第6話:いざ、輿入れ⑥


 場が感嘆のざわめきに満ちる中、どうにか我に返ったセシリアがすぐ問診にかかる。

 「……クライヴ、身体は思い通りに動きますか? 感覚はどうですか、ひどく疲れているとか、しびれや痛みがあるとか」

 「いえ、問題ないです。疲れもほとんどありません。……傷も塞がっているようですし」

 「まあ!」

 つい先ほどまで石化しかけていたとは思えない、元気そのものの声で返しつつ、自力で身を起こした上に左右の手をしきりに開いたり閉じたりしている弟。よくよく見なくても、右脚の付け根に近いところにあった大きな傷が治っている。かなりの深手だったというのに、触れてみたところでは表皮だけでなく、その下の真皮や筋組織までしっかり繋がっているようだ。

 (あれだけ酷い状態だったのに、毒を跡形もなく浄化した上に治癒効果まで……)

 セシリアは宮廷医官、つまりはこの国において最高峰の医療現場に籍を置く身だ。日々報告される症例やその対処法については、誰よりも詳しいという自負があった。そんな彼女の見立てでは、クライヴは悪くすれば命を落としかねない状態だったはず。それをたった一つの木の実で覆すなんてことが、果たしてあり得るのか。

 ――いや。稀有なことだが、可能性は全くのゼロではない。今目の前にあるこれが、セシリアの予想した通りのものならば。

 「ユーフェミアさん、まずはお礼を言わなくてはね。本当にありがとう、もう大丈夫のようだわ」

 「ホントですか! よかったぁ……自分で実験して、味とか効果は確かめたんですけど、人にあげたの初めてだったから……」

 「ああ、それで酸っぱいって知っていたのね。それでね、他にも幾つか確認したいことがあるんだけど――、あらっ?」

 改まって切り出した声がひっくり返る。目の前で心底安堵した表情を浮かべていたユーフェミアが、目をしばたたかせたかと思うとかくっ、と頭を揺らしたからだ。よく見れば足元までふらついている。これはもしや、いや、もしかしなくても。

 「ふぇ、……す、すみません、この巾着モドキって使うのに結構魔力取られ……あ゛っ」

 「きゃあ!」

 「おっと、……つまり体力も魔力も限界、ということか」

 立ったままで舟をこいだ挙句、がくんと体勢を崩して転びかけたところを支えられる。明らかに金属のものである冷たい感触と、さっき聞いたばかりの穏やかな声で、すぐ相手が分かった。よりにもよってこの人か!

 「うううう、病み上がりなのにすみません~~~……」

 「なに、この程度は病んだ内にも入らないよ。貴女の手荷物はどうやって仕舞ったらいい?」

 「え、っと……わたしが寝たら、勝手に縮む、はず……」

 「了解した、部屋まで一緒に運んでおこう。安心して休んでくれ、ユーフェミア」

 「……ふぁい」

 落ち着いた声音が心地よい。ついでにとんとん、と軽く背中を叩いてくれるのが余計に眠気を誘う。……正直それって子ども扱いしてますよね、と思わなくもない。

 でも、無理をしている様子もないし、どうやら本当に元気になったみたいだ。よかった、そして輿入れ初日からご面倒をおかけしてすみません。

 (甘いものも好きかなぁ……もしまだクワの実が残ってたら、おすそ分けしてみよう……)

 もはや半分以上夢の世界に突入しながら、そんなことを考えて。それを最後に、ユーフェミアはエントランスのど真ん中で寝入ってしまったのだった。








 木々がざわつく。黒翠の木陰に、目には見えない波紋が走る。それを感じ取って、寝入っていた『それ』はゆっくりと意識を浮上させた。

 ごく近くで、――そう、この敷地の内、人の子の領分の只中で、未知の気配をいくつも感じた。それは己と限りなく近い、神代にまで繋がるような稀有なもの。甚大かつ苛烈な魔力と、霊気の塊。

 《――同族か、珍しいことだ。だが》

 しかしながら、それらは全て人に付き従う存在でもあった。無理やり指揮下に置かれているわけでもなく、自分の意思であえてそうしていることが判る。面白くないと感じて、己の末端を地に打ち付けた。ばしん! と乾いた音が鳴り響き、周りに群れていた虫や獣が畏れて走り去っていく。

 『……主様? どうなさったので?』

 そんな中、恐る恐るといった体で訊いてきたのは、日頃己に代わって動いている手下だった。さすがに機微を読むことに長けている、とわずかに機嫌を直して、新たな下知を与えてやることにする。

 《あちらの領分に知らぬ顔がいる、複数な。おそらくは人の子の『式』であろう。……気に障る、良きに計らえ》

 『はっ!』

 皆まで言わずとも心得て、首を垂れた次の瞬間には走り去っていく。彼奴の腕前はよく知っている、あの分なら早晩始末してのけるだろう。

 今度こそ上機嫌になって、再度眠る体勢に入る『主』。木漏れ日も差さない緑蔭の奥で、密かに交わされたやり取りを知るのは、彼らの眷属のみだった。




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