嵐 3






鬼の影は真っすぐに茨の木にやって来た。

激しく雷が鳴り目の前が見えない程の雨が降り続く。


だが金剛の刀の光の下には雷は落ちなかった。

だが皆が持っている鍬や鋤がびりびりと帯電していた。


「なんか引っ張られるぞ。」

「雷が落ちるかもしれん。」


一人の若者が鋤を手放した。

するとそれは磁石に付く鉄の様に

勢いよく真っすぐ鬼の体に刺さった。

そこに鬼自身が起こした雷が落ちる。

その瞬間鬼の動きが鈍くなった。


「みんな投げろ、鬼が弱る!」


一人の若者が叫ぶと皆は手に持った農機具を手放した。

それはすぐに鬼の体に刺さり雷がいくつも落ちた。


これらの農機具は全て秀次が作ったものだ。

彼が作る事で何かしらの意味があったのかもしれない。


だがそれでも鬼の動きは止まらない。


鬼が茨のそばに来ると

村の若者は怯えて逃げてしまった。

だが金剛と雪だけはそこに留まっていた。

しかし鬼には頭が無い。

何も見えていないのだろう。

気配だけで手を振り回した。


鬼の手の平に二人は当たり、あっという間に飛ばされてしまった。

その瞬間金剛の胸元に雪が押し付けられる。

金剛はそのまま彼女をかばうように抱いた。


そして彼は太い木に叩きつけられた。


「……うっ。」


彼は呻き雪を抱いたまま倒れ込んだ。

彼はあおむけに倒れ、その上に雪がいる。

上から折れた木の枝が落ちて来た。


「こ、金剛さん!!」


雪が彼にしがみついたまま顔を上げて彼を見た。

金剛は顔をゆがめて苦しそうな顔をしていた。


叩きつけられた衝撃で

何か体に変調が起きたのかもしれないと雪は思った。


「大丈夫ですか、しっかりして。」


金剛は雪をがっちりと抱いたまましばらく動かない。

そして一度大きく息を吸った。


「ああ、雪さんは、」


金剛が呻くように言った。


「私は大丈夫です、それより金剛さん、」


雪が立ち上がろうとした。

だが金剛の腕が雪を抱きしめる。


「しばらく、しばらく、すまん、このままで……。」


そして金剛が雪の耳元で囁くように言った。


「……彦さんと幸せになれよ。」


雪ははっとする。

金剛は目を閉じてじっとしていた。

自分の背には彼の逞しい腕がある。

その温かみが彼女の背中に伝わっていた。


彼女は金剛の胸元に頭をそっと下ろした。

彼の鼓動が聞こえて来た。


「……なります。」


それはほんのわずかな時間だ。


「二人とも大丈夫か!」


若者達の声がして上に乗った枝がどけられた。


「すまん、俺ら怖くて……、」

「良いのよ、私は大丈夫、でも金剛さんが私をかばって……。」


雪が慌てて立ち上がる。

金剛はぐっと目を閉じて数度大きく息をした。


「もう良いぞ。」


金剛が半身を起こした。

顔色がかなり悪い。


「金剛さん、無理しちゃいけない、顔色が……。」

「なんの、今やらなきゃならんのだ。

鬼はどうなった。」


皆が茨の木を見た。


鬼が木を掴み上にあげている。

ほとんどの枝は落ちてしまい、

まるで根が付いた丸太のようになっていた。

その根が半分ほど現れてその中に大きな固まりが見えていた。


鬼の頭だ。


それでも茨は地面から離れないように

必死で根を張っている様子だった。


金剛が刀を支えにして立ち上がった。


「すぐにうばらは抜かれるだろう、

そして鬼が頭を体につけようとした時に俺は奴を封印する。」


鬼は頭を掴むと体に付けようとするだろう。

その時にはかがむはずだ。


かがんだ瞬間脳天に刀を差し降ろす。

その先には折れた刀の半身がある。

それと合わせて今の刀で差し終えれば

鬼の体を全身貫けるだろう。


「金剛さん、その体じゃ無理だ。」


若者が叫ぶ。


「いや、俺はやる。今だ。これが俺の仕事だ。

雪さん、俺が刀を刺す時に鬼を見てくれ。」


と言うと金剛は刀を構えてじりじりと鬼の正面から近寄った。

鬼は自分の頭が現れたからだろう、

それしか見ていない様で人の事はまったく気にしていなかった。


若者が金剛を止めようと前に出る。

だがそれを雪が抑えた。


「お雪さん、金剛さんを止めないと。死んでしまう。」


雪は首を振る。

その眼には涙がいっぱいに溜まっていた。


「止められないです。私も行きます。

鬼が金剛さんに気が付いたら額の印で動きを封じます。」

「雪さん!」


話しているうちにもじわじわと茨は持ち上げられていた。

根に包まれた鬼の顔が現れ、その眼がぎらぎらと光り出す。

鬼は野茨から手を放した。

幹しか残っていない野茨の木はどうと横たわる。

鬼は根に寄るとそれをちぎり出した。


鬼はもうそれだけしか見ておらず、周りは全く気にしていない様子だった。

そしてかがんで頭を取り出し体につけた瞬間だ。


静かに鬼の正面に寄っていた金剛が

膝を突いていた鬼の脳天から体にかけて

本気の力を込めて真っすぐに刀で串刺しにした。


鬼は驚いて立ち上がる。

金剛は刀を支えにして鬼の肩に足を着けて

鬼の体の上で立った。


鬼は抵抗するが目の前には雪がいた。

彼女の額には赤い紋様のような目があった。


それは彼女が意識をして出したものではない。

だが鬼と目が合うと唐突に怒りが湧いたのだ。

その瞬間額に力が集まり、それは顕現した。


人にをもたらす鬼。

人を惑わし苦を与えて悦ぶ鬼。


今までどれほどの人を犠牲にしたのだろうか。


雪にはその鬼が許せなかった。

そしてうばらと金剛の事を思い出した。


穏やかに過ごしたかった二人の想いが胸を締め付ける。

そんな小さな願いをこの鬼は何百年も蹂躙したのだ。


雪は自分の背に暖かなものを感じた。

うばらだろうか。

母のような懐かしい憶えだ。


それが今の彼女を支えた。


額の赤い目が鬼を捉える。

それを見ると鬼の体は動けなくなった。


その瞬間先程までの嵐が嘘のように晴れた。

黒雲は霧散し、雨も止んだ。

雨が塵を落としたのか白い月が

真昼の様に煌々とこの場を照らす。


その隙に金剛が渾身の力で刀を奥に押し込んでいる。


刀は徐々に鬼の体を差していく。

金剛は肩から足を降ろすと、

ぶら下がるように刀に全体重をかけた。


だがその行為は彼の体が鬼の視線を遮り、

赤い目の支配を一瞬中断させた。

すると鬼の両腕が金剛の体を激しい力で締め上げた。


「………、」


声にならない呻きが金剛から漏れる。

その時だ、鋭い鏑矢の音がしていくつもの矢が鬼の背中に刺さった。


「忠、太郎……。」


声にならない金剛の呟きだ。

この場にやって来た忠太郎と仲間の武士が矢を放ったのだ。

彼らはひるまず次の矢を放った。


雪がそちらを見ると彼らの後ろに彦介の姿があった。


雪の体に不思議な力が湧く。

彼女は鬼に近寄り鬼と目を合わせた。


心から恐怖を感じてもおかしくない状況だ。

だが今の雪の心には怒りしかなかった。


鬼は金剛の命を取ろうとしている。

そして何百年もうばらを囚われの身にして

自分を育てる胞衣えなの役目を強いた。

雨多うだ柆鬼ろうきは自分の両親と

やしろで世話をしている子ども達の親の命も奪った。


この鬼は今封印しなければ、

人の世にまた不幸をまき散らすのだ。

鬼にとっては人はただの供物だ。

人の心など関係はない。


うばらの記憶が雪の中に映る。


うばらは二人子を産んだ。

その一人は人でもう一人は鬼の子だった。

その鬼の子を雨多うだ柆鬼ろうきは無造作につかみ食べた。

自分の命を永らえるためにだ。


それは鬼の世界では普通なのかもしれない。

それでも十月十日人ではないとは言え、その子はうばらの中にいた。

その子を鬼はあっさりと取り上げて食べたのだ。


うばらの怒りと雪の怒りが鬼に対する恐怖を薄れさせる。


額の目が激しく輝いた。

それは強く鬼の体を縛った。

そして金剛が全身全霊をかけて鬼の体を刀で深く刺していく。

前に折れた刀の半身はその先にあるはずだ。

それと今の刀の長さで丁度鬼の全身を貫く。


うばらと鬼の頭に残された刀の半分は

今この時をずっと待っていたのだ。


そして刀の鍔が鬼の頭の真上に着いた。

鬼は座り込む。


鬼と金剛の体は一つになったように密着している。

鬼の両腕はがっちりと金剛の体を締め上げていた。

鬼は正座をしたように座り動かなくなった。

だが命はまだ尽きていないだろう。


金剛の息は止まりかけ、口からは血が流れだしていた。

強過ぎる力で締め上げられているからだ。

鬼の棘のような体毛も彼の体を何十か所も刺しているはずだ。

もう彼をそこからはがすのは無理だった。


その時だ、茨の根が生き物のように動き出し、

鬼と金剛の体を包み出した。

雪はそこに駆け寄る。


「……根が俺達を包んだら、玉鋼を置いて火をつけろ……。

秀さんが知ってる。」


金剛が苦しい息の中で雪に言った。


「金剛さん、これ、」


雪が胸元から白珊瑚の野茨の簪を出した。


「うばらさんにこれを渡して。」

「……これはお前さんに……。」


雪の目から涙がこぼれる。


「違います。

戦いで無くなってはいけないので私が預かったんです。

これはうばらさんのものです。

金剛さんから渡して。」


と雪は根に包まれてほとんど見えなくなっている

金剛のそばにそれを差し込んだ。


彼はもう目の辺りしか見えなくなっていた。


その眼が一瞬驚いたように開かれて、

いつもの人を引き付ける笑い顔のあの瞳になると、

静かに目は閉じられた。


根が塊となった金剛と鬼をずるずるとその木に寄せる。

まるで大事なものを守るように。


うばらにとって鬼は自分を囚われの身にした憎い存在だろう。

だが根は二人をゆっくりと包む。


長い間うばらの意に反して育てたものだが、

それでも少しは情は湧いたのだろうか。


鬼がいなければうばらは金剛には出会えなかった。

そして彼女が持つ不思議な力も、

鬼の胞衣にならなければ得る事も無かった。


そして金剛と雪も存在しなかっただろう。


全ての宿命が今ここで終わろうとしている。







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