知典家 4





金剛が生家の知典とものりに着くと彼は驚いた。


十年以上前にここを出た時はどんよりとした感じだった。

だが今はすっきりとしている。

しかも門番までいる。


金剛が取次ぎを頼むと門番は胡散臭そうに彼を見た。

追い払われそうだったが、

にこにこと笑う金剛を見て仕方なく屋敷へと入って行った。


しばらくすると門番は慌てた様子で戻って来て

金剛を中に入れた。


屋敷の建て付けは以前と変わっていなかったが、

雰囲気が変わり庭もきれいに整えられていた。


金剛がぽかんと周りを見渡していると、

貫禄のある中年男が慌てて玄関から出て来た。


「金剛か!」


それは長子の直良なおよしだった。


彼は中年太りですっかり昔と変わっていた。

だが着物も上等なもので月代さかやきも青々としており

まげもきれいに整えられていた。

父親の成良なるよしによく似た面立ちだ。


「兄貴殿。」


金剛が頭を下げる。

もしかすると追い返されるかもしれないと彼は思っていた。


まず今の自分の見た目は酷いものだ。

金剛は気にはしていなかったが、

髪の毛はぼさぼさで着物は汚れていた。

顔だけはここに来る前に水場で洗ったがそれだけだ。


それでも家や屋敷がどうなっているか知りたかった。

ほんの瞬間見られるだけでも良かったのだ。


しばらく二人は無言だった。

だが、


「とりあえず風呂に入れ。用意させたから。」


直良が手で金剛に上がるようにと仕草をした。

追い出されると思った金剛は意外な気がした。


金剛は風呂場に案内をされてゆっくりと風呂に入った。

いつから入っていなかったのだろうか。

びっくりするほど垢が出た。


それでも久し振りの風呂は気持ちが良かった。

風呂焚きの男に声をかける。


「急に言われたんだろ?すまんね。」


外から気の良い声がする。


「構いませんよ、普段からこの時間には焚き始めてますから。

ごゆっくりなさって下さい。」


自分がここにいた時には風呂焚きの男は雇っていなかった。

タカが一人で風呂を焚いていた。


「お前さん、いつからここで働いてるんだ?」

「五年ほど前でしょうかね、

歳取ったから前の風呂屋を首になっちゃって、

それを見たお殿様がここで雇って下さったんですよ。」


お殿様とは多分直良の事だろう。

話を聞く限り兄は嫌な男ではないらしい。


風呂から出ると汚れた金剛の着物は無かった。

その代わり別の着物が用意してある。

着てみると身幅も丈も短いが着られなくはなかった。


それを身に付けて風呂を出ると彼は別の部屋に連れて行かれた。

そこにはちょっとした食事が用意してあり直良がいた。


「まあ座れ。」


直良が金剛を呼ぶ。

金剛は少しばかり居心地が悪くなって来た。

別に悪意は感じない。

だがいきなり来た金剛を下にも置かない扱いだ。

まだここにいた子どもの頃は邪魔者扱いだった。

それが今は。


「なんか悪いな。」


それでも金剛は席に着く。

腹が減っていたからだ。


「構わん、まあ食べろ。

しかし、従者の一番体が大きな男の着物だが、

それでも小さいな。」


直良がちらりと金剛の姿を見た。

金剛が手を合わせて食事を始める。

寺での生活は長かった。その習慣は抜けない。

しばらく直良はそんな金剛の様子を見ていた。


「兄貴殿。」


金剛が彼を見た。


「親父殿はどうした。」


直良の顔が少し曇る。


「六年前に死んだよ。」

「そうなのか。」

「寺にも連絡したがお前はいなかったな。」


色街で好き勝手していた頃だろう。


「すまん、ちょいと色々あってな。後で参らせてくれ。」

「ああ……。」


直良は返事をするがどことなく歯切れが悪い。


「兄貴殿、何かあるのか?」


金剛が聞く。


「あのなあ、お前は昔野茨の木の前に女がいたと言っていたな。」


彼ははっとする。


「野茨はどうなったんだ。」

「お前がいなくなったらすぐ枯れた。」


金剛はがっかりする。


「やっぱり枯れたのか……。」

「枯れた。だがな、」


直良の声が低くなる。


「わしの娘があそこに女の人がいると言ったんだ。」


金剛が驚いた。


「今ではない、娘がまだ小さい時だ。

茨は無いがお前が見ていたようにそこを見て言うんだ。

それはほんの数回だがな。」

「どんな女が出たと言うんだ。」

「白い着物で額に赤い筋があると。

わしはお前が見た事は嫁や娘には話していない。

信じていなかったからな。

奉公人も全て変わって誰も知らないはずなんだ。」

「今でも言うのか?」

「もう言わない。幼い頃はそう言うものには

敏感だから見たのかもしれんと思っている。」


直良が金剛を見た。


「わしはお前を狐憑きだと寺に送った。

だがな、あれは間違いだったのかもしれんと

それからずっと思っていたんだ。

すまなかったな。」


直良が金剛に頭を下げた。


多分今の直良には立場があるだろう。

だがそれでも金剛に頭を下げる。

その後悔はかなり深いのかもしれない。

直良は思ったより正直な善い男なのだろう。


金剛がふっと笑う。


「俺はもう気にしとらん。

兄貴殿もそう気に病むな。

寺には送られたが結構好き勝手したからな。

親父殿が亡くなった頃は破門されてたんだよ、生臭坊主だったからな。」

「生臭坊主ってお前……。」

「女にも刺された。ここだ。」


と金剛が着物をはだけて傷跡を見せた。

直良があっけにとられた顔になる。


しばらく二人は黙っていたが、

直良がふふと笑いだした。


「親父殿やタカが聞いたらどんな顔をしたかな。

まあ親父殿はお前の母さんを水飲み茶屋で見つけたからな、

そういう場所と馴染やすいものがあるのかもしれんな。」

「水飲み茶屋……。」


直良が金剛を見た。


「そうだな、お前は全然知らないだろう。

わしはもう元服前だったから全部知っておる。

まあ武士としては褒められた出会いではないがな、

親父殿がどうしてもこの女でないとだめだと連れて来たんだ。

うばらと言う名だった。」


金剛ははっとした。


昔ここを出る前に現れた白い女性は

自分に『うばら』と言う言葉を教えた。

それは母の名だったのか。

だがそれは金剛には違和感があった。


「不思議な女だった。気配がないと言うか。

それでな、野茨の枝を一本持っていてそれを庭に差したんだ。

わしには枯れた枝にしか見えなかったがそれは根付いた。

そして花をつけたんだ。」


直良がため息をつく。


「その頃にはお前を宿していた。

そして産んでしばらくするとあっさりと死んでしまったのだ。

それから後はお前が覚えている事と変わらん。

親父殿は腑抜けになってしまった。」


食べ終わった椀に金剛が茶を淹れて綺麗に拭ってそれを飲んだ。


「今この屋敷はその頃と全然違うな。」

「ああ、まあな。」

「子どもの時の俺は全然分からなかったが、」


金剛が手を合わす。


「兄貴殿も相当苦労されたんだろう?

親父殿がああなってしまって

元服したばかりの兄貴殿が代わりに城に行った。

そして十年以上遊び腐った弟が戻って来たら、

屋敷はすっかり変わっていた。」


金剛がにっこりと笑う。


「その愚弟を嫌な顔せず迎えてくれた。

こんなありがたい話は無い。」


直良が口元をぐっと締めた。


「お前も苦労したのだな……。」


障子越しに黄昏の光が柔らかく部屋に入っていた。

遠くで鳥の声がする。


静かな夕方だ。


二人はしばらく無言でいたが、

金剛が急須を手に取り直良の茶器にお茶を入れた。

直良は無言で冷えたお茶を飲む。

そして金剛もお茶を飲んだ。






「それでな。」


奉公人が来て食事の後片付けをしてすぐに酒が出て来た。

外はすっかり夜だ。


「お前にもう一つ大事な話がある。」


直良の顔が真剣になった。

そして立ち上がると別の部屋に行った。

しばらくして戻ると彼はおお太刀たちを持って来た。


長さは四尺ほどあるだろうか。

柄も太く鞘も重々しい様子だった。


「大太刀か。でかいな。」

「これのかぶとがねを見ろ。」


金剛が直良から刀を受け取った。

ずっしりと重い刀だ。

彼は直良から言われた通り兜金を見た。


柄はとても太い。

だが金剛にはその大きさはしっくりと来た。


「野茨の花に茨……。」


その花を見て金剛が息を飲んだ。

彼の思い出にいつもある野茨だ。


「鍔には鬼の文字があるだろう。」

「確かに。それでこの刀は一体……。」

「これはな親父殿の遺品だ。」


これはとても大きな刀だ。

金剛の父親はそれほど大きな男ではなかった。

とてもこれを使う事は出来ないだろう。


「遺品と言っても親父殿がこれを使っていたとは思えない。」

「そうだ。わしも一度もこれを見た事は無かった。

と言うかこれがある事すら知らなかった。

だが親父殿が亡くなってからその部屋を整理していて、

戸棚の奥の奥にこれが仕舞ってあった。」


そして直良が小さな手鏡を出した。


「これはな、お前の母親が輿入れした時に持って来たものらしい。

これも親父殿の戸棚に隠してあった。

見つけた時は誰のものか分からなかったが、

タカに聞くとうばらが持って来たものだと言った。」


タカの話が出て金剛が聞く。


「タカはまだ生きてるのか?」


直良の顔が曇る。


「親父殿が亡くなって一年もしないうちに死んだよ。」

「そうか……。ここで亡くなったのか?」

「ああ、わしもタカには世話になったからな、

最期を看取った。」

「何から何まですまん。」

「お前の事をな、いつも心配しておったぞ。

わしらにはどうでもいいが、タカにだけは謝っておけ。」


金剛が頭を下げた。


「でな、この手鏡の文様を見ろ。」


そこには鏡の背には紋章があった。

その模様は刀の兜金の紋章と同じだった。


「お前の母親の家紋らしい。」

「一体どう言う事だ。」


直良の目がギラリと光った。


「親父殿をわしはずっと腑抜けと思っていたが、

そうじゃなかったと言う事だ。

今の仕事に就いてわしは初めて分かった。」





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