第10話:寄らば怪樹の陰④
――がこぉんッ!!
『ぎゃひん!!!』
えっ、と思って振り返ろうとしたところを引き寄せられたのと、視界の端から何かがものすごい速さで飛んでいったのと。それが直撃した茂みの中から間抜けな悲鳴が聞こえたのは、ほとんど同時だった。とっさに身を固くしたユフィの頭上から、ため息交じりの声が降ってくる。
「……よし、間に合ったか。ユーフェミア、驚かせてごめんな」
「い、いえいえ、わたしは平気ですので……あの、今のは?」
「さあ。少なくとも犬や猫の声じゃなかったようだが」
全くの偶然だが、ほとんど抱きしめられる形になったため、先ほどにも増して体温がやばい。必死で動揺を抑え込んで答えたユフィに、こちらはあっさり緊張を解いたクライヴがこともなげに返してくる。そのまま茂みの方に歩いていくのを、手元の巾着モドキをしっかり抱え込んで追いかける。
ほぼ真上から見下ろすと、何か丸っこいものがうずくまっているのがわかった。確かに犬や猫とは質感からして違う、ぷにっとしたシルエットだ。これはもしや、
「……ああ、マイコニドかぁ」
「こいつも知ってるのか? 本当に博識なんだな」
「いっ!? いやあの、母から教えてもらっただけなので!」
またしてもさらっと褒めてくるのを必死で謙遜しておいて、これ以上赤くなる前にと急いでしゃがみ込んだ。ここ十年ほど褒め言葉と極めて縁の薄い生活を送っていたので、ちょっとしたことでも心臓に過度の負荷がかかるのだ。そろそろ勘弁してほしい。
それはさておき、今目の前でひっくり返っているぷにぷにした物体、改めマイコニドである。いわばお化けキノコの一種で、大きさは両手で抱きかかえられる程度、淡い黄色の軸に分厚いまだら模様のカサという格好だ。軸の上の方にちょこんとした目と口があり、気を失っているらしき今は瞼が半分閉じている。傍らには井戸で水を汲むときに使うような、片手で持てる大きさの桶が転がっていた。どうやらクライヴが投げつけたのはこれだったらしい。
にしても、だ。おかしくないか、この状況。
「マイコニドって、もっとじめじめして人っ気のない場所……例えば森の奥とか、沼や池のほとりみたいな湿地帯とか、そういうとこに棲んでるんじゃないですっけ?」
「そうだな。そもそもここに限らず、王都近郊の邸街はもれなく魔物除けの結界の中だ。さほど高レベルの魔物でもなし、迷い込んだにしても不自然だな」
「ですよねえ……」
『……う、う゛~~~~ん』
「あっ、起きそう」
まぎれもなく目の前の物体から発せられたうなり声は、子どもみたいに甲高くて可愛らしいものだった。クライヴがすかさず前に出ようとしたのを、ちょっと思いついたことがあったので袖を引っ張って止める。お化けキノコのカサを両側から掴んで持ち上げて、待つことしばし。
『…………、はっ!? ここは誰でオレはどこっスか!?』
「残念ながら両方間違ってるよー。おはようキノコさん、元気で何より」
『はうあっ!? に、ニンゲン!?!』
本来はぴょん、とジャンプする予定だったんだろう。軸の端っこをびちっ!! と勢いよく振って目覚めたマイコニドは、起き抜けの一言にすかさずツッコミを入れられた瞬間に硬直した。ぎぎぎぎ、と錆びついた幻聴が聞こえそうな仕草で見上げてくるあたり、なかなかリアクションの愉快な子らしい。
『お、おおおおおオレをどうするつもりっスか!?』
「ううん、別に? ただどこから来たかとか、何しに来たのかとか聞いてみたいだけ」
『尋問する気マンマンじゃないっスかぁ!! なななな何されたって吐かねえっスよ、無駄っスからね!!』
「ええー? うーん、困ったなあ。そんじゃ奥の手出そっかな」
『……お、おくのて??』
聞き捨てならない一言に、じたばたしていたマイコニドが一瞬静かになる。おそるおそる復唱したのにうん、とこっくり頷いて、
「今すぐいうこと聞かなきゃ
『い゛ぃ~~やぁ~~~~っっ!?!?』
真顔できっぱり言い放ったところ、さっきとは比べ物にならない本気の絶叫が発生した。背後でツボに入ったらしいクライヴが吹き出す声が聞こえる。
……キノコをはじめとする菌糸類の大敵は、乾燥と炎熱、そしてアルコールや酢酸の殺菌効果だ。庭の景観が崩れるのを防ぐため、造園の際に陰になる場所には木酢液などを薄めて撒いたりする。魔物にどこまで効くかは未知数だったが、この様子じゃ相当怖いようだ。よし、行ける!
「というわけで、キノコの丸焼きもしくはマリネになりたくなかったらきりきり吐く! もしくは案内しなさい、いいわね!?」
『うううううう、わかったっスようぅ……魔物の尊厳は保ったまんまで死にたいっス~~……』
限界まで顔を近づけて凄んだユフィに本気を感じたのだろう。カサをがっちり掴まれて逃げることも出来ないマイコニドは、つぶらな瞳からだーっ、と滂沱の涙をこぼしながら承諾してくれたのだった。……正直、ちょっとやりすぎた気がしなくもない。
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