでわざわざ?」

「だって……その方がソーイチに嫌われないでしょ?」

 そう言いながら式見が見せた微笑みがどういう意味か……僕にはわからなかった。

 別に式見がどうしようが僕には関係ないけど、確かに僕は掃除をサボらない奴の方が好ましく思う。式見がそれをわかった上でやるのは――

「ソーイチ、また明日」

「……ああ。またな」

 出て行く直前まで僕の方を向いていた式見を見送ると、僕はようやく掃除を再開した。

 その頭の中では、式見との今日の出来事が繰り返される。

 話していて疲れるし、面倒くさい時もあるけど、やっぱり何だか悪くない時間。

 式見が僕を少しだけわかったように、僕も式見も少しわかり始めている。

 少なくとも――式見は僕のことを良い奴だと思ってくれていると。

 そんなことを考えながら、十分ほどかけて掃除を終えた僕がトイレから出ると……

「柊くん」

「今峰!? ま、まだいたの――」

「どうして男子トイレから式見さんが出てきたの?」

 僕が喋り終わる前に、今峰は冷静に疑問をぶつける。

 少し圧のある空気から、数十分前に心配してくれた今峰とは別人だと感じさせた。

 よく考えたらトイレでは声が響くから、隣の壁を貫通して僕と式見の話し声が響いていた可能性がある。

そこだけならまだ何とか言い訳を考えられたかもしれないが、式見が出るところを目撃されたのは致命傷だった。

「いや、その――」

「わたしには言えないようなことなんだ」

「ち、違うんだ、今峰。これには深いわけが……」

「ごめんなさい。今日はもう……」

 そう言いながら今峰は早歩きで去ってしまった。

 せっかく悪くない気分で今日を終えられると思ったのに、僕は少しだけ凹んでしまった。

 式見との距離が近づくと、今峰との距離が遠のくのは……何とも言えない。

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