茨島神社





「ここに新しい茨島いばらじましゃを作るんだな、いや茨島いばらじま神社じんじゃだ。」


綺麗な草原の中に大きな黒い岩だけがある場所で

片手に大きな酒器を持った忠太郎が言った。


「そうです、ご神体はこの岩です。」


その横に彦介が立ち言った。

見上げる程大きな黒岩の前には真新しい供物台があった。


その上には皿が三つあり、彦介がそれらを綺麗に清めた。

一つの白い皿には御神酒を注ぎ、他には米と粗塩を乗せた。


あれから二年経っていた。


「前は黒砂が一面に広がっていたのですが、

雨が降るたびに流されて普通の土になりました。

それで草も生えて来たんです。

黒川の上流には鬼の便所と言う黒い地層もあったのですが、

地割れも黒砂も全部消えました。」

「不思議な話だな。

俺も少しばかりあの黒砂を持っていたんだが、

いつの間にか普通の砂に変わっていたよ。」

「鬼のが消えたんでしょうか。」

「多分そうだが、あいつは死んではいない。

封印されているだけだ。」


忠太郎が石に向かってしばらく拝むと、

ぶら下げて来た酒器を手に持った。


「お酒ですか?」

「そうだ。」


彼は酒器の口を開くと一口飲んだ。

そして石に近づくとどぼどぼと酒をかけた。


「一応ご神体ですよ。」

「いいんだよ、あいつが中にいるからな。

あいつはなこれだけじゃ足らんと怒るぞ。」

「金剛さんはお酒が強かったんですか?」

「ああ、もうザルだ。飲ませるだけこちらが損をする。

味噌だけ舐めてがばがば飲みやがる。」


と忠太郎が笑った。


「ここでは一回もあの人は飲まなかったなあ。

あれが終わったら祝宴をすると言ったのに。」


彦介が呟くように言った。

それをちらりと忠太郎が見て周りの景色を眺めた。

所々に小さな茨の木があった。


あの嵐の時にほとんどの木は流されてしまった。

ごくわずか残った木や種が芽吹いたのだろう。

今は少なくても茨の木はすぐに伸びるはずだ。

何しろ丈夫な木だ。


「早めに宮大工など色々と寄越そう。そして宮を建てる。」

「でもいいんですか?

全部そちらでやって下さるみたいですが、」

「ああ、構わんよ。」


忠太郎がにやりと笑う。


「ここはある意味俺達の仕事上重要な場所だからな、

ちゃんと封印して平定しなきゃならん。

その仕事は彦さんだ。大変だぞ。」


と忠太郎が笑いながら彦介の背中を叩いた。

まるで誰かの仕草と一緒だ、と彦介は思った。


「でも忠太郎さんは全然お侍さんらしくないですね。

だから私もこんな風に喋っていますが。」


彦介が苦笑いしながら言った。


「全然構わんよ、

彦さんにも俺らの仕事を教えただろ?

身分なんて関係ないんだよ。それに堅苦しいのは俺は嫌いだ。」


忠太郎は黒岩のそばに寄り手を触れた。


「しかしなあ、金剛よ、お前がこうなるってなあ。

俺はもう少しお前と話がしたかったよ。」


忠太郎と金剛が出会ったのは二十年以上前だ。

その時は若者だった彼も中年を迎えている。


「お前の兄貴の直良殿にも話したぞ。

直良殿は泣いておった。

そのうち来ると言っていたよ。」


忠太郎は呟くように言い、彦介に振り向いた。


「早急に色々と手配する。

こちらでの監督は彦さん、頼むぞ。」

「はい。」


彦介が力強く頷いた。

彼はもうおどおどとした所はなかった。

しっかりとした顔をしている。


「ところでな、この岩だがどうしてここだけ白いんだ?」


忠太郎が岩の一部分を指さした。


「そうなんですよ、どうも白い玉の様ですがめり込んでいるんです。

天然の何かの様で表面に薄く模様があるんですけど。

なんなのか全然分からなくて。」

「そうか。」


と忠太郎が岩を軽く叩く。


「じゃあやしろに戻ろうか。奥方も待っておられる。」

「行きましょう。」




茨島社に戻ると縁側で時臣ときおみが小春や花と手遊びをしていた。

その横では雪がにこにこしながら座っている。


「ああ、おかえりですか。」

「おう、岩を見て来た。宮を建てるのに問題はない。」

「なら私も一度見に行きましょう。」

「えーーー、」


と花が声を上げた。


「つきのみやさま、行っちゃだめ。」


と花が時臣の着物の袂を引っ張った。

小春もその横で上目遣いで時臣を見た。


「仕方ありませんね。」


と手元の折り紙で築乃宮がさっと何かを二つ折った。


「これは野茨の花ですよ、春に咲く花です。」


と二人に渡す。

すると彼女達はそれを手に取り歓声を上げた。


「庭にあった野茨は一晩で枯れちゃったんだよ。」


折り紙を手に持って小春が時臣に言った。


「ああ、一晩で花が咲いた木ですよね。」

「うん、花びらが雪みたいに散ったんだよ。

すごくきれいだった。」


花が言う。


「そうですか、見たかったですね。」


と時臣が言うと二人は嬉しそうに笑った。


「ほんとお前は女の子の扱いが上手いな。」


忠太郎が呆れたように言うと、


「子どもが喜ぶことをよく知っているんですよ。」


と時臣がにんまりと笑った。

彦介が案内すると言ったが時臣は一人で出て行った。


「あいつ一人でやる事があるんだよ。」


と忠太郎が言う。

時臣は術師の家系だ。

何かしらの術をかけに行くのだろう。


「お雪さん、急に伺ってすまなかったな。

こちらもなかなか時間が取れなくてな。」

「いえ、全然構いませんよ。

金剛さんも昔馴染みの人が来て嬉しいと思います。」


と雪がゆっくりと立ち上がる。

彼女のお腹は大きい。

臨月近くだろうか。


「構わんでくれよ、大変だろう。」

「少しは動かないとだめですから。」


それを見ていた小春が台所に行く。

お茶を入れに行くのだろう。


「前に見た時はまだ小さな子だったが、

二人とも大きくなったな。」

「二年前だから小春が四歳で花が三歳でしたね。

花は相変わらずですが小春はすっかりお姉さんで。」

「二人男の子がいただろう。」

「寅松と長丸は畑仕事を教えてもらっていたお宅に引き取られました。

今はそこで暮らしています。

そこはお子さんがいらっしゃらなかったので

可愛がってもらっているみたいですよ。」

「そうか、二年も経つと変わるもんだな。」


小春がお茶を出す。

忠太郎が笑って受け取り一口飲んだ。


「美味いなあ、小春ちゃん。」


小春がにっこりと笑った。


「それでお雪さん、」


忠太郎が雪を見た。


「あれから何ともないか?

お子が出来たのは別としてこことか、」


忠太郎が自分の額を指さした。


「何もないです。

あの時みたいに開く事もありません。」

「そうか、やはりあのようなものと向かい合わないと

現れない力なんだろうな。」


雪は思い出す。

あの夜を。


激しい嵐とともに現れた恐ろしい鬼の姿だ。

雷光を背にして近づいて来る時は総毛立った。

今考えるとよく直面出来たと雪は思った。


「自分でもあんな事が出来たのが不思議です。

でも、」

「でも?」

「一人じゃない気がしたんです。

うばらさんがそばにいた気がします。

だからあんな大それたことが出来たのかも。

それと、雷が物凄く怖くなっちゃったんですよ。

前はそれほどじゃなかったんですが、

ごろごろっと言うと背筋がぞっとしてしまって。」


小春と花が二人に駆け寄る。


「雪ちゃん、雷が鳴ると座布団をかぶるんだよ。

怖いんだって。」

「だからあたしと小春がゆきちゃんのそばに来て

手をにぎるの。」


忠太郎がふっと笑う。

雪は凄まじい嵐の中で怖い思いをしたのだ。

無理もないだろう。


「そうか。お前達は優しいな。

これからもお雪さんを助けてやれよ。」


忠太郎が入り口辺りを見た。

前に一晩で茨の木が生えた所だ。


「それとうばらと言う者も哀れだったな。鬼に弄ばれて。」


雪が忠太郎の目線の先を見た。

以前は花が咲き誇っていた野茨があった所だ。

だがあれも鬼を封印してすぐに枯れてしまった。


その前には真っ白な花びらを雪の様に散らした。

まるで皆にさよならを告げるように。


「……でもうばらさんは怨んでいないと思います。」


雪がにっこりと笑った。


「鬼に取り憑かれたのは気の毒ですが、

だから金剛さんと会えたんです。

それに私もこの世に生まれてきました。」


雪がお腹をさする。


「そして赤ちゃんを産みます。

うばらさんがいたから今こうなっているんです。

私はうばらさんがいて良かったと思います。」


忠太郎はしばらく無言で雪を見た。


「……そうだな。

金剛もうばらもそれを聞いたら喜ぶだろう。」


二人は外を見た。


鬼退治が終わった後、その秋は驚く程の豊作だった。

雷が沢山落ちた年は豊作と言われるが、

あの鬼はこの村に雷を沢山落とした。

激しい雨は田畑を荒らしたが水枯れもなかった。

鬼はこの村を通り過ぎただけだったのだ。


被害が大きかったのは野茨があった山の方だ。

山の形が変わるほどの雨で木々がなぎ倒され、

黒川に濁流が押し寄せた。

ほとんどの野茨は流された。


だがそれも二年経つと今まで行きにくかった

茨様までの道は大きく開かれた。

村人が黒岩を見にそこまで行く。

皆は金剛を知っていた。

そして彼らはそこで手を合わせる。


ほんの少し村にいただけの金剛だが、

村人の中に強烈な思い出を残したのだ。


「ところで雪さん、あの岩に小さな白い部分があるが知ってるか?」

「ええ、知っています。」

「あれは何だろうな。分かるか?」


雪はふっと笑う。


「なんでしょうね、私にも分かりません。」


雪はあれがなにであるかは分かっていた。

だがそれは誰にも言わないつもりだった。


あれは金剛とうばらの契りだからだ。


「それと彦さん、ここで寺子屋みたいな事をやっているって?」

「ええ、金剛さんが前に彦介さんに

子ども達に字を教えてやれって言ったそうで、

今では大人もやってきます。」


忠太郎が微笑む。


「そうだな、字を知っている事は良い事だ。」


彼は庭を走り回っている少女達を見る。


「時代がな、今変わりつつあるんだ。

今に身分とかそんなの関係ない時が来る。」

「……黒船ですよね、」


前は噂程度の話しかこの茨島村では聞かれなかった。

今ではそれははっきりとした事実として

ここでも語られている。


「神社を建てる時に皆が集まれる場所も作るか。

そこでみんなで勉強だ。」


忠太郎がにかりと笑った。


「ふふ、そうですね、良いと思います。」


雪が笑う。

そして、


「でも大丈夫なんですか?

ものすごくお金がかかりますよね。」


と不安そうな顔をした。


「構わん、金子きんすを出すのは俺じゃない。」


と忠太郎が豪快に笑った。

そして雪もつられてほほと笑う。

それを見た小春と花が顔を合わせる。


「なんか面白いの?」

「分かんない。」


だが二人も縁側に走り寄り、忠太郎と雪を見て笑い出した。






やがて月が満ち、雪は女の子を産んだ。

茨島神社の建設も徐々に進み、そこへ続く道も整備される。


新しい神社が出来た事で茨島村に来る人々も増えた。


だが村人の生活は変わらない。

茨島村にはいつの間にか至る所に野茨の木が生えて来た。


秀次は野良鍛冶を続けて、

吉次は村に戻り野良道具を作りながら刀も打った。


寅松と長丸は農家の跡取りとなり、

小春と花も女性としての嗜みを覚える歳となった。


茨島神社は彦介と雪の夫婦が丹精を込めて手入れをする。

白い鳥居が建てられてそれも輝くように美しかった。


その神紋は野茨の花の周りに茨があるあの紋だ。

神社の周りには野茨の若芽が所々に芽吹いていた。


艶やかな緑が輝くようだった。


そして唯一金剛が思い出を残した茨の木も生きていた。

その街の人々は金剛の事はもう覚えてはいなかった。


だが花だけは毎年綺麗に咲かせた。

人々はそれを見上げて香りを楽しむ。

それを見て金剛はなんと言うだろうか。


ただ嬉しそうにそれでいいと笑うだけだろう。






やがて日本は間もなく新しい時代を迎える事となる。


全てはいずれ過去になるのだ。







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