ちょうちん





「なあ、菊おばちゃん。」


やしろで子どもの面倒を見ている秀次の女房の菊に

長丸が話しかけた。


「なんだい、腹減ったのか。」

「ううん、違うよ、減ってるけどさ。」


長丸の横で小春と花も頷いた。


「ああ、分かったよ、そろそろお八つにしようかね。」


子ども達は歓声を上げる。

その様子を見て菊がにこにこと笑った。


彼女には息子は一人いるが今は修行に出ている。

子育ては昔の話だ。

久し振りに子どもの世話で少しばかり彼女は楽しかった。


皆で縁側に座っておやつを食べる。


「なあ、おばちゃん、おっちゃん、

変な形のちょうちんを持ってたぞ。」


昨日長丸が見た景色だろう。


「提灯?」


提灯を持っている事は不思議な話ではない。


「おいら、刀だと思ったんだけどぼーっと光ってたんだよ。」

「じゃあ提灯だろ。」

「うちも見たよ、長―いちょうちんで、おっちゃん両手で持ってた。」


小春が言う。


「長―く光ってたけどはんぶんしかなかったよ。」


花までその話をする。


「こんな風に持ってたよ。」


長丸が縁側から降りて刀を構えるように

両手で何かを握るようにして立った。


「な、刀みたいだろ。

おばちゃんも見してもらえよ。

すっごいきれいだったよ。」


長丸は無邪気に笑った。

菊は薄く笑ったが、

昨日からの夫の様子が気になっていた。


金剛が来てから夫は妙に無口になり、

何かを考えこんでいる様になった。


そして今日は社の彦介と雪、金剛が出掛けるので

菊が子どもの面倒を見ろと言われたのだ。

今までにない事だった。


そして金剛が来た時に彼女もちらりと刀を見た。

恐ろしく大きな刀だった。


金剛と言う男はとても感じの良い男だ。

だが刀には禍々しいものを彼女は感じた。

刀は戦いの道具なのだ。

生き物の命を絶つものだ。


それを金剛がこの村に持ち込み、子どもにも見られた。


一体何が起きているのか。


菊の胸にじわじわと不安が湧いて来た。


「……村長むらおさは知っているのかね。」


菊は呟いた。





雪がふっと目を開けると目の前に心配そうな顔をした

彦介と金剛がいた。


彼女は起き上がり頭を振る。

そして今何があったのか全て思い出した。


「一旦社に帰るか。」


雪の様子を見て金剛が言った。

だが彼女が言う。


「いえ、黒砂の場所に行きましょう。」

「お雪ちゃん、大丈夫か?」


彦介が言うが、彼女は首を振った。


「うばらさんが言っています。時間がないって。」

「時間がないって?」


金剛が腕組みをして言った。


「もうすぐ寿命が尽きるそうです。」


金剛の顔があっけにとられる。

そして雪の肩を強く掴んだ。


「寿命、とは、うばらのか。」


低く途切れがちな金剛の声だ。

初めて聞くうろたえたような彼の感情だ。


雪が彼を見る。


「そうです。そして鬼が来ます。」

「鬼が……。」

「頭の無い鬼です。

うばらさんが弱って来たのを知って

都から戻って来るみたいです。」


金剛が雪の肩から手を放して放心したように

しばらく立ち竦んでいた。


「金剛さん、大丈夫か?」


彦介が金剛に声をかけた。


「あ、ああ、すまん、」


金剛の顔色は悪かった。

だが彼は大きく息を吸った。


「鬼の便所に行こう。

思ったより時間が無い様だ。」


彼は気持ちを絶つようにきっぱりと言った。


「そうですね、行きましょう。」


金剛は歩き出し彦介も速足でついて行く。

雪も後を追った。


そこからそれほど離れていない所が鬼の便所だった。


山の中腹でその辺りだけ地面は真っ黒な砂で

草一本生えていなかった。

そしてその場所の中央には大きな地割れがあった。

金剛が足元の黒砂を手ですくう。


「ここが雨多うだ柆鬼ろうきが出た場所だそうです。

うばらさんが教えてくれました。

元々ここがあの鬼の生まれた場所で、

首が無くなってからもずっといて、

二年前にここから出たようです。」


雪が言うと彦介が周りを見た。


「あの地割れから現れたのでしょうか。

もしかすると二年前の地震はここが原因なのか?」

「多分そうだろうな。」


金剛が地面が割れている近くまで行って

奥を覗き込んだ。


そこはどこまで続いているか分からないぐらいの

真っ黒な闇だった。

風にあおられた砂がさらさらと落ちて行くが、

その先も砂も一体どれほどあるのか分からなかった。

そしてそこを通る風の音もたわんでいた。


「この砂自体が鬼のてられて色が変わっています。

そしてこの場所も。

うばらさんからいつか頭を取り戻そうと狙っていたようですが、

うばらさんは離さなかった。

鬼はついにしびれを切らせて出て来たようです。」


雪が言うと金剛がため息をついた。


「その間うばらはずっと鬼と直面していたのだな。」


雪が金剛を見た。


「そうです。

いつか金剛さんが現れる時を待って。」


二人の間にぴんとした視線が走る。

彦介がちらりとそれを見た。

だが金剛が目を逸らす。


「彦さん、この砂を持っていけねぇか。」


金剛が彦介を見て行った。


「いや、今は何も持っていないので、

明日にでも入れ物を持って来ましょう。」

「黒川にも砂は少しはあるがここの方が多い。

茨の木のそばでもいい。

ともかく準備を進めないとだめな気がする。」




夕方近くに皆は社に戻って来た。

菊は挨拶も早々に帰って行った。

少しばかりよそよそしい様子だったが、

疲れている皆は気が付かなかった。


その夜、雪はふっと目が覚めた。


茨の木の出来事の後、

彼女はずっとその枝の一振りをずっと持っていた。

それは今は井戸のそばの桶に入れてある。


青々とした緑の葉が付いた枝だ。


彼女はそっと起きると外に出て社の入り口近くにその枝を刺した。

根付くのかどうかは分からない。

そして今の彼女の顔つきはいつもの彼女ではなく、

あの木のそばで見せたうばらの顔だった。


人懐こい優しげないつもの雪ではなく、

近寄りがたい高貴な白く美しい顔立ちだ。

その額には赤い筋がある。

白い肌にその赤さはどことなく痛々しい。


どうして彼女にそのような印があるのか、

それは誰にも分からなかった。


だが自分の意志に関係なく

鬼の胞衣えなとして選ばれてしまった彼女が、

唯一それに抵抗するものとして

その印を作り上げたのかもしれなかった。


鬼の気を得つつそれを育て、

そして自分の魔力を積み上げて印を身に付ける。


鬼はまさか木が自分に抵抗するとは思わなかっただろう。

彼にとって木は無理やりにでも自分に従わせるものだからだ。


その反抗をうばらは何百年も続けて来た。


雪は枝をしばらく見ているとふっと家に戻った。

この出来事は彼女に記憶があるのかどうか分からなかった。

多分何も覚えていないだろう。


翌日雪は花の芳香で目が覚めた。


どことなく緑の香りがする爽やかな感触だ。

昨日体中にまとった匂いだ。


彼女ははっとして起き上がる。

そして慌てて庭を見た。


そこには人の背程ある茨の木があった。

そして花が満開で白く輝いていた。

家から皆が起きて来てそれを見る。


「お雪ちゃん、これ……。」


彦介と金剛は彼女が昨日枝を持ち帰ったのは覚えていた。

だが桶に入れたままだ。

その桶は今は空になっている。

彦介が雪を見た。


「お雪ちゃんが地面に刺したのか?」


雪が首を振る。


「いえ、私は全然覚えが無いです。」


金剛が木に近づき花に触れる。


「……俺はこういう事を何度か経験した。

うばらだ。」


金剛が木に向かって手を広げた。

そして花の塊をそっと抱きしめるように少し身を寄せる。


彦介と雪はそれを後ろから見た。


金剛が言ううばらがそこにいるような気配を感じた。

そしてそこで初めてお互いを見つけたように見えた。





昼前に雪が社の入り口近くを掃除をしていると

遠くに人影が見えた。

そこには今朝現れた茨の木が花をつけている。


やって来たのは秀次と村長のよし兵衛べえ村役むらやくの庄助だった。

三人は雪に近寄ると驚いたように野茨の木を見上げた。


「やあ、雪さん、ここにこの木はあったかな?」


喜兵衛が雪に聞く。


「ありませんが、その……、」


雪はどうやって説明していいのか分からなかった。

何しろ一晩でこの木は現れたのだ。

そして皆の顔を見て口ごもった。

彼らは深刻な表情だったからだ。


「お雪さん、金剛はいるか?」


秀次が難しい顔をして言った。


「ええ、いますけど……。なにかありましたか。」

「その、うちのばばあがな、村長に刀の事をな……。」


昨日菊が帰った後、彼女は村長の喜兵衛の所に相談に行ったのだ。


「わしも村長とちょっと話したんだが直接金剛と話がしたいと、」


秀次がちらりと村長達を見た。

みな渋い顔をしている。

その時家から金剛が顔を出した。


「おお、こりゃ何やら大事だな。」


金剛はにやりと笑うが皆は笑わない。

彼の顔は苦笑いに変わると首筋をぼりぼりと掻きながら言った。


「深刻な話らしいな。

彦さんよ、皆に上がってもらっていいか。」


金剛は家の中にいる彦介に呼びかけた。







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