黒砂 1




翌朝、野鍛冶の秀次の家の前には

桶など持った何人もの村人が集まっていた。


村長むらおさの話もおかげもあったのだろうが、

どの家にも昔ここでは鬼退治をしたという話が伝わっていた。

子どもの寝物語で伝わったのだろう。


「ばあさんから寝る時にふざけてると鬼が来るよと言われてたなあ。」

「ああ、おらも茨様が鬼を治めたよと聞かされたよ。」

「わしもじい様やばあ様に聞かされたよ。」


どの村人も子どもの頃に、と始まってやはり本当だったのだ

と話していた。


「みんなすまんな、野茨様の所から

大変だがここまで黒砂をもって来て欲しいんだ。」


秀次が皆に説明していると金剛と彦介が現れた。

金剛は皆を見ると深々と頭を下げた。


「まさか金剛さんがここに縁がある人とはなあ。」


村人が感慨深げに言う。


「迷惑をかけるがよろしく頼む。

砂さえ集めてもらったら後は俺がやるから。」

「何言ってんだ、わしも鋼を打つぞ。」


秀次がふんぞり返って金剛に言った。


「やや、お師匠を忘れておった。これは申し訳ない。」


金剛が大袈裟に謝ると秀次が笑う。

するとみなも笑うのだ。

彦介はそれを彼の後ろから見て、

やはり金剛には敵わないと感じた。



やがて野茨の場所まで皆は来た。


ある意味ここは神域だ。

そして昔話を聞かされた者には怖い場所でもあるのだ。

ほとんどの者はここには滅多に来た事がなかった。


村人は恐る恐る茨の木に近寄る。


野茨は見上げるような大きさで木に花が付き、

全体が白く輝いていた。


「これは、なんと見事な……。」


皆が息を飲む。


黒い大地に木が白い光に包まれている。

神々しいまでの純白だ。


「茨様は鬼の頭を何百年も封印しています。

ある意味この村はずっと守られていた。

だが鬼が動き出して地震が起きた。

鬼が動くと村にも被害が出ます。

それを金剛さんと茨様が止めようとしている。」


彦介が静かに話した。


粗末な供物台の皿に新しいお神酒を注ぎ、米を添えた。

その後ろで皆が手を合わせた。

そしてその場に微かに風が吹く。

柔らかな野茨の香りが漂った。


「さあ、みんな、手間を取らせるがよろしく頼む。

俺の大八車はからで途中に置いてある。

そこまで桶で黒砂を運んでくれ。

そこからは俺が秀さんとこまで運ぶ。」

「一日に何回運べるかなあ。」


彦介が考える。


「多くて三回でしょうね。

黒川の川底にあればまだ楽だったのですが。」

「まあそれでも、」


秀次が腕組みをして皆を見た。


「百姓でもやる時はやると見せんとな。

わしらは普通の百姓と違う。鬼退治が出来るんだ。」


皆の顔が引き締まりにやりと笑った。




野鍛冶の秀次の家では数人の村の女が集まり、

炊き出しの準備をしていた。

ここに黒砂が集められる。

その時に男達に飯を振舞うのだ。

雪もその中に入り準備をしていた。


「でも菊さんから刀の話を聞いた時はちょいと驚いたね。」


一人の女房が秀次の女房の菊に言った。


「あんなでかい刀を見たら誰だったびっくりするよ。

でも村長から鬼退治の話を聞いたらねえ……。」


女房達が目を合わす。


「まさか昔話の鬼退治が本当だったんだって驚いたよね。」


皆がため息をついた。

この女性達も子どもの頃から聞かされていたのだ。


「でもさ、」


一人の女房がにやにやしながら言った。


「あの金剛と言う人、ちょいといい男だよね。」


女たちが目配せをする。


「だねえ、女泣かせてる感じだよねぇ。」

「肩んとこに痣があるけど、

あれもなんかぞくぞくするねぇ。」


結婚もしている女たちの話は

男達がいないせいかあけすけだ。

雪は少しばかり居心地が悪くなる。


「雪さんもそう思わないかい?」


一人の女房が雪を見た。


「いえ、その、私は……。」

「馬鹿な事を言うんじゃないよ、

雪さんはまだ嫁入り前だろ?」


別の女房が押し止めるように言った。


「彦さんと言う許嫁がいるんだし。

そういやあ、あんた達いつ結婚するんだい。」


雪は戸惑った顔をした。


「父さん母さんの喪も明けて一年は経つだろ?」

「そうですね。」

「そろそろ祝言を挙げても良いんじゃない?」


その女房は優しい顔をして見た。


「あんた達の父さん母さんも結婚しろって言ってるよ。

今はばたばたしてるけどさ、

そろそろ考えてごらんよ。」


雪はため息をついた。


「どうしたんだい。」

「その、彦介さんは何にも言わなくて……。」


他の女房が雪を見た。


「そういやあんた達一緒に住んでいるんだろ?

てっきりもう夫婦めおとかと思っていたんだけど。

まだなんにもないのかい?」


雪は顔を赤くして首を振った。


「まだ式も挙げてないのに、だめです。

恥ずかしい。」


それを見て女房達が爆笑する。


「お、おかしいですか?」


うろたえたように雪は言う。


「いや、いいんだけどさ、

まあ早く夫婦になっちまいなよ。

別にあんたから言っても良いんじゃないか?」


雪が顔を赤くしたまま目を白黒させていた。

それを見てまた皆が笑う。


「可愛いったらありゃしないね。

まあ女から言うのも、あたしゃ、ありだと思うよ。」


一人の女房が言うと皆が頷いた。




昼前に黒砂を乗せた大八車が戻って来た。

大八車に乗せていた玉鋼は

既に全て秀次の仕事場に移してあった。


黒砂を集めるその朝早く、

大八車に乗せていた玉鋼を秀次の仕事場に

金剛が降ろしていた。

その量を見て秀次が唸った。


「一体どれだけ乗せてたんだ。重かっただろう」


荷物をすべて移した車を金剛が動かした。


「そうだな、物凄く、だな。ともかくやたらと車が軽いぞ。」


とぼけたように金剛が言った。

それを見て秀次が少しばかり深刻な顔をした。


「どうした、秀さんよ。」


秀次は難しい顔をしている。


「金剛よ、わしは前々から感じていたんだが、

お前、いつ死んでも良いと思ってるだろ。」


彼は腕組みをして金剛を見た。

一瞬金剛ははっとした顔をしたがすぐににやりと笑った。


「分かるか。」

「馬鹿にするな。分からいでか。」


金剛はため息をつくと大八車に腰かけた。


「死んでもいいと言うかもう死ぬつもりだろ、お前。」

「そりゃ、鬼相手だからな。死ぬ気でやらんと成敗出来ん。」

「そうだがな……。

お前は愛想は良いが心底は見せてない。

色々な事を出さないようにしてる。」


秀次はぎろりと金剛を見た。


「お前、大事なものって何にもないだろ。

玉鋼は大事だと言っていたが使い道が出来た。

だからあっさりと車から降ろした。

刀も大事だろうが鬼に使う。

その他に大事なものってあるのか、無いだろ。」

「まあ、俺の兄貴殿とかその家族とかは大事だけどな。」


秀次が首を振る。


「兄貴殿も大事だろうがそんなんじゃねえ、

お前がどうしても生き残りたいと思うものだ。

それがあるから人は死にかけても戻って来られる事がある。

だがお前にそんなものがあるとはわしには思えねぇ。」

「……そりゃどうでも良いだろうよ。」


珍しく金剛の声が低くなった。


「良い訳ねぇ、わしはお前に死んで欲しくねぇんだよ。」


秀次が真っすぐに金剛を見た。

金剛が戸惑った顔になる。


「わしはお前と会って日も浅い。

だがな槌を打って分かった。

お前は真から真面目な正直者だ。思い遣りもある。

そんな人間をむざむざ死なしたくねえんだ。」


金剛は元々言葉を飾らない男だ。

そしてこの秀次も言葉を真っすぐ相手に突きつける男だった。

金剛が今まで人に話したような言葉が、

今金剛自身に突き刺さったのだ。


それは強いがとても優しい言葉だった。


金剛はしばらく俯いたまま動かなかった。


「……ありがとう、秀さん。」


金剛がゆっくりと顔を上げた。


「分かった。なるべく死なないようにする。」


それを聞いて秀次が思わず吹き出した。


「なんだよ、死なないようにするってよう。」

「他に言い様がないじゃないか。

まあ腕や足がちぎれても後は面倒見てくれよ。」

「分かったよ、どうなってもわしが面倒見てやるよ。

男の約束だ。」


二人はふふと笑う。


「それでもなあ、秀さん。」


金剛が言った。


「俺は絶対に鬼を成敗してその体を封印する。

その時には残った玉鋼と黒砂で固めてしまおうと思っているんだ。」

「そんなで封印できるのか。」

「分からん。

あの鬼は天気を支配してる。

だから完璧に退治は出来んのだ。

退治しても別の雨多うだ柆鬼ろうきが出てくる。

封印するだけだ。

だから鋼と黒砂で閉じ込めてしまうつもりだ。

その周りに炭と薪もくべて火達磨にしてやる。」

「そうだな、鋼も刀に全部使わないだろうし。」

「それで秀さんにお願いがある。」


金剛が真剣な顔で秀次を見た。


「もし俺が死んだらそれを秀さんがやって欲しい。」


秀次は金剛を見た。

たった今死なない約束をした二人だ。

それでも金剛は自分の死後に

しなければいけない事を秀次に頼んだ。


それは本気の願いなのだ。

何事があっても為さなければならないのだ。


「……分かった。」


秀次は頷いた。

絶対に断れない金剛の真の願いだ。


「だがな、お前が生きてたらお前がやれよ。」


秀次が平然とした顔で言った。


「あい、分かり申した。」


金剛が大袈裟に頭を下げた。






大八車には山のように黒砂があった。

食事もそこそこに皆はまた茨の元に行く。


その時には小さめの荷車を引いた村人もいた。

茨の所から大八車までは砂を桶で運んでいたが、

誰かが木の元まで行ける荷車を持って来たのだろう。

手伝いに来た村人の数も増えた。

そして皆が言う。


「お伽話だと思っていたがな。」


先祖から受け継がれた話は皆の中で生きていたのだ。

それを受け継いで来た村人達に金剛は心から感謝した。


そして二日ばかりで黒砂は山の様に秀次の家の前に集められた。

皆に金剛が頭を下げた。


「本当にみんな、ありがとう。

俺を信じてくれてありがたい。

この村に累が及ばぬよう鬼は必ず成敗する。」

「頼むよ、金剛さん。」


誰かがおどけたように言う。


もしかするといまだに本当か信じていない者もいるかもしれない。

それでも村が一丸いちがんとなって物事を進めたのだ。








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