いや、むしろハンムラビ法典でしょ
どですかでん
いや、むしろハンムラビ法典でしょ(未完)
高速をぬけて、文字を追うとバスに酔うてくる。エンジンのゆれで、ターミナルに着くころには胸焼け、膝に放り出した文庫が落ちていた。
ふたりだけになった。せかされるようによろよろと立ちあがって、胸間を押さえながら、相手のふとももをつま先でちょちょっと突いた。ぴくんとはねる魚。
「んあ」
「はよ降りるぞ」
いうと、快諾の「んあ」。
茨城空港は
さっさと手続きを済ませて検査場を通り、ちんたらやってる八代をスマホで撮った。搭乗口から格安航空会社の飛行機に乗りこむ。シートベルトを締め、発つまでのあいだ、ツイッターのフォロワーから見るように薦められていた動画を流す。サントリーゴールド900のCM。
――ソ・ソ・ソクラテスか
プラトンか
ニ・ニ・ニーチェか
サルトルか
――シェ・シェ・シェイクスピアか
西鶴か
ギョ・ギョ・ギョエテか
シルレルか
野坂
はじめて読んだSFはカート・ヴォネガットの「バーンハウス心霊力についてのレポート」である。なにしろはじめてなので、刷り込み現象でいくぶん記憶が
でもそれ以降、SFはよんでない。クルマが空飛んだり火星に行ったりしても、設定された年代が二〇〇九年だったりしたらむなしい。古い作品をわざわざひっぱって、あの機械もあの現象も予言されていたとつばをとばす連中も気に食わない。
つまるところ、自分のまわりにそういう人しかいなかったわけで、友人の八代はスマホをみれば、あ、ドラえもんの道具、イラストAIをみればドラえもんの道具、なにかとドラえもんのせいにしたがり、肝腎の機械猫じたいはいつまでたっても実現しないのだからばからしいのである。
離陸し、となりで八代がつぶやいた。
「あ、くもだ」
シートベルトのランプが消えたあたりで、立ち上がった男がスマホを片手に、いたたまれずにトイレに駈けこんだ。格安航空会社だから映画とかを見れるわけでもなく、ただ時間をつぶすしかない。その時、向こうで悲鳴が上がった。
「おい、コックピットへつれてけ。わめくな!」
通路に顔を出すも、カーテンでさえぎって向こうが見えない。みな頭をもたげた。
「そこをどけッ。邪魔だ」
カーテンが勢いよくあおられて、トイレに入ろうとした中年の男性が背中のシャツから床へ転がってきた。強打した頭を押さえて
「な、なにするッ!」
「うるさいッ! 黙れ!」
一瞬ひるがえったカーテンから諸手を挙げたCA、そしてうしろの眼鏡の男がろくに断髪していない寝癖の髪をふりかざまわして、どついているのが見える。
「火だ」
「火だね」
ざわついた。
右手に火が見える。眼鏡の男より奥の角にいた男性CAがとっさに片手に販売用の紙コップをもって、中身をぶちまけた。炎までとどかず、あたりの乗客が濡れた。
「ばか野郎!」
男はそういって、悲鳴が上がる乗客のあいだに右手の火の棒を投げるそぶりをみせた。CAはとりみだして、販売の台車から手当りしだいに飲み物を開けてぶちまけようとする。
「やめろッ!」
その時、うしろにいる女が叫んだ。みんながうしろをふりむく。
「それは酒だ!」
たちまちカーテンが燃えあがった。酒という声に反応した男があわてて棒を手放したのだ。
犯人の男は炎を横目ですがめつつ、女性のCAをこづく。奥のコックピットへ侵入しようと動く。
「待てッ」
さっき叫んだ女がカーテンに近づく。
「あ」思わず声に出た。
「どしたの」
八代が小声で聞く。
「あれ、さっきの――」
超過料金を支払わされていた女性客だ。背がたかく、テンガロンハットみたいなのをかぶっている。西洋のガンマン風だ。
「ふむ」かがんで足下でまだ燃えている棒をひろいあげた。「なるほど」
「おい、なにしてんだ! いますぐ席に坐れ!」
男がまたにぎった棒をふりかざす。さきほどとおなじ短い棒をどこからか取り出したようだ。
女性は後方で様子を見ていた男性CAに小走りでかけよって小声で話しかけた。CAは首をふってすなおにしたがう。もはや難色を示すべき時ではないと、たががはずれているようだ。
わたしもなにがなんだかという感じで、ハッとするひまもないほどだった。八代はずっと通路のほうへ首を長くしている。ガンマンの女性は手をメガホンにして周囲に大声で叫んだ。
「みなさん! いまからシートベルトをして這いつくばってください! トイレ行きたいひとも我慢してください!」
だれも声を上げなかった。ただ男だけが、つり下がった燃えかすの向こうでわめく。後方のテンガロンハットの女性はうなずいてCAに合図した。のっぺらぼうのようになっている男性CAはダッシュして、飛行機の先端のすぼまったコックピットのカーテンへと入っていった。
しばらくして機体が鳥を落す勢いで急降下した。
浮いた。体にものすごい力がはたらき、犯人と女性のCAは派手にドスンとしりもちをついた。思わず棒先の火が消えた。
「ど、どういうことだ」
男は手を見つめながら白い顔をしてつぶやいた。
「わはははははははははははははははははははははははっははははははっははははっはははっは」
すると金切り声にも似た高笑いがひびいた。首をまげると、女がテンガロンハットをさっと脱いで、逆さに手に持っていた。
「あッ」
禿げである。八代の目が太陽の黒点よりも小さくなった。女はテンガロンのつばをたたきながら、
「わたしは暴力学教授、丸亀太郎。むかし山田山という相撲取りのとっさの判断で、油性ペンに火をつけられてグロウブ号のなかで息絶えた、と思われている。だからきみがふたたび油性ペンに炎をつけたとき、あの光景がフラッシュバックした!
しかしね、暴力学をまなんでると、解決法もわかるもんだよ。ちょうど星新一をよんでいたことが幸いしたね! おまえの盲点は、ここが機内だということ。火は、酸素の供給をつねに必須とする! つまり、無重力になれば空気は供給されないのだ!
これが大型ジャンボジェットだったら無理だろうがな、おまえが格安航空会社なんかえらんだせいだ! 比較的容易に無重力状態が再現できたよ! ははははは!」
しかしどうみても女性なのだ。全体的に陶芸型の
手持ち無沙汰になった男にCAや乗客ががんじがらめに組みついた。捕獲! 捕獲! という声が甲高く上がった。
飛行機は緊急着陸する間もなく、目的地の神戸についた。
残暑のきびしさを増すさなか、大阪万博博覧会は盛況をきわめて、駅の手前では切符の転売屋の中年が腕をまくって汗をかいている。ロータリーを外国人らが群れて行動する。なごやかな顔つきで、眼光を
神戸から大阪についたばかりで、ふたりは駅前の蕎麦屋のまえでたたずんだ。
あの丸亀太郎に思考が釘づけになっている。目のまえの万博よりも機内の様子がありありと浮かんでくる。八代もぼうっと大阪のにぎわいを見ていた。
丸亀太郎と名乗りながら女にしか見えないのが、まずひどく気になった。戦前、徴集をかけたさいに赤紙が届いたといって、女性が招集にきたという事例がある。赤ん坊のときに性別がわからず、適当に役所に提出したのがそのままになっていたという。しかし、それはそれである。
とりあえず大阪に着いたらお好み焼きでも食べるつもりで、あらかじめ予約した店の場所を確認した。あたりの地理には不得手で、方向音痴も重なり自信はない。
【未完】
このあと多元宇宙SFへと発展します。
いや、むしろハンムラビ法典でしょ どですかでん @winsburg
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