1.4

 掃除を終えた後の放課後。今峰に言い訳することが不可能であると思った僕は、足早に教室を出ていく。帰宅部なのでいつもと変わらない行動ではあるんだけど、こんなに落ち込んで帰るのは初めてかもしれない。

「まぁまぁ、そんなに落ち込まなくても。遅刻は五分以内で先生も大目に見てくれたんだから」

 そんな僕の帰宅路になぜか式見が付いて来ていた。

 しかも先ほどの件が何でもなかったかのように、馴れ馴れしく話しかけてくる。

「そこを気にしてるんじゃない。お前のせいでクラス内の地位を失ったことを嘆いてるんだ!」

「別に指を咥えられた程度じゃ何ともないと思うけど」

「何ともあるんだよ! 実際に色々言われたり、引かれたりしたじゃないか!」

「でも、悪いのは私だからソーイチの印象は変わらないんじゃない」

「な、なんで急に名前を……」

「名前は呼ぶためにあるものでしょ。ソーイチは私の名前知らないの?」

 式見は僕の隣に並んで歩きながら、けろっとした表情でそう言ってくる。

 僕が言いたいのは……女子からいきなり名前呼びをされるとドキッとすることなのだが、それを説明するのはどう考えてもダサい。

「し、式見恵香っていう名前は知ってる。あとはサボり魔なことくらいしか知らないが」

「おお、私の名前と特徴を覚えてるなんて……まさか私のこと好き?」

「どんな自惚れ方だよ。クラスメイトの苗字くらいはわかる」

「名前は?」

「……ちょっと自信ない」

 男子は接する機会が多いから覚えられるけど、女子のフルネームは少々怪しいところがある。式見の名前だって今日のことが無ければ、覚えられなかったかもしれない。

 そう言いながら僕はまた式見の会話に流されていることに気付く。

「って、その話はどうでもいい! 何でまた指を咥えたいだなんて言い出したんだ!」

「それは追々話すから」

「駄目だ。今話せ」

「こわーい。まぁ、簡単に言うと……私の感覚が正しかったか確認したかったの。結果発表もしておくと、やっぱり感覚は正しかった」

「わけがわからん……」

「ついでに爪の垢もあれば良かったけど、小指も綺麗だったから残念」

「残念がるな。指が清潔なのはいい事だろう」

 僕がそう返すと、式見は僕の指を見つめてくるので、今日の出来事から僕は咄嗟に手を隠してしまう。また噛み付かれたりでもしたらたまったものではない。

「確かにソーイチの指は綺麗ね。爪も短めに切られてる。つまりは……彼女いるってこと?」

「は? なんで?」

「……ソーイチ、そこに関しても真面目なんだ。へぇ~」

 式見はそう言いながら含み笑いを見せる。どういう意味かわからないけど、なぜか馬鹿にされている気がする。

「は、話を戻すけど、爪の垢を煎じて飲むっていうのはたとえ話なんだから、本当に飲もうとするのは――」

「あら。臓器移植された人がドナーの性格や趣向を受け継ぐこともあるんだから、他人の身体の一部を取り込むことで自分が変わる可能性は十分あると思うけど?」

「それは……単なる思い込みだろ」

「思い込みだとしても、実際に起こった事例があるのだから、他人の身体の一部を取り込む行為が影響を与えるところは変わりないじゃない。爪の垢の文言も本来は汚い物でも、優れた人の一部と思って飲めば、その人に近づけるかもしれないって意味だし」

 そう言われると……爪の垢を煎じて飲むのは別に間違いじゃないのか?

 身体に良い薬と思って飲めば、何でもない物でも本来はない効果を発揮することもあるらしい。人間の思い込むことで生じる力は馬鹿にできない。

 ただ、ここで式見の意見が正しいと認めてしまうのは悔しいので、僕は少しだけ考えてから良い返しを思い付く。

「……だとしたら今の式見には効果ないだろ。真面目になろうだなんて思ってないんだから」

「そこはまぁ……思い込みじゃない爪の垢の特殊効果に期待するしかないかも」

「特殊効果て」

「うーん……じゃあ、魔術的効果? どこかの国の女王が若い処女の血を浴びることで肌を若返らせるってやつ……いや、これも結局は黒魔術の信仰だから思い込みに分類されるのかな?」

「一気にうさんくさくなったな……」

 その系統の話は現実にあった部分と創作が混ざっているだろうから、説得力が急に落ちてしまう。

 ――って、何を僕は式見と普通に会話しているんだ。さっきまでこいつの所業にムカついていたはずなのに。

「それがダメなら――」

「もう爪の垢うんぬんの話はいい。というか、いつまで付いて来てるんだ」

「いつまでって、私の面倒見てくれるんでしょ?」

「放課後は管轄外だ」

「何よ。せっかく逆方向まで付いて来たのに」

「勝手に付いて来ただけだろ」

「ちぇー じゃあ、帰りますぅ。帰ればいいんでしょ」

 露骨に拗ねた態度になる式見。傍若無人が過ぎるぞ、こいつ。

「……ちなみに明日は学校に来るのか?」

「行くわよ。学生だもん」

「じゃあ、授業にも出ればいいだろ。天才少女か何か知らないけど、席に座ってるだけでもなんとかなるんだから」

 僕が何の気なしそう言うと、式見は露骨に顔を歪める。

「……その呼び方知ってたんだ」

「いや、今日聞いた話だから詳しいことは知らないし、仮にそうだとしたら馬鹿と天才は紙一重っていうのを体験してると思ってる」

「褒めないでよ」

「どこも褒めてないが!?」

「それより座ってるだけでいいだなんて、真面目な模範生徒クンが言っていいの? そっちの方がイメージダウンだと思うけど」

「……別に。僕も板書と先生の話を聞いている以外は座ってるだけだし」

 付け加えるなら、僕の成績が特別優秀かと言われるとそうでもない。高く見積もっても中の上くらいだ。

 真面目にやっていても全てが身に付くわけではない……と言いたいところだが、今峰は非常に成績優秀だった。つまりは、僕の要領が悪いだけなのだろう。自分で言って悲しくなるが。

 それこそ式見が本当に天才少女なら、授業なんて聞いていなくても良い点数が取れてしまうのかもしれない。

 そう考えると、式見がサボっているのも納得……しちゃいけないわ。どんな形でも授業は出るべきだ。内申点うんぬんは関係なく、学生として。

「ふーん……まぁ、それに従うかは今後のソーイチの働き次第ね。それか、爪の垢の効果次第」

「まだ言うか」

「ふふっ。じゃあね、ソーイチ。また明日」

 式見は自然な笑顔を見せて手を振ってくる。

「お、おう。また……」

 そういう感じで来ると思っていなかった僕は少し面食らってしまう。

 しかも、挨拶を返した瞬間の僕は、この状況が何だか悪くないように感じてしまっていた。

 あれだけ振り回されたはずなのに。イラつくこともたくさんあったはずなのに。

 ――たぶん、僕は疲れているんだ。これも全部式見って奴が悪い。

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