第7話:寄らば怪樹の陰①




 小さい頃、母の手を見ているのが好きだった。もっと正確に言うと、彼女がいろいろな作業をするのを眺めているのが大好きだった。

 『――おかあさん、きょうはなにしてるの?』

 『んー? これはねえ、お花を植え替えてるの。ずいぶん大きくなったし、このままじゃ根っこが苦しくなっちゃうからね』

 移民として、海の向こうから単身この国にやってきた母は、こちらの文化圏にはありそうでなかったさまざまな知識を持っていた。それは書物で学ぶ文化や歴史のことであったり、天候などの自然の様子の読み取り方であったり。さらには料理や掃除のやり方など、日常生活におけるちょっとした雑学まで、本当に多種多様で。

 中でもいちばん好きだったのが、草花の種類や育て方の話と、実際に手入れをしている様子だった。良く晴れた日に、つばの広い帽子をかぶった姿がしゃがんでいるのが見えると、読みかけの本を放り出して走っていったっけ。

 『おおきくなったら、おはなもひっこすんだねえ』

 『そうよー、人とおんなじ。私もお家が大好きだったけど、もっといろんなことが知りたくてこっちに来たんだもの。ユフィもそうなるかもね』

 『わたし?』

 『うん、あなたは母さん似だからなぁ。どこに行って何したっていいのよ、やりたいと思ったことは思いっきりやりなさい。それがユフィを成長させてくれる――そうね、強くてカッコいいお姉さんにしてくれるわ。

 あ、でも黙って行っちゃダメよ!? 母さんたち寂しくて泣いちゃう!』

 『わかった! ぜったいいってきますっていう!』

 『よーし、えらいぞ! さっすがうちの子!』

 元気よく挙手したところ、両手が土まみれだったからだろう、同じくらい元気よく頬ずりされた。麦わらを編んだ帽子からお日様の匂いがした。

 その後、くすぐったくてきゃあきゃあ言っていたところ、通りすがった父が『いいなぁ仲良しで! 俺も混ざりたい!!』と拗ねてしまって、母がお腹を抱えて爆笑していたっけ。……そんな何でもない光景を、昨日のことみたいによく覚えている。








 ――目を開けたら、まだ部屋の中は薄暗かった。いつもの色褪せた壁紙の狭い寝室、ではない。広々として清潔感に溢れた見慣れない部屋だ。

 ぼんやり霞んだままの頭で、はてと考える。どこだっけ、というか何でいるんだっけ、ここ。

 「…………、あ゛っ輿入れ!! それと巾着!!」

 掛けてあった布団を蹴散らす勢いで跳ね起きる。なんだか懐かしい夢を見ていたはずだが、その名残りもどこかに吹っ飛んだ。おそらくはつい数時間前の、あり得ない失態を思い出したからだ。初日から何てお馬鹿なミスをしているのか、自分!

 「しかも個室に運んでもらった上に、着替えまで済んでるし……自助自立はどこいったのわたし……っ」

 エントランスで出迎えてくれたメイドさんたち、いずれかの手によるものだろう。目覚めたユーフェミア、もといユフィは、柔らかな風合いで肌触りも抜群にいい、もしかしなくても上質なフランネル生地だろうなあという寝間着姿だった、袖口と胸元を細いリボンできゅっとまとめてあったりして、さり気なく可愛いのがまた良心に突き刺さる。

 もふもふのベッド上を転げ回って頭を抱えていると、サイドテーブルでちらっと光ったものがあった。ひとまず身悶えするのをやめて、そちらに視線を向けると、

 「巾着もある……ちゃんと持ってきてくれたんだ」

 先程の一件でいったん元の大きさに戻したあと、意識を失うと同時に戻ったのだろう。見覚えのある色柄で、正方形の大きめの布が広げられて、その上にはこちらも見慣れた木々――エントランスで爆音とともに出現した草木の群れが、何十分の一かに縮んだ姿でちょこん、と佇んでいた。ユフィがそばに寄っていくと、さやさやと葉擦れの音を立てて梢が揺れる。いちばん背丈の高い樹が蛍のように淡い光を放っているのを見て、思わずふふっと笑ってしまった。

 「エイル、さっきはありがとう。すぐに実をつけてくれたからとっても助かったわ。……でもやっぱり、若木でもうんと大きいねえ、世界樹ユグドラシルって」

 つっかえて苦しかったでしょ、ごめんね、と指先で撫でてやれば、エイルはぶんぶんと首を横に振るような仕草を返してきた。気にしないでということだ。うん、相変わらず優しい子である。

 「……それにしても、なんでうちの裏庭に来てくれたんだろうね? いや、エイルだけじゃないけどさ」

 ゆらゆら嬉しそうに揺れるミニチュアサイズの草木を眺めて、やや難しい顔をするユフィである。何せ世界樹のエイルは言うまでもなく、その他のメンバーも珍しかったり薬効が凄まじかったりする種類ばかりなのだ。古の高名な魔導師が始祖だったというフィンズベリー家の事情によるものか。裏庭のさらに向こうは森から繋がる山という立地だったから、通り過ぎていく鳥たちが落とし物をしていってくれたのだろうか。それとも――

 「ま、いいや。みんながいたからおば様のとこでも平気だったんだし。ここまでついて来てくれてありがと、これからもよろしくね!」

 《~~~~♪》

 そよそよ、さやさや。音はささやかだけれど気持ちは十分伝わってくる、葉擦れの大合唱が起こった。



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