嵐 2
嵐は半時ほどで村に来た。
冷たい風が強く吹き、雨が叩きつける。
大きな音で雷が落ちそれを聞く者は肝が冷えた。
そして隙間からこっそりと外を見ていたものは、
村をゆっくりと歩く頭の無い大きな人型を見た。
鬼だ。
稲光の中で見えるのは体中に棘がある鬼だ。
それは茨の棘だった。
筋肉が恐ろしい程に盛り上がり、
音を立てて地面を踏みつける。
地響きが家の中まで聞こえて来た。
ただ鬼はずっと真っすぐに歩いている。
周りには家がありその中には人もいる。
鬼は人を喰う。
だが頭が無いからか食べられないのだろう。
見向きもせずただ前に歩いていた。
この
いや鬼と言うものは一体なんだろうか。
それは誰にも分からない。
ただ鬼は人がいなければその存在には意味はないだろう。
相手がいなければ害悪を施してもそれは悪い事ではない。
だが、今は鬼がいて人に悪を成す。
そのために金剛はこの村に来たのだ。
人に悪さをする鬼を退治する。
鬼の行為を阻止するのだ。
鬼は意外なほどあっさりと村を過ぎて行った。
先程の大嵐は茨の方向に向かっている。
村人は家から出て周りを見た。
雲間から大きな月が出る。
白い光が周りに満ちた。
「あれが鬼か。」
「ああ、大きな気色の悪いものだったな。
頭が無かった。」
村人達が集まり周りの様子を見ていた時だ。
馬が走ってくる音がする。
村人が何事かと見ていると、
騎馬の武士が三人やって来た。
その中の背中に弓を背負った武士が言った。
「すまぬ、嵐はどちらに行った。」
「ああ、嵐は……、」
村人が茨の方を指さす。
「あんたら鬼退治に来たのかい?」
一人の村人が武士達に聞いた。
「……どうしてそれを。」
「嵐の鬼だろ?
弓の武士が大きくため息をついて馬を降りた。
「金剛め、ぺらぺらと……、」
「俺らは色々聞いとるぞ。
金剛さんは今茨の木に向かっとる。」
「茨……。」
武士ははっとした顔になった。
「俺は柊忠太郎と言う。
金剛から
すまぬが茨島社に連れて行ってくれるか。」
村人と忠太郎達はすぐに茨島社に着いた。
「あなたが彦介殿だな。」
外に出て様子を見ていた彦介に馬から降りた忠太郎が話しかけた。
「そうですが、あなたは……、」
「俺は柊忠太郎と言う。金剛の仲間だ。
金剛からまず茨島社に行けと言われた。」
彦介がはっとした顔になる。
「金剛さんが都に手紙を出すと言っていましたが、」
「そうだ、まあ式神を寄越したんだ。
それで茨の
だが丁度その頃にあの
それをずっと追って来たらここに来た。
鬼の頭はここの辺りにあるんだな。」
「そうです。」
彦介が空を見た。
「嵐はその茨の方向に行っているようです。」
空の一角が黒く所々で雷が激しく光っている。
「そちらに向かいたい。案内してくれるか。」
忠太郎が言うと彦介は家を見た。
するとそこに寅松が顔を出した。
「彦さん、ここはおいらがいる。みんないる。
雪さんの所に行ってくれ。」
寅松がしっかりした顔で彼を見た。
そして他の子ども達も顔を出して頷く。
「わしらもいるから雪さんを……。」
子ども達を心配していてくれた年寄りも言う。
彦介は大きく頷くと忠太郎を見た。
「分かりました、行きましょう。」
忠太郎は彦介を馬の後ろに乗せて武士達は走り出した。
だが、茨の木に近づくにつれて馬が怯えて動かなくなってしまった。
間近には恐ろしい色をした雷雲があったからだ。
激しい音で何度も雷が雲の中を行き来していた。
「仕方ない、置いて行こう。」
忠太郎が言うと皆は馬を降りた。
「ところで彦介殿は金剛からどれぐらい聞いてる?」
歩き出すと忠太郎が彦介に聞いた。
「鬼の名前や昔の事も聞いています。
お若い時の柊さんの話も聞きました。」
それを聞くと忠太郎がふふと笑った。
「あいつと初めて会ったのは二十年ぐらい前だ。
あいつはずっとふらふら歩き回ってな、
やっとここを見つけたと連絡が来たら次は刀を作ると。
呑気なのかせっかちなのか。」
「いつの間に手紙を出したのか分かりませんでした。
早くないですか。」
「まあ、俺達は普通のやり方で連絡を取ってないからな。
築乃宮から連絡が来た。」
「雨多柆鬼……。」
歩きながらちらりと忠太郎が彦介を見た。
「茨の巫女も見つかったとあったが、」
「……私の女房です。」
忠太郎は驚いた顔になる。
「なんと、」
「今、金剛さんと鬼退治に行っています。」
「鬼と向き合った事はあるのか?」
「いえ、ありません。」
彦介が首を振る。
「普通の
金剛さんが来るまでそんな力があるなんて
分かりませんでした。」
忠太郎が唸った。
「大丈夫か。」
「大丈夫です。」
しかし彦介は眉を潜めて不安そうな顔になる。
それを見て忠太郎が言った。
「無事に戻さないとな。」
彦介は頷いた。
その時大粒の雨がぽつりと落ちて来た。
少し前にある雨の境目が夜目にも見えた。
この向こうは鬼の領域かも知れない。
彦介は一瞬ぞっとする。
だが柊忠太郎や一緒にいた武士は顔色も変えずそちらに歩いて行く。
彦介はその後ろを追った。
金剛の話や彼らの様子からすると、
鬼と遭遇するのは初めてではないのだろう。
だから躊躇なく修羅場に向かえるのかもしれない。
だが自分は、と彦介は思った。
鬼の事は昔から調べている。
今回は初めて鬼と言うものの存在を信じる事が出来た。
そして今はそれに恐怖する自分がいる。
だが、雪はそこに行ったのだ。
自ら。
雨が自分の肩を叩く。
恐れている場合ではないのだ。
雪を助けなくてはいけないのだ。
彦介は大きく息を吸った。
一歩一歩踏みしめるように武士の後を追う。
自分は行かなくてはいけない。
雪と自分のために。
金剛達が背に雷鳴を聞きながら茨への道を急いでいた時だ。
その途中に金剛が雪に近寄り胸元から古い手ぬぐいを出した。
「雪さん、これ。」
と金剛が差し出したものは白い玉の付いた簪だった。
「簪ですか?」
「ああ。」
金剛が雪の目を見た。
「色々と世話になったからな、その礼だ。」
雪はそれを受け取る。
まだ月明かりが強くものが良く見える。
雪がそれを見ると白い玉には細工がしてあった。
「金剛さん、これ、野茨の花でしょ?」
雪が驚いたように金剛を見た。
「もしかしてうばらさんのものじゃないんですか?」
「いや違う、昔俺が商人から貰ったんだ。
受け取ってくれ。」
雪の胸にふっと不安が湧く。
まるで形見のようだ。
それにこれは自分の物ではない気がした。
「駄目ですよ、金剛さん。」
だがすでに金剛は先に歩き出していた。
雷鳴は近くなった。
とりあえず雪はそれを胸元に納めた。
やがて皆が茨の木に着くと木は激しく揺れていた。
ついこの前まで花や葉が沢山ついていたが、
それは全て落ちてしまい枯れ木の様になっていた。
木は全体が揺さぶられるように動いている。
根に包まれた鬼の頭が暴れているのだろうか。
金剛達は茨の木を背にして前を見た。
目前に黒雲が迫っていた。
先程まで月明かりがあったがそれも雲で隠された。
冷たい風が吹き強い雨の気配がする。
ぼたぼたと所々に大きな雨粒が落ちると
あっという間に豪雨になった。
激しい雷の音がする。
「来るぞ。」
金剛が言うと雷光を背にして大きな生き物の影が見えた。
金剛がすらりと刀を抜くと白く清浄な光が皆を包んだ。
彼の右肩のあざが熱を持つ。
何かを思い出すように。
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