2.2

 昼休み。式見を見張りながら授業を受けるのは思った以上に疲れる。

 どういう風の吹き回しかわからないけど、今日の式見は授業に出席する日かもしれないので、午後からはそれほど注視しなくて良さそうだ。

「今日は何となく中央テラスで昼飯食べようって流れになってるんだけど、蒼一も来るか?」

「そうなのか。ちょうど体が凝ってるし、日の光でも浴び――あれ?」

 京本に声をかけられて身体を伸ばしているうちに、式見は席からいなくなっていた。

 いや、昼休みだからどう行動するのも自由なのだが……僕はまだ式見を完全に信じ切れない。

「すまん。今日はちょっと用事があるから僕はパス。誘ってくれてありがとう」

「おう……って、飯も食わずにどこ行くんだー!?」

 廊下に出た僕は周りを確認すると、早足で進んでいく式見を見つけたので、そのまま後を付いていく。

 すると、式見は階段を上がり始める。しかもその足は三階で止まらずもう一階上、つまりは屋上に続く階段まで進んでいった。

 だけど、この学校の屋上は昼休みだからといって開放されているわけではない。

 怪しいとは思いながらも付いて行くと、その先は施錠された扉で突き当たりになっていた。

 式見はそこで立ち止まってから階段の一番上の段で腰を下ろして、持っていたビニール袋からゼリー飲料を取り出す。

 その状況は――完全なぼっち飯だ。

「……のぞきは趣味が悪いぞ、ソーイチ」

 式見はその場から動かずに指摘する。人気のない屋上前の空間は思った以上に静かだったので、僕の気配は感じ取られてしまったようだ。

「す、すまん。そんなつもりはなかった」

「初犯の言い訳の仕方」

「じゃあ、どう謝罪すればいいんだ」

「そうね。まずは片目を差し出して貰おうかしら。好きな方を選ばせてあげる」

「そこまでしなきゃいけないのか!?」

「何よ。どうせ私がこのままどこかに行ってサボると思って付いて来たんでしょ。まったく、今日はまともに授業受けてたっていうのに」

 式見は少し拗ねた表情になる。

 まともかと言われると物申したくなるところだが、普段サボっていることを考えたら、式見的にはがんばった方なのかもしれない。

 だが、このまま放置して教室に戻るわけにもいかないので、僕はこの状況を探っていく。

「いつもここで食べてるのか?」

「いつもじゃないけど、ほとんどここね。滅多に人来ないし」

「こんな隠れるように食べなくても」

「……私は昼ごはんにそれほど価値を見出していないから、一人でサッと取る方が性に合ってるの。教室でゼリー飲料を食べてたら、お節介な子達が無駄に心配してくるでしょ」

「お節介って。まぁでも、何か言われるのはそうかもしれないな」

「それに――あんまり好きじゃないの。昼休みの騒がしい教室が。一人でいた方が楽」

 そう言った式見は珍しくいつもの活気がない感じだった。

 いや、一日半程度の付き合いしかない僕が「いつもの」なんて言うのは、式見からしたら何様だと思うだろうけど。僕と対面している間の式見は無駄にうるさいばかりだったから。

「そうか……本当にすまんな。邪魔したよ」

「……戻るの?」

「えっ? 一人でいた方が楽なんだろ?」

「それは――まぁ、うん……」

「……ちょっと弁当取ってくるから。さすがに昼ご飯抜きはきつい」

 一人がいいのかと思ったら突然寂しそうな空気を出してくる。

 どっちが本音かと言われたら……たぶん後者だと思うので、僕は付き合ってやることにした。

 三分後、弁当を取って来てから式見より一つ下の段に腰を下ろすと、式見はわざわざ同じ段まで降りて来る。

 しかし、その目線は僕ではなく僕の弁当に注がれていた。

 本日のラインナップは玉子焼き、からあげ、タルタル入りの白身フライ、ほうれん草のごま和え、ちくわの磯部揚げ、焼きブロッコリー、チーズ入りウインナーに――あとは白いご飯に鮭のふりかけなので、特に珍しい料理が入っているわけではない。

「このお弁当は?」

「母さんが作ってくれてる。式見はいつも買ってきてるのか?」

「うん。私、一人暮らしだから」

「へぇ……だとして昼ご飯がゼリー飲料だけは良くないと思うが」

「なんでよ。午後から必要なエネルギーチャージができるってパケに書いてあるじゃない」

「そこは正しいんだろうけど、成長期の高校生に必要なエネルギーが取れてるかと言われたら絶対違うと思う」

「わからないわよ。私の身体はめちゃめちゃコスパいいかもしれないし。どんなデッキにも一枚は入れていいタイプ」

「なぜ汎用カードで例えた。まぁ、本人が十分と思うならこれ以上は何も言わないけど。いただきます」

「玉子焼き……」

 僕が箸を付けようとしたところを、式見は物欲しそうな目で見つめる。

 ――さっきから言ってることがすぐに矛盾してるんだが。変なところで強がりだ。一人暮らしでゼリー飲料を選んでしまうということは、手作りの玉子焼きみたいな料理は久しく食べていない可能性がある。

「……一個食べる?」

「後悔することになるわよ」

「貰おうとする人の台詞じゃない。ほら、取っていいぞ」

「え~ 手が汚れるから食べさせて~」

 式見は少し体をくねらせて可愛い子ぶりながら言う。全然そんなキャラじゃないだろうに。

「何のぶりっ子だよ。潔癖症なのか?」

「ううん、全然。他人の指を咥えられる程度には汚さに抵抗がないわ」

 そういえばそうだった。僕の爪の垢を狙ってきたような奴が潔癖症であるはずがない。

「まさか食べさせる時に指ごと持っていこうと考えて……?」

「いや、さすがにそれはないわ。玉子焼きだけ食べたい」

「なんで引いてるんだよ!? 今までの流れだとそうだったじゃないか!」

「えっ。もしかして、指を咥えられるのに快感を覚え始めてる? しょうがないわね、玉子焼きのお礼にちょっとだけ……」

「……やっぱりあげるのやめるわ」

「ああ!? 待って! 軽い冗談だから!」

「いいから自分の手で取れ」

 さすがにこれ以上言うと本当に貰えないと思ったのか、式見は素直に従う。

「あーむ――あれ? 甘い……」

「うちは砂糖入れるんだ。甘い玉子焼きは苦手だったか?」

「ううん。甘くて美味しい。でも……しょっぱい物も食べたくなってきた」

「……じゃあ、からあげも一個食べていい」

「後悔することになるわよ」

「ああ、からあげはちょっと後悔しそうだ」

 それを皮切りに式見は次々と僕の弁当のおかずに目移りしていき、結局手で掴めるおかずは一個ずつ食べさせてしまった。昼ご飯に価値を見出していない奴の食べ方じゃなかったけど、食べる度にいい反応をするので止められるはずもない。

 おかけで僕の午後からのエネルギーは六割くらいになりそうだ。

「ふぅ、ごちそうさまでした。でも、ソーイチは本当に真面目ね。四六時中見張ってなくてもいいって言われてたのに」

 式見は満足そうな笑みを浮かべながら言う。

「いや、一応はどこへ行くか把握しておいた方がいいかと……」

「ここだけじゃなくて、今日の一時間目からずっと見てたでしょ。後ろから熱い視線を感じたわ」

「わ、わかるものなのか」

「こう見えても私は色んなところが敏感だから」

 どう見えている想定かわからないが、さすがに見過ぎていたか。人の視線は何となく感じ取れるものだから、さっきまでの式見は少々居心地が悪かったかもしれない。

「でも、問題なかったでしょ? ちゃんとソーイチに言われた通りにやった」

「まぁ、うん。何なら先生に当てられてもスムーズに答えられてから、ちょっと感心したよ。あれ、当てられる前の流れとか聞いてなかっただろ」

「よくわかったわね。私を舐め回すように見ていただけあるわ」

「そんな見方はしてないわ。ただ、さすが頭がいいって言われてるだけあると思った」

「……別にあれくらいの問題なら誰でもわかるでしょ」

「パッと見で答えられるなら十分頭いいと思うけど。まぁ、そういうとこ含めて天才少女的には簡単な授業はつまらないのかもしれないけど、今日みたいにこのまま……」

「私は天才じゃないし、頭がいいわけでもない」

 式見は少し語気を強めて言う。

「勝手に周りが言っているだけ。教師も同級生もみんなそう」

「でも、それは式見のことを尊敬や期待して――」

「それで私を説得するつもりならやめておいた方がいいわ」

 その言い方に強い拒否感があった気がしたから、僕は言いかけた言葉を止める。

 おだてればいい方向に持っていけると思ったが、安易だったか。

 よく考えたら式見の天才うんぬんの話は京本と今峰から聞いただけで、詳しい事情は何も知らない。

 それについて謝ろうと思ったけど、先に口を開いたのは式見だった。

「……ごめん。ちょっと言い方に圧があった」

「いや、僕の方こそ……って、謝った!?」

「そんなに驚かないでよ。私は純日本人だから謝罪の精神は遺伝子レベルに刻まれているわ」

「嫌な遺伝子だ……じゃなくて。その……これも怒らせるかもしれないけど、昨日とキャラ変わってないか?」

 失礼ながら昨日見た時点の式見は今の流れで謝るようなタイプだと思えなかったし、そこ以外も今日の式見は何だか柔らかい印象を覚える。昨日が尖り過ぎていたと言われたらそれまでだけど。

 その疑問に対して式見は怒ることなく、澄ました顔で言う。

「どこも変わってないわ。私は病弱でか弱い美少女の式見恵香」

「弱さ表現は一つで十分だ。それで言うなら僕は今日初めて病弱なフリをしているところを見たぞ」

「こほっこほっ……フリなんてひどいわ」

「人の弁当を元気に食い荒らしてからやるなよ。僕が言いたいのは――」

「気まぐれよ。今はこれしか教えてあげない」

 式見はそう言いながら顔を背けてしまった。

昨日よりも信頼を得ているような、そうでもないような。

式見のことがわかりそうでわからない微妙な状況だ。

「そんなことよりソーイチ。昨日の復習はちゃんとやった?」

「えっ? どの教科の話?」

「うーん……強いて言うなら保健体育?」

「保健体育は一学期中にやらないぞ」

「知ってるわよ。でも、調べてないの? 私がソーイチの爪が短いから彼女いるって言った理由」

「……し、調べてないよ」

 わかりやすい嘘だった。式見としては話題をリセットするつもりだったのかもしれないが、どうして昨日の話題の中でそこをピックアップするのか。せっかく現実の式見のハチャメチャな言動で忘れかけていたというのに。

「じゃあ、教えてあげようか? 実は――」

「別に言わなくていい!」

「なんで? 二学期以降の保健体育のテストの点数が二点くらい上がるかもしれないわよ?」

「学校で教えるような内容じゃないだろ……あっ」

「ふーん……やっぱり調べたんだぁ」

 僕を陥れた式見は今日見た中で一番楽しそうな顔になる。

 まさか、爪と彼女の有無の繋がりを濁していたのは、僕が後から調べさせるための罠……って、さすがに回りくどいか。今のは僕の誤魔化しが下手でバレたのだろう。

「う、嘘を付いたのは悪かったが、別に彼女の有無に関係なく男子でも爪を短くする人もいるだろう。ほら、美容師みたいに他人の身体に触れる必要がある職業の人とか」

「急に早口になったけど……何か深いところまで調べちゃった?」

「そ、そんなことはない」

 むしろ、調べた時間で言えば三分もかからなかった。

 だからこそ――あんな夢を見てしまったのが良くない。指を咥えられた事実と情報を調べた前提があっても、他の要素は……僕の欲求でしかないのだから。

「……ねぇ、ソーイチ」

「は、はい!?」

 式見が不意に耳元に近づいてきたので、僕は大仰な反応を見せてしまう。

 ただでさえこんな距離で女子と話すことがないのに、昨日のアレから本物に近づかれると――いかん、変に緊張してきた。

 落ち着くんだ。何か違うことを想像しろ。もしくは数字の羅列を……

「私、あんまり男子と話さない人生を送ってきたんだけど……思春期の男子ってこういうエッチな話が好きなんじゃないの?」

 そんな僕の胸のうちを知らない式見は妙な質問をしてくる。

「い、いや、男女関係なく人によって好みは違うだろう。ぼ、僕もそれほど得意なわけじゃないし」

「ふむふむ。得意じゃないのはイメージ通り」

「どういう意味!?」

「……うん、わかった。今後はなるべく控えるようにする」

「お、おう……?」

 式見が急に落ち着いた様子になったので、僕の焦燥感も引っ込んできた。

 その言い方からすると、式見はこれからも僕と話すつもりがあるのだろうか。それとも純粋に今後の参考にしたかっただけか。

 個人的には式見との関係はあまり長続きさせない方が、色々な面でいいような気がするのだけど。

「さて、いい時間になったし、私はお花を摘みに行ってくるから、ソーイチは先に教室戻ってて」

「そ、そうか、わかった」

 ただ、これは昨日も感じてしまったことだけど――式見と話している瞬間はそれほど悪い感じがしない。

 破天荒な言動が目立つ一方で素直なところもあるし、意地っ張りに見えて人並みに寂しそうにする。そこだけ切り取れば、可愛げがあって、普通のクラスメイトとして接していけるような気がした。


 だが、僕が先に教室に戻ってから数分後。五時間目のチャイムが鳴った時に式見は教室に帰って来なかった。

 いや、たぶんお花を摘むと言った時点で、五時間目に来る気はなかったのだろう。

(あ、あいつやりやがった……!)

「ど、どうした、蒼一。まさか昼飯食べ損ねたのか……?」

 僕の脳内で先ほど言った式見の「きまぐれよ」という言葉が繰り返される。

 今後、式見とお昼ご飯を食べるようなことがあるなら、教室に戻ったのを見届けるまで見張り続けるべきだとわかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る