知典家 3





そんな生活が三年程続いた。


この色街の生活は金剛には居心地が良かったが、

ふっと昔を思い出した。


自分の父親や兄、屋敷だ。

そしてタカはどうしているのかと。


ある朝、誰にも言わず金剛は身の回りの物を持って街を出た。

物と言ってもそこそこの金と数枚の着替えだけだ。


その街外れで金剛はそこを振り返って見た。


世間では乱れた街と言うだろう。

だが金剛には居心地が良い場所だった。

皆貧乏だったが人は良く優しかった。


彼はその道筋に持っていた野茨の枝を突き刺した。

やはり名残惜しかったのだ。

少しでも自分のなにかを残しておきたかった。

そう思ったのは初めてだった。


野茨が根付くと彼は確信していた。

だが皆は一体どうしてここに野茨がと驚くだろう。


「最後にびっくりさせてやる。」


彼はにやりと笑ってそこを後にした。


その日の昼頃、いつまでも起きて来ない金剛を心配して

店の者が部屋まで上がって来た。


そこには布団がきちんと畳まれ、いくらかお金が包んで置いてあった。

金剛の荷物はそれほどなかったがそれも無くなっていた。

書置きは無かったが、それを見た者は何があったのか大体理解した。


この街ではいきなり姿を消す者は少なくない。


皆はしばらく金剛の話をしていたが、

いつの間にか誰も何も言わなくなった。


それから金剛はふらふらと気が向く方に歩いて行く。

どこかの街に着けばしばらく暮らし、気が変われば歩き出す。

まさに風来坊だ。


だが生来の気質かすぐに人と近しくなる。

どこに行っても困る事は無かった。


ある時だ。

その街では祭りの最中だった。

人々が行き交い賑やかだった。


金剛がある露店の前を通りかかると

そこでは何やら揉め事が起きていた。


「お前そこの簪、盗んだだろう!!」


そこは簪や櫛など女性向けの飾りを売っている出店だった。

その店主だろう男が大声で怒鳴っていた。


「うるせえな、盗ってねぇよ。」


とにたにたとふざけた調子で痩せた男が言った。

その後ろにやくざのような風体の数人の男と、

薄ら笑いを浮かべている女が二人いた。


「何を言ってるんだ、わしは見たぞ。」


店主がいきり立つ。

そう言われた痩せた男は店主の胸元を掴み顔を寄せて怒鳴った。


「いつまでもごちゃごちゃ抜かすと……。」


だがその声が急に静かになる。

そして彼の目線の先には騒ぎを呑気に見ている金剛がいた。


男の後ろにいた数人の男も一瞬身構える。

だが女二人ははっとした顔をして目を丸くして金剛を見た。

そしてにやにやしながら彼を見て内緒話を始めた。


金剛はただ男を見下していた。

店主は急に目の前の男が静かになったので

恐る恐る後ろを見た。


金剛は無言のままずっとそこで立っている。


やがて男が店主を放して胸元から簪を一つ出し、

それを元に戻すと慌てて逃げだした。

ただ女達は男達について行きつつ金剛に流し目をくれた。

金剛は彼女らに軽く手を振る。


店主が金剛を見た。


「あの、あんたは、その……。」

「いや見ていただけだが、何だか終わったみたいだな。」


と金剛がにやりと笑った。

店主もつられたように笑う。


「まあ助かったよ、ありがとう。」

「なんのなんの。」


と金剛が豪快に笑う。

その時の金剛の様子はざんばら髪を荒縄で一つに結んでいた。

背中には風呂敷に包んだ小さな荷物だけだ。

着物も袴は付けているがひどく汚れていた。

一応刀は身に付けているが竹光だ。

色街を出た頃は大したものではないが本物の刀を持っていたが、

途中で金に困って売っていた。


そんな風体の金剛だが店主は好感を持った。

助けられた事もあるかもしれない。

だがどことなく人好きがするのだ。


「ご主人よ、良ければ少しここにいようか。

あいつらまた戻ってくるかもしれんし。」

「そうだな、後ろで座っていてくれるとありがたいな。」


と金剛はしばらくそこにいる事となった。


まるで山の様に大きな男が座っているのだ。

皆が見ていく。

そしてついでに売り物ものぞく。


急に客が増えて店主が忙しくなった。

様子を見て金剛も客の相手をする。

それが店主が思った以上に上手いのだ。


にこにこと笑いながらあれこれと物を勧める。

だが商売っ気は無いので本当に似合う物を見せてにっこりすると

不思議な事に売れるのだ。

やがて商品はほとんど売れてしまった。


「驚いたな。」


店主がため息をついた。


「結構売れたな、ご主人。良かったな。」


店主がにこりと笑った。


「あんたのおかげだ。」

「そうかぁ?」

「ああ、祭りは今日までだから良かったよ。

なにか礼がしたいな。飯でも奢らせてくれよ。」

「いやあ、ありがたいな。」


と金剛が残った商品を見た。


「……その、ちょいとお願いがあるんだがな。」


と金剛が少し恥ずかし気に言うと一つの簪を持った。


「これ、売ってくれんかな。」


それは白珊瑚の玉に花が全面に彫られた簪だ。

それほど大きなものではないが白色が美しい。

店主がはっとする。


「なんだ、女でもいるのか?」

「あー、その、なんと言うか……。綺麗だろ?」


金剛がぼりぼりと頭を掻く。

それを見て店主がははと笑った。


「良いよ、持って行けよ。飯も奢るよ。」

「ありがたい、腹がぺこぺこなんだよ。」


金剛が簪を見る。


「それはな、野茨の花だ。

白珊瑚だからそんなに高くないが細工は綺麗だぞ。」


店主が説明をすると

金剛はにやりと笑い簪を大事そうに懐にしまった。




金剛はやがて自分の生家の近くまで来ていた。

もう何日野宿をしているだろうか。


今は気候も良い。

外で寝ても苦ではなかった。


「虫だけが厄介だがな。」


金剛はそう言うと蓬を見つけて肌に擦り込んだ。


その日は満月だ。

雲もない夜空に白く丸い月が浮いていた。


月明かりの中、彼は胸元から簪を出した。

白珊瑚が淡く浮き上がる。


「うばら……。」


うばらとは何だろうか。

彼には分からなかった。


あの白い着物の女は子どもの頃から何度も彼の前に現れた。


もしかすると物の怪や幽霊だったのかもしれない。

だが彼にはそう思えなかった。

この世の者とは思えない白く美しい女だ。

まるで天女か女神に思えた。


その女が芳香を放つ野茨の前に立ち自分に微笑んでいる。


彼は色々な女を知っている。

現実に生きている女も可愛く綺麗だ。


だが、彼の心には常にうばらと言う女の姿があった。

額には赤い筋があるがそれすら彼には美しく見えた。


金剛は簪にそっと唇を寄せた。


かつては自分より大きく見えたあの女は、

今ではきっと小さく見えるのだろう。


「茨は屋敷にあるだろうかな。」


自分が持っていた野茨の枝は色街のそばに差して来てしまった。

寺の野茨は自分が破門されたら枯れてしまった。

実家の茨も枯れたと聞いた。


だがそれでも実家には少しは何かが残っているかもしれないと

金剛は考えていた。

枯れたと言っても根ぐらいは残っているかもと。


今はうばらと続くものは何一つ持っていない。

彼が持つこの簪だけが彼女を思い出させるものだった。


金剛は簪を胸元にしまい目を閉じた。

聞こえるのは風で微かに揺れ動く葉の音だけだ。


あと数日歩けば屋敷に着くだろう。

とりあえず明日の朝は何を食べようかと金剛は考えた。




昔話を続ける金剛が大きくため息をついた。

雪はそんな様子の金剛を見る。


「雪さんの憶えにあるうばらは誰なんだろうと

俺は思ってな。」


生々しい金剛の昔の話だった。

だがそれが彼とうばらを繋げる話なのだ。

彼女はしばらく考え込む。


「茨の木の前にいた白い女のかたが昔のうばらさんだと思います。

お母様のお名前はそのうばらさんが

金剛さんをここに来させるための結び付けかと。」

「だろうな。」


金剛がため息をついた。


「でもここのやしろが上にこの場所を知らせていたら

もっと早く見つかったんだがな。」

「もっと早く?」

「そうだ。俺はな二十年近く前からここを探していたんだ。」

「二十年ですか?」


雪は驚いた。


「その話もしてやるよ。」


金剛がにやりと笑う。

それを見て雪が少しばかり顔を背けてすました顔をした。


「あの、さっきみたいな話は嫌です。

女の人に刺されたとか……。」

「ああ、あれな。」


金剛が笑った。


「なんだ、雪さんは彦さんと夫婦めおとなんだろ?」


雪が首を振った。


「まだ祝言は挙げてないんです。」

「そうなのか?一緒にいるからもう夫婦みたいなもんだろ。」

「その、あの、やっぱり順番ってありますから……。」

「そんなの関係ないだろ、やっちまえよ。」


それを聞いた雪の顔が真っ赤になった。


「な、何を言ってるんですか……。」


彼女の語尾が震えている。


「おお、すまんな、怒らせちまったな。」


金剛が笑いながら頭を下げた。


「それなら早く祝言を挙げちまえよ。」


恥ずかしさで少しばかり涙目になりながら

雪が金剛を睨んだ。


その時金剛が社の入り口で書付台帳を持ち立っている彦介を見た。

金剛が彼に手をあげる。

すると彦介がはっと気が付いたように二人を見ると、

少しばかり複雑な顔で彼は近づいて来た。

金剛が彼の手元の台帳を見た。


「それか、秀さんが言っていたものは。」

「……え、ええ、ああそうです。」


金剛が台帳を見る。


「かなり古いな。」

「そうです、多分大昔の刀が作られた時の書付もあるようで、

その時期の後、玉鋼をいつもより大量に仕入れているようです。

正直田舎の刀鍛冶にしてはびっくりするほどの量です。」

「使った分仕入れたと言う事なのか?

だが金子きんすもいるよな。」

「茨の木の時にお雪ちゃんが言っていた、

どこかから送られたお金が使われたのでは。」

「そうだな、秀さんのご先祖も材料が無ければ

仕事は出来んしな。

あの刀で在庫を使い切ったのかもしれん

それとその金でこの社も作られたようだし。」


金剛が社の庭を見渡した。


「鳥居も地震で倒れたままなんだな。」

「え、ええ、まだそんな余裕が無くて。」


金剛が二人を見た。


「これが終わったらここを綺麗にしよう。

鳥居も新しく作ろう。

白い鳥居だよな、珍しいな。

今度は俺が金を出せと言ってやるよ。

前よりどっさり引き出してやる。」


金剛がにかりと笑った。

彦介は一応笑い返したが、

先ほどの金剛と雪が仲良くしゃべっている姿が

頭から離れなかった。


「じゃあ、私は……。」


と彦介が家の中に入って行こうとした。


「おい待てよ、彦さん、

今俺の話を雪さんにしていたんだよ。

昔話だがお前さんにも聞いて欲しい。」


雪がつんとした顔で他所を向いた。


「さっきみたいな話は嫌ですよ。」


金剛がにやにやとする。


「何をお雪ちゃんに話したんですか?」

「いやなに、俺が女を泣かした話だよ。」

「泣かした?」

「まあ、刺されたんだがな。」


彦介があっけにとられた顔になった。








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