2.玉子焼きと散歩と掃除時間のトイレ

2.1

 柊しゃぶらせ事件(男子間の勝手な命名)の翌日。

昨日の夢も相まってまだ割り切れない部分もあったが、僕の心配とは裏腹にその件を擦られることはそれほどなかった。

 クラス内の大きな話題ほど消費期限は早いものだし、本人が気にするよりもみんなの他人に対する関心は薄いのかもしれない。

 だが、その中でもこの男だけは違っていた。

「蒼一! 今日こそしゃぶらせ事件の詳細を語って貰うぞ!」

 一番興味を示してくる京本がよりにもよって隣の席だから厄介である。

「もう終わったことだからいいだろ。しつこい男は嫌われるぞ」

「き、嫌われる……なぁ、蒼一。俺がモテないのって、もしかしてこういうとこだったりするのか? 押すな押すなは、押せって意味じゃないのか」

 急に自らの欠点に気付きかける京本。だけど、京本が積極性を失ってしまうと、それはそれで良くない気もするから完全に否定するのは難しいところだ。何事もいい塩梅が一番いい。

 そんなうろたえる京本へ僕が言葉を返す前に、教室内がざわつき始める。

「式見さんだ……」

「朝から来るなんて珍しい……」

 始業のチャイムが鳴る五分前。式見はゆっくりと教室へ入って来た。周りの反応からして始業前に来るのは久しぶりのことらしい。僕はこの一ヶ月ちょっとの間、全く気付いていなかったけど。

 そして、数人の面倒見のいい女子達が式見の元へ駆け寄っていく。

「今日は大丈夫なの、式見さん?」

「……こほっこほっ。う、うん。今日は調子がいい方だから……」

 式見は手で口を覆いながら弱弱しい声で言う。

 ――なんだそのわざとらしい咳は。昨日、僕の前だとそんな演技は一切してなかったぞ。最初から病弱な設定でやっていたのか、それとも後から噂に合わせたのか知らないが、とんでもない噓をついてやがる。

「式見ちゃん、辛そうだな……無理しなくてもいいのに」

「……京本。お前は絶対に知り合ったばかりの女性から、何か買って欲しいと言われても買うなよ。死んだ母親とか病気の父親とか持ち出されても駄目だ」

「なんだ、急に詐欺の話なんかして。俺がそんな露骨な手に騙されるわけないだろ」

 京本からしたら馬鹿にしたように聞こえたかもしれないが、残念ながら目の前で露骨な演技をしている奴に気付けていない。僕も知らない状態で見ていたら騙されていたのかもしれないけど、わかった上で見たらかなりわざとらしい。

 すると、その視線を感じ取られたのか、式見は突然こちらを見て向かって来る。

「し、式見ちゃんがこっちに!? いったい俺に何の用が――」

「おはよ、ソーイチ」

 隣にいる京本は完全にいないものとして、式見は挨拶をすると、僕の返事を待たずに自分の席へ行ってしまった。

 予想外の行動に僕と京本は唖然としてしまう。

 先にスイッチが入ったのは京本の方だった。

「な、なんだよ、今のは!? 匂わせか!? いや、見せつけか!?」

「し、知らん! 単に挨拶しただけだろ!」

「だったら、なんでいきなり下の名前で呼ばれてるんだよ! それと俺は無視!?」

 京本に胸ぐらを掴まれながら問い詰められるけど、僕だってわけがわからなかった。

 四月から同じクラスにいるので初対面というのは本当ならおかしいけど、まともに絡んだのは昨日が初めてで、しかも何とも言えない出会い方をしている。

 それが昨日の今日でこんな風に接してくるのは、どういう心境の変化なんだ。


 そのまま本日の授業が始まっていく中、僕の視線は不本意ながら式見に奪われることになる。

 自分の席に戻った後は大人しく座り、一時間目の英語の授業が始まった時点では、特に問題ないように見えた。

あるとすれば――シャーペンを全く握る気配がないところくらいか。机に肘を付いて掌に頬を乗せている後ろ姿から、つまらなさそうな表情をしていると想像できる。

 ただ、昨日「席に座ってるだけでもなんとかなる」と言ったのは僕だから、そこについては責められない。

 現にクラスメイトの中には、授業に出ている癖に、なぜか板書を取らずに後から写させて欲しいという奴が必ず一人はいるものだ。

「へっくしん! どこの美少女が俺の噂を……?」

 そういう奴でも成績表の授業態度は悪くなかったりするから、先生の目も万能ではない。

 だけど、授業開始から二十分ほど経った頃。僕は式見に対して違和感を覚える。授業が始まってから式見の姿勢が一切変わっていなかったからだ。

 好意的に解釈すれば、集中していると考えられるけど、先生が板書する位置を変えて式見側から見づらくなっても、姿勢を変えようとしなかった。

 ということは――式見は寝ている、もしくは別のことを考えている可能性が高い。まさか本当に座っているだけで押し通すつもりなのか。

 そう思っていると、英語の先生は急に式見を掌で指した。

「式見さん、ここの英文を簡単でいいから訳して貰えるかな?」

 それは式見が授業に集中していないのを察したのか、ランダムに当てられたのかはわからない。けれども、ボーっとしている式見にとって最悪のタイミング……だと僕は思っていた。

「私は明日の午後三時には彼の別荘に到着しているだろう、です」

「はい、とても良い訳ですね。このように未来進行形では未来の予定に対して――」

 授業の流れを途切れさせることなく答えた式見は、尚も姿勢を変えていなかった。

 その後の二時間目から四時間目までの式見の様子を見て、式見が授業に集中していないのは明らかだったので、この時の回答は瞬時に答えたものだとわかる。

 授業態度はともかくとして、頭が良いのは本当なのかもしれない。

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