第8話:寄らば怪樹の陰②


 「にしても、みんなのお引越しはどうしようか。土地っていうか空間ごと切り取って来たから、当分は水があれば大丈夫だと思うけど……」

 この巾着モドキはただの布切れではない。詳細はなかなかややこしい上に、正直なところユフィもちゃんとした理屈が理解できているわけではないのだが、それでも規格外の品だというのは間違いない。でなければ土地の精霊と契約したわけでもないのに、こうやって大地を『区切って』別のところに持ち込むなんて不可能だったろう。

 そういったわけで、エイルを始めとする草木たちの生育には何の問題ないのだ。早く広いところに植え替えてのびのびさせてやりたいという、言ってしまえばユフィ本人の願望だ。しかしながらここには来たばかりだし、役に立ったつもりが余計なご迷惑までおかけしている。昨日の今日で『このくらいのスペースを貸してください』とはちょっと言いづらい。さて、どうしたものか……

 腕を組んで軽く唸っていたら、大人しくしていた草木が再びざわめいた。閉まったままの窓に向かって、一斉に梢や葉先をぴっぴっ、と動かして注意を促そうとする。外を見ろ、ということらしいと判断して、そっと分厚いカーテンをめくってみたユフィは、眼下の景色に思わず目を丸くした。

 「あれってもしかして……」




 室内はまだ薄暗かったが、外にはちゃんと朝の訪れを感じさせる仄明かりが漂っていた。

 大急ぎで着替えを済ませ、エイルたちを再び巾着形態にしてから、そうっと部屋を滑り出たユフィはまっすぐ前庭園に向かった。夜明け前だというのに、邸の中ではすでに人が立ち働いている気配があって、途中で出くわさないかと内心ドキドキしていたが、幸い誰にも行き会うことなく脱出に成功する。ほっと胸をなで下ろして、エントランスのドアをきちんと閉めてから歩き出す。

 「ええっと、確かあっちの方だったっけ」

 部屋の位置と先程の記憶を確認して、向かって右の方にとことこ進んでいく。まだ太陽が出てないので、空気はひんやり澄んでいて気持ちいい。見上げた空にはほとんど雲がなく、今日も快晴だろうなというのが見て取れた。

 鳥のさえずりを聞きながら進むことしばし、建物の角に差し掛かる辺りで、少し先からざあざあと水の音がする。小走りになって直行すると、曲がった先でこちらに背を向けている人影がひとつ。井戸から汲み出した水を、おそらくは魔法でそのまま操って、バラの茂みにどんどん撒いている。真上から適当にざばっとやるのではなく、根本までかかるよう丁寧に作業しているのがわかった。マメに世話をしているのが見て取れて、大変好感が持てる。

 (よし、やっぱりお世話の人だった! 今のうちにご挨拶しとけば、あとあと話がしやすいよね)

 部屋の窓から歩いていく姿が見えたので、急いで飛び出してきて正解だった。本来なら家主のセシリアたちに先に話を通すべきだろうが、昨日の流れが流れだったのでちょっと、いや、かなり恥ずかしい。ならば次善の策として、現場を担当している園丁さんたちと話をしておくのがいいだろう。もしかすると敷地内の空いている場所を案内してもらえるかもしれない。

 さてどんな風に話しかけようかな、と、作業がひと段落するのを待機しつつ考える。もちろん足音はさせていなかったし、お約束で枯れ枝を踏んづけたりもしなかった……はずなのだが、

 「ん? ――あれ、ユーフェミア!?」

 「……え゛ぇっ!?」

 出し抜けに振り返って、こちらを見て目を丸くした相手に、ユフィの声までひっくり返る。潰れかけたヒキガエルの呻き声みたいな、ちょっとばかり令嬢らしくないものだったが致し方ない。

 なんせ園丁の人だと思っていたのは、昨日出会ったばかりの輿入れ相手にして、何とも格好のつかないところをお見せしてしまった旦那様。すなわち、クライヴご当人だったのである。

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