第9話:寄らば怪樹の陰③


 「おはよう、元気そうで安心した。もっとゆっくり寝ていてよかったんだぞ」

 「は、はい、もう全然平気です。早起きは癖みたいなもので……あの、クライヴ様は?」

 「うん、花の水やり。今日はよく晴れそうだし、今のうちに追肥して雑草も取っておこうと思って」

 勝手に出歩いたのを叱られるかと思いきや、にこっと笑って自然に気遣われて、逆に焦って聞き返してしまった。それに嫌な顔一つせず、むしろどこか楽しそうな様子で答えてくれる相手である。

 汚れてもいいようにだろう、簡素な暗い色のシャツにズボンという格好で、長袖をまくって園芸用の手袋までしている。これで麦わらで編んだ帽子でも被せれば、完全に園丁さんスタイルの出来上がりだ。そして今の発言を聞くに、今日たまたまやっていたのではない。この人、自分から率先して庭作業をするタイプだ。仮にも貴族の一員としてはかなり珍しい趣味である。

 もっとも、自力で裏庭を開墾してプチ庭園を造ってしまったユフィにとっては、嬉しい情報でしかないが。

 (やった、このお兄さん同じ趣味の人だ! 少なくとも話はものすごく合いそう!!)

 ぱあああ、と自覚なく顔を輝かせた彼女に、昨日のごとく穏やかな顔つきをほころばせたクライヴが手招きしてきた。遠慮がちにそうっと寄って行くと、ちょうど目の前の一抱えほどあるバラが咲きかけている。珍しいことに、膨らんだつぼみは先端から淡い青に染まっていた。よく晴れた春空のような、澄んだ優しい色合いだ。

 「わあ、綺麗ですね」

 「この調子なら、ちょうど式の時に使えそうだと思ってな。ほら、花嫁は青いものがいるだろ?」

 「……ああ! 四つの品物」

 新婦が持って式に臨むと幸せになる、とされている品のことだ。何か古いもの、新しいもの、借りたもの、そして青いもの。あと、靴の中に銀貨を忍ばせるという追加事項もあったような気がする。しかし青いのはこの花で良いとしても、半ば邸を放り出されてきたユフィにはあと三つのアテがないが……

 「他のは姉さんが準備してるって言ってたから大丈夫。そうだ、ブーケの他に髪にも飾ろうか? 花冠は大抵白い花だけだけど、この色なら問題ないだろうし」

 「……あのー、今さり気なく心を読みませんでした? 第一そんな潤沢に使って大丈夫ですか、せっかく花が付いたのに!」 

 数ある園芸植物の中でも、バラは特に育てるのが難しい。品種改良で豪華な花を咲かせるようになったのと引き換えに、弱点が増えてしまったためだ。とにかくか弱く、虫害やら病害やら霜害やらであっという間にダメになってしまう。ここまで大きな株にするには相当な努力が必要だったはずなのに、せっかくの花をごそっと使ってしまうのは申し訳ない。

 せっかく申し出てくれているのに失礼な気もするが、前の日に素敵な庭だなぁと思ったのもしっかり本音だ。あまり無体なことはしたくないと食い下がってみたところ、クライヴは何故かとても嬉しそうな表情になった。えっと思って目を瞬かせている間に、青いバラのつぼみにそっと触れて口を開く。

 「……見ての通り、俺の趣味はガーデニングなんだけど、貴族のお嬢様たちは『土いじりなんて汚れるからイヤ!』って子も結構いるんだ。ここは両親が作った庭園だから世話はずっと自分でしてきたし、これからもそうしたかったから、少なくともそこを共有できる人じゃないと結婚は難しいかなと思ってた」

 訥々と語られるこれまでの経緯に内心、いや、思いっ切り顔に出してあきれてしまった。相手にではない、そんな馬鹿なことをのたまったご令嬢方に、だ。動物でも植物でも、生き物の世話は手がかかるのが当たり前だし、それが楽しいんだろうに。

 「う、うわあ……なんていうかこう、ものすごーく残念ですね、そのお嬢様方……」

 「まあまあ。――でも、ユーフェミアは自分でも庭園を世話してるし、離れるのが寂しいからって自力で連れてきてるし、育ててる子たちのこともよくわかってるみたいだし。それに昨日食べさせてくれた木の実、あれ世界樹のだろう?」

 「なんでわかったんですか!?」

 「姉さんが職業柄、治癒や浄化に使える植物に詳しいんだ。それで『世界樹は育てる者の心根がまっすぐでないと発芽すらしない、あんな気持ちの良い子を泣かせたら絶対許さん!』ってすごい剣幕で」

 「そ、そうなんですか……!?」

 身内を助けてもらった恩義からか、セシリアの中でユフィの株がガンガン上昇しているらしい。口は悪いし気は強いし、教養なんてないに等しいですよ!? と、今ここにいないご当主に向かって心で叫んでいるうちに、話はいよいよ大詰めに差し掛かっていた。

 「俺も相手がユーフェミアで良かったし、出来れば仲良くなりたいと思ってる。――受け取ってもらえたら、すごく嬉しい」

 (ひ、ひえええええ!?!)

 ……職業柄なのか、非常に良い姿勢でその場に跪き、丁寧に丁寧に両手を取ってそんなことを告げられて、必死で頷く以外に何が出来ただろうか。あっちょっと、微笑ましそうに頭まで撫でないで! さては子ども扱いとかじゃなくて、自分より小さい相手を愛でる時は無意識にやらかすタイプだな!?

 完全に許容量オーバー、かつ茹でダコ状態で硬直したユーフェミア、もといユフィ。その背後で、風もないのにがさり、と茂みが揺れる音がした。



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