彦介





金剛が秀次の野鍛冶で刀を作り出した頃だ。


二日ばかり秀次の家で炊き出しをしていた雪と

黒砂を運んでいた彦介は

無言でやしろに向かって歩いていた。


鬼退治の時に雪は金剛について行くと言ってから

二人は口をきいていない。

こんなに長く話をしなかったのは

今まで一緒にいたが初めての事だった。


帰りに子どもを預けていた家に寄り皆で歩き出した。

だが、全く話をせず硬い表情の二人を見て

子ども達も空気を読んだのか何も言わずとぼとぼと歩いている。


皆疲れているのだ。


そして社の前に来る。

そこにはあの茨の木があった。


白く香しい満開の花だ。


皆気は重かったがそれでも花を見た。

するとふわりと風が吹き、

花びらが一つ二つそれに乗って飛んだ。


「ひこちゃん、ゆきちゃん、花が散るの?」


花がそれを見て言った。

すると光が降るように花びらが舞いだした。


「綺麗……。」


雪が呟く。

子ども達はその花びらを捉えようと走り回って遊び出した。


彦介と雪の間にも花びらが舞う。

雪の髪に花びらがいくつかついている。

黒髪の上に白い花びらがくっきりと浮かんでいた。

薄く輝くような花びらだ。


彦介はそれをひとつ摘まんだ。

彼を雪が見上げる。

その瞳も黒々と柔らかく光っていた。


「雪……。」


彦介はその雪の顔に一瞬見惚れた。


昔から一緒にいる女だ。

そこにいて当たり前だ。


だが今彼はそれが当たり前でない事に気が付いた。


今まで一緒にいたのが奇跡なのだ。


自分を見上げている女はたった一人の、

かけがえのない運命の人なのだ。

今までそんな簡単な事が

分からなかったのかと彦介は愕然とした。


金剛と自分を見比べて劣等感を持ったり、

二人が一緒にいるのを見て嫉妬するのはどうでも良いのだ。

自分のこれからの生き方の全てが

ここにあり今決まるのだ。


「……雪、遅くなったが祝言を挙げようか。」


彦介が雪を見て言う。

雪の顔が驚きに変わった。


「彦介さん、あの……。」

「こんな時に祝言なんてと言われるかもしれん。

でも私はお前を絶対に放したくない。」


雪が俯く。


「それって金剛さんと行ってはいけないという事?」


彦介が首を振った。


「いや、本当は雪に危ない事をして欲しくはない。

だが、雪がいなければ金剛さんは鬼を封印できない。

それは私も分かっている。」


雪が顔を上げた。


「少しばかり金剛さんに焼餅を焼いたんだ。

仲が良く見えたからな。」


と言うと彦介が恥ずかしそうに笑った。

すると雪が優しく微笑む。

そしてその眼から涙がこぼれた。


「何を言ってるんですか、私と金剛さんは遠縁だから。」


彦介が彼女の涙を拭う。


「それに金剛さんはうばらさんのものです。

話を聞いたでしょ。

あの二人は深い縁で結ばれているのよ。」


彦介が頷く。

気が付くと二人の周りに子ども達が集まっていた。

皆は不思議そうに見上げている。


「どうしたの、彦さん、雪さん。」


小春が言った。

彼女の手には花びらがいくつもあった。


「何でもないのよ、さあ、みんなで帰りましょう。」


雪が頬を拭って言った。


「でもゆきちゃん泣いてるし。けんかした?」


花が雪に近づき手を握った。

帰り道の二人の様子を覚えているのだろう。


「いや、違うよ、私は雪と結婚するんだよ。」


彦介が言うと子ども達の顔がぱっと明るくなった。

だが花だけは身動きしなくなり、

そして大声で泣き出した。


「えっ、お花、どうしたの。」


雪が戸惑ったように腰を下ろすと花を見た。


「ひ、ひこちゃん、あたしと結婚するって言った。」


泣きながら花が言う。

雪が驚いたように彦介を見た。


「いや、その、この前花が私と結婚したいと……。」

「はい、って言ったんですか?」

「その、はっきりとは言ってないけど……。」


彦介が戸惑ったように頭をぼりぼりと掻いた。

花は相変わらず声を張り上げて泣いている。

その時だ。


「お花、彦さんと雪さんは許嫁いいなずけなんだよ。

子どもの時から一緒にいるから。

お花は生まれるのが遅かったんだよ。」


花の姉の小春だ。

よく分からない理論だ。

だが、


「あたしは遅かったの?」

「そうだよ、結婚したかったらもっと早く生まれなきゃだめだよ。」


彦介と雪は妙な顔つきになる。

笑うのを我慢しているのだ。

花は涙を拭いた。


「……ひこちゃん、今度早く生まれるから

その時は結婚してくれる?」


彦介がちらと雪を見る。

雪は軽く頷いた。


「本当にごめん。花も好きだけど私は雪が大好きなんだ。」


彦介が膝を突き花と目線を合わせる。

すると花が彦介の首に抱きついた。


「……ゆきちゃんと結婚していいよ。」


花が言う。

それを見て我慢できなくなったのか雪が背中を向けた。




そして社で簡素な式が行われた。

黒砂を集めた翌日で皆は疲れていたが村長夫婦がやって来た。


「寅松から聞いたが祝言を挙げるって?」


少しばかり訝し気に村長が言う。


「色々済んでから挙げた方が良いんじゃないか。」

「そうなんですが……、」


彦介が雪を見た。


「金剛さんの鬼退治に雪も行くのでその前に挙げたくて。」


雪が驚いた顔になる。

村長が雪を見た。


「そうだったな、額に目のある巫女……。」

「彦介さん……、」


雪が彦介を見た。


「私、やっぱり行って良いのね。」


彦介が複雑な顔をした。


「本当は行って欲しくない。危ないからな。

でも雪は行かなくてはいけない。

そして……、」


彦介が雪の手を握った。


「私は無事に戻る事を願ってる。絶対に雪は戻る。

だから祝言を挙げるんだ。」


その二人を村長は見た。


「分かった。」


喜兵衛が女房を見る。


「うちの母ちゃんが使った綿帽子だがそれでいいか。

着物は地震で焼けてしまってな。」

「いえ、全然構いません。むしろ縁起が良いです。」


雪がにっこりと笑う。


「そう言ってくれてあたしゃ嬉しいね。

古いもんだがこれだけは助けられたんだよ。

さあ、綺麗にしてやるよ。

男どもは場所を作っておくれ。」


社の子ども達、寅松と長助、小春と花がそんな様子を

好奇心丸出しでずっと見ている。


「ほら、寅松と長助は大人を手伝い。

小春と花はこっちにおいで。花嫁さんを手伝っておくれ。」

「女だけずりぃよ。」


長松がふくれっ面で言う。


「だめだよ、男は仕事。働け働け。」


村長の女房が笑いながら言った。




奥の部屋に入ると女房が言った。


「小春、花、あの野茨の花を少し取っておいで。

棘があるから男の人に摘んでもらいな。」


女の子達は良い返事をして駆けて行った。


「雪も新しい着物も無いだろ?

せめて簪代わりに花で飾ると良いんじゃないか。」


雪が頷く。


「でも話には聞いたけど一晩で咲いたんだろ?」

「ええ、一夜で根が付いて花が咲いて。」

「不思議な話だねぇ。」


女房が雪の髪を綺麗になでつける。


「ほんとここ数日で驚くような事ばかりで、

あんたの母さんが生きていたらどう言っただろうね。」


鏡越しに女房が笑う。

その鏡は雪の母も使ったものだ。


「私はあんたの母さんと友達だったよ。

優しい人だったねぇ。」


雪が少し俯く。

そして膝にぽたりと涙が落ちた。


「ごめんごめん、泣かしちまった。

まあ大変な事が待っているみたいだけど、

今は祝言を挙げる事だけ考えな。」


女房が雪の唇に紅を指した。

白い肌に赤い色が浮き上がる。

まるで茨の実が艶やかに光っているようだった。


その時子どもが花を持って来た。

女房はそれを受け取り雪の髪にそっと刺した。


「雪ちゃん綺麗……。」


小春がため息をつく。

そして女房が雪の頭に綿帽子を被せると、

顔が少し隠れて赤い唇が美しく見えた。

それを花がぽかんと見上げる。


「お花ちゃん、彦介さんと結婚するのを

許してくれてありがとうね。」


雪が微笑みながら言った。


「ううん、ゆきちゃんでよかった。」


雪の手が花の頭を撫でた。

花はにっこりと笑った。




雪がしずしずと居間に来るとそこには簡単な祭壇が作られていた。


彦介が祝詞を挙げて村長と女房が

三々九度の儀式を行う。

子ども達は後ろが静かにそれを見ていた。

やがて村長が高砂を唸る。


本当に質素な式だ。

だが雪はそれで良かった。


高砂の終わり際、

風が吹くと茨の花びらが部屋の中に静かに飛んで来た。

柔らかな香りもする。


うばらも見ている、と雪は思った。




その夜、雪は夢を見た。

白い高貴な顔立ちで額に筋がある女だ。


「うばらさん。」


雪が呼びかけると彼女は微笑みながら近寄って来た。


「雪。」


呼びかけるその人は雪にとっては

遠いどこかで出会った事のある人のようだった。


「祝言を挙げたんだな。」


優しい声だ。


「ええ、彦介さんが挙げようって。

うばらさんも見ていましたよね。」

「ああ、綺麗だったぞ。」


雪はふふと笑う。


「普段の着物で綿帽子も借りものですが。

でもうばらさんからお花を頂きました。」

「それぐらい何ともない。とても良い式だったぞ。」

「ありがとうございます。」


雪はうばらを見た。


「うばらさん、私に鬼退治は出来ますか?」


うばらが彼女を見る。


「出来る。出来るはずじゃ。」


黒々とした柔らかな色の真っすぐな瞳だ。


「お前は私が鬼と向かい合った景色を見た。

それを思い出せば鬼は止まる。

額の目は私が作り上げた鬼が苦手とする術じゃ。

何百年もの私の念が籠っている。」


雪がため息をついた。


「でも、やっぱり怖いです。」

「……そうだな。」


うばらが彼女の横に立つ。


「だがな、お前がやらなければ誰かが傷つくかもしれん。

あの彦介と言う男も……。」


雪ははっとする。


「私も怖かった。

だが子どもを一人喰われてしまい、

もう一人の子と金剛に何かあったらと。

あの時には村人達もいたしな。

村人は私達にとても優しくしてくれた。」

「赤ちゃんを産んだ後でしたね」

「ああ、体が弱っていたのじゃ。」


うばらが悔しげな顔をする。


「お願いだ、私はもうすぐ命が尽きる。

私と金剛を助けてくれ。」


雪はしばらく無言だった。


「上手くできるか今でも自信はありませんが、

出来る限りの事はしたいです。

だから、」


雪はうばらを見た。


「だから寿命が、と言わないでください。」


うばらが驚いた顔になった。


「せっかく金剛さんと会えたんでしょ?

金剛さんもうばらさんの話をしてくれました。

鬼退治が終わったら二人でお会いになると良いと思います。」


今度はうばらがしばらく無言になった。

そしてくすくすと笑いだす。


「お前は本当に可愛らしいな。」

「か、可愛いですか?」

「それに真面目で正しく生きようとしている。」


うばらがそっと雪を抱いた。


「お前みたいな女子おなごが私の血縁で嬉しい。」


その優しい抱擁は雪に思い出させるものがあった。

幼い頃に母に抱かれたような感触だ。


暖かく柔らかい春のような気配。

気持ちの良い香りが雪を包む。


「お母さん……。」


雪の母は地震で亡くなった。

うばらの抱擁はその母を思い出させた。

雪もそっとうばらの体に手を回す。


「……雪、金剛もな、もうすぐ命が尽きるのじゃ。」


雪が驚いて顔を上げた。


「金剛さんが……。」

「ああ。」


うばらが穏やかな顔で雪を見た。


「あれは誰にも何も言ってはいないが、

自分で分かっているはずだ。心の臓が悪くなっている。

だから私が金剛を連れて行く。」

「うばらさん、そんな。まだ金剛さんは……。」

「寿命だ。仕方ないのだ。

それに今の金剛には鬼退治しか頭にない。

他の事はどうでも良いのじゃ。」


うばらがそっと雪の体から離れる。


「それにあれは私の男だ。」


雪が思わぬ事を聞かされた顔になる。


「男、って、その……。」

「お前もちょっとばかり金剛の事を気にしとるだろ。」

「それはその、うばらさんの記憶が、その……。」


うばらがにやりと笑った。


「金剛は良い男だからな仕方ないが、

お前にはやらん。」


雪はそれを聞いて少しばかりむっとした。


「彦介さんの方が優しくていい男です。」

「そうか?」

「そうですよ。」


彼女達の目が合う。

そして二人は笑い出した。


「うばらさんって本当に茨の精なんですか?

人みたい。」

「そうじゃな、私もこんな話をしたのは初めてじゃ。」


うばらが優しく雪を見た。


「お前だから話せたんじゃ。ありがとう。

居なくなる前にこんな話が出来て私も嬉しい。」


うばらの姿がぼんやりと霞の様になった。


「……お前なら出来る。頼むぞ、雪。」




薄ぼんやりとした明け方に雪はふっと目が覚めた。


なにかを見ていた憶えだけはあった。

幸せな暖かい気持ちになる夢だった。


雪は静かに身を起こした。


昨日祝言は挙げたが新しい生活が始まるのは

金剛が言う鬼退治が終わってからだろう。

そしてもし鬼と対峙して死ぬ事があったら

自分のその先の人生は無いのだ。


絶対に死ねない、と雪は思った。


今育てている子ども達をちゃんと大人にしなくてはいけない。

彦介と生活をして、自分も子を産み育てたい。

これから何があるか分からない。

酷い事も辛い事もあるだろう。

だが楽しい事も絶対にあるはずだ。


まだ自分は生きる事をほとんど知っていないと雪は思った。

だからこそ彼女は絶対に死にたくないのだ。

それは贅沢で我儘な欲望だ。


雪は大きく伸びをすると大欠伸をした。

誰にも見せないはしたない仕草だ。

体の節々を伸ばして音を立てる。

朝ごはんを作らなくてはいけない。


それは彦介も知らない雪の朝だ。

これからは彦介も知る事があるだろう。


すると彼はどう思うだろうか。


雪はそれを想像してくすりと笑った。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る