知典家 1





金剛が五歳頃の話だ。


彼が生まれた知典とものりは武士の家系だった。

それなりの屋敷はあった。

だが家屋や庭はどことなく荒れている。

彼の家は武士であっても落ちぶれつつある家だったのだ。


金剛の母のうばらはこの家に後妻としてやって来た。


彼女は門前町で茶汲み女をしていた。


水茶屋は先の改革で禁止されたが、それでも名目を変えて

よく似た商売は続いていた。

旅人の休憩場とお茶を出すだけだと。


そこに妻を亡くした金剛の父、成良なるよしがうばらを見つけた。

そこからは話が早かった。


成良は先妻との間に男の子どもがいた。

だが特に問題も起きなかった。

もう大人に近い年齢だったからだ。

元服を済ませたばかりの長子の直良なおよしは十五歳だ。


それにその新しい母親は何やら不思議な気配を纏っていた。

聞けばどこかの祭司の末裔だったらしい。

水商売に就いていたとはいえ世離れした雰囲気があり、

直良は気味悪がって近寄りもしなかった。


嫁入り道具などほとんどなかったが、

野茨の枝を持って来てそれを庭に植えた。


枯枝だったが不思議な事に根付き緑の葉をつけた。


そしてうばらはすぐに妊娠をした。

だが彼女は金剛を産むとすぐに亡くなってしまった。

その生まれた子の右肩には雷のような痣があった。

残された父親はその後腑抜けのようになってしまう。


それから五年。


少しばかり荒れた庭では野茨だけがうっそうと葉が茂り、

白い花を付けて芳香を漂わせていた。


その前では金剛が木刀を振っていた。


武士の子だ。

四歳になると木刀を持たされ鍛錬が始まっていた。


まだ真似事のような事ばかりだが、

意外と金剛はそれに夢中になっていた。

毎日のように一人で木刀を振る。

そしてそれが一段落すると金剛はずっと野茨を見つめていた。


花が咲き出してからそれが毎日だ。

それを見た乳母のタカが声をかけた。


こんちゃん、どうしたの?」


タカは老婆だ。

この知典家の直良も面倒を見た。

金剛が振り向く。


「ばあちゃん、あそこに女の人がいる。」


彼は野茨を指さした。

タカはそこを見るが、彼女には白い花をつけている木しか見えなかった。


「女の人なんていませんよ。」


野茨の花はみっしりと付いていた。

それが子どもには女性の姿に見えるのだろうと彼女は思った。


だが毎日金剛は野茨を見ている。

そして言うのだ。


「白い着物を着てるよ。笑ってる。

額に筋があるけど綺麗な人だよ。」


さすがに恐ろしくなったタカは

今ではぼーっと座っているだけの成良に相談した。


「……ほっとけ。」


と父親は言うだけだった。


長子の直良にも相談するつもりだったが、

まだ若い直良は父親に代わって城に出入りしている。

ずいぶん虐められているようだった。

それでも家を復興するために歯を食いしばって

勤めを果たしている。

そんな彼にこの話をするのはタカには躊躇われた。


仕方なく様子を見ていたが、

野茨の花が散り出すと金剛は何も言わなくなった。

無言で刀を振っている。

それは子どもの成長の一時の迷いだと彼女はほっとした。


だが翌年、花が咲くと金剛が野茨を見つめている。

恐ろしくなったタカは直良に相談をした。


直良は金剛の様子を伺ったが全く訳が分からない。

仕方なく懇意の寺の住職に相談をした。


「狐憑きかもしれません。」


そう言われて金剛はその寺の総本山に送られる事となった。


それはある意味知典家の口減らしだった。

直良からすればほとんど接触の無い十五歳も年下の

異母兄弟など面倒くさいだけだ。


タカだけは金剛はまだ小さすぎると言ったが、

歳をとった乳母の話など誰も聞くわけがない。

父親の成良はもう呆けてしまって家では誰も相手をしていなかった。


金剛が寺へと送られる数日前、真夜中に彼は目が覚めた。

何かの気配に彼は庭に出る。


野茨の花の時期はもう終わっていた。

木はうっそうと葉が茂り、濃密な気配を漂わせていた。


彼は自分がここから追い出される事はもう分かっていた。


七つになりこの家で自分は邪魔者であると言う自覚があった。

そこから出られると言うのはある意味

彼には解放される感覚があった。


だが、唯一悔いがあるとすればこの茨の木と別れる事だ。


彼は木の前に立つ。


その時、茨の方から彼の頬に微かな風が吹いて来た。

そして白く柔らかな女性の姿が現れた。


金剛は驚いた。

それは花の季節だけに現れる幻の女性だ。

花の時期以外に見た事は無い。


立ち竦む金剛の前に女性がゆっくりと近づく。

そして金剛に顔を近づけるとその口元が何度も動いた。


「……う、ば、ら?うばら?」


それを女性が聞くとにっこりと笑った。

額には一筋赤い線があった。


女性は野茨の木に吸い込まれるように消えて行った。

慌てて金剛が走り寄る。

そしてその足元に木の枝が落ちていた。


彼はそれを拾い胸元にしまった。


そして数日後金剛は家を出た。

その時野茨の木は白い花を一輪だけつけた。


見送りは泣いているタカしかいなかった。







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