第1話:いざ、輿入れ①



 ――その日、エヴァンス邸は朝から大騒動だった。

 「エントランスの花は足りてる? 階段と廊下は?」

 「はいっ、問題ありません! バックヤードに換えのものも準備済みです!」

 「お部屋の支度は?」

 「抜かりなく整えております。長旅になるとのことでしたから、気付けのお酒や発泡水などもご用意いたしました」

 「そう、ありがとう。皆よく気が利いて有り難いわ」

 中でも一番忙しなく動き回りながら、当主その人は気になることをひとつひとつ確認していく。気心知れた邸の面々は頼もしい返事をしてくれて、それだけでだいぶ心強かった。

 何せほんの数日前、『弟に輿入れが決まったから準備を頼みます』と伝えたばかりなのだ。一瞬全員が息をのんだと感じたのは、まず間違いなく気のせいではない。そこから使用人一同で総力を結集してくれて、どうにかこぎ着けた最終段階なのだった。

 「いえもう、おめでたいことですから! 突然お話が来たのは驚きましたけど」

 「他でもないお二人のためでございますからね。私どもはいくらだってお力になりますとも。……ただねえ、肝心のご本人が」

 「ええ、本当に……まったくもう、あの子ったら。こんな日くらいお休みすればいいのに」

 そう、大体の問題がクリアできた今、最大の懸念はそこだった。結婚する当人が不在だなんて、失礼どころの騒ぎではない。神殿側の予定とかち合ったため挙式は別日になっているが、こうしておいて逆に良かったかもしれない。

 吹き抜けになった中二階の回廊から、花の彩りと香りに満ちたエントランスを見下ろして、当主は深々と嘆息した。





 一方、その頃。

 「……あ~~~~、腰痛い~~……」

 送迎の馬車の座席で、思いっ切り顔をしかめて呻いているユーフェミアがいた。

 「酔い止めは自分で用意できたけど……ううう、日頃の出不精が祟ってるかも」

 フィンズベリー伯爵家は代々、王都の西方にこぢんまりした領地を持っている。初代当主が功績を上げて叙爵された際、国王から直々にいただいたというものだ。この周辺には比較的新しい貴族の家系が集まっているから、きっと同じような経緯で所領を持つに至った者が多いのだろう。

 嫁ぎ先である王都は、そんな領内から数日ほど。邸を発ってはや二日、この振動にもいい加減に飽きてくる頃合いだ。

 (頑張れわたし、もうちょっとだわたし! 御者さんの話だとあと数十分くらいのはずだし!!)

 しきりに腰をさすっているユーフェミアを気の毒に思ったのか、ここ数日付き合ってくれているベテラン御者が休憩の際に請け合ってくれた。出がけにメイドさんたちが持たせてくれた、自家製のドライフルーツもおいしかった。現当主と跡取り息子以外の面々はいたって親切なのだ、あのお邸は。

 いきなり輿入れを告げられて、出立前の二日間は荷造りで大変だった……なんてことはなく。手荷物は小さめのトランク一つ分にすんなり収まったくらい少ない。元々モノに執着がなかったし、嫁入り道具を大量に持っていくなんてみっともない、というヴァネッサおば様の持論によるものだ。文頭に『お前なんかが』とつくのは口ぶりで嫌でもわかったから、はいはいその通りでございますと流しておいた。どうやら予想通りだったらしく、ものすごい目つきで睨まれたが。

 (図星指されて不機嫌になるってどうなの……ま、いいか。嫁入り道具兼手土産なら自前で用意したし)

 膝の上の巾着をぽんぽん、と優しくたたいてみる。そして一応、基本情報だけは教えてもらった結婚相手のことを考えた。

 くだんの旦那様は現在、二十四歳。自分とは七つほど離れていることになる。騎士団の所属だが魔法も得意で、度々王城の魔導師団から引き抜きがかかるほどらしい。性格は……正直、よくわからない。実益重視かつ効率主義のヴァネッサが、資産とか地位とかいった点だけを重要視してとっとと話をまとめてしまったため、ろくに訊いてこなかったからだ。きょうだいがご当主を務める邸に同居しているのだから、少なくとも身内とは仲良くできる人だろうと思うが……

 「……仲良くできなくてもいいから、あんまり変な人じゃないといいなぁ。まあちょっかい出されたら自力で蹴散らすだけだけど」

 しおらしいのか勇ましいのか、よくわからないことをつぶやきつつ、膝の上の巾着をぎゅっと抱きしめた。その時、

 「――お嬢様、お疲れ様です。エヴァンス邸に到着いたしましたよ!」

 からからと車輪の回る音がゆっくりになり、止まったのと同時に振動も収まる。前方の小窓が開いて、親切な御者が明るく声をかけてくれた。



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