うばら 2





疲れ切った皆は村長むらおさの屋敷に行った。

他の村人も集まって来る。

昨日の嵐は村を酷い有様に変えた。


「私は鬼を探しにこの近くの山に来た。」


村人が円座になった中で金剛が話し出した。

生まれたばかりの赤ん坊は

貰い乳が出来る別の女房の元にいた。


「都で捕まった鬼がここの近くの木に

ある鬼が取り憑いていると白状したのだ。

その鬼は雨多うだ柆鬼ろうきと言う。

私は捕まった鬼が言った場所に向かった。

そこには普通の野茨より大きい茨の木があった。」

「黒川を上がって行ったところにある木か?」


一人の村人が言う。


「川砂が真っ黒な川だ。」

「ああ、そうだ。

どこかから黒い砂が流れて来るんで黒川だが、

いつもは大雨の後は流れちまってほとんど残らんが、

ここしばらくはずっと真っ黒だ。」


金剛がため息をつく。


「何年か前に私はその木のそばに行った。

まだ鬼は小さいと聞いていたからだ。」

「小さいとはどういう事だ。」

雨多うだ柆鬼ろうきは体を作り替えていると言う話だった。

要するに生まれ変わっている最中だ。

だから私一人でも成敗出来ると思ったが……。」




満月が煌々と照らす明るい夜だった。

武士姿の金剛が言われた茨の木の前に立った。

彼は周囲を伺いながらじりじりと木に近寄った。


周りの木よりその茨の木は一回り大きかった。

そして花が木一面に咲いていた。

月明かりの下で白い野茨の花は透けるように光り、

爽やかな香りが満ちていた。


金剛はすらりと刀を抜いた。


剣の冷たい輝きが一瞬ひらめく。

彼は木を前にして刀を振り上げた。

そして音もなく振り下ろされたが、それは途中で止まった。


木の前に女が立っていたのだ。


濃密な香りに包まれて女は立っていた。

彼から見ると彼女の顔は刀を境に二つに分かれていた。

手ごたえは無いのだがその額に刀の刃が触れたのだろうか。

白い肌に赤い筋が付いていた。


だが女は恐れた顔もせず

少しばかり微笑みながら金剛を見た。

彼はまじまじと彼女を見た。

抜けるような白い肌に額には赤い筋がある。

その赤は白の輝きの中で妖しくきらめいた。


青白い月光の下で女はほのかに光を放っていた。

そしてその眼は深々とした黒色だった。


瞳の色は闇ではなかった。

温かみのある柔らかな黒だ。

ほんの少しだけ月の光を受けて濡れたように光っていた。


心が吸い込まれるような感触があり、

その瞬間香りが手足に纏わりついて

金剛は身動き出来なくなった。


女は目の前に刀があっても微笑みながら金剛に近づいた。

そしてその腕を彼の首に回す。


生温かく滑るような腕の感触だ。

それが自分の肌に沿うように首に回された。

金剛は自分の体の芯がまるで火かき棒のように

一瞬で燃え滾るように熱くなった。


金剛は訳が分からなくなった。

香りに酔ってしまったのだろう、

頭の中心が真っ白に霞んでいた。


既に刀は地面に落ちていたが、それすら分からなくなっていた。

彼の手が彼女の曲線をなぞる。


だが、女が金剛の耳元で囁いた。


「お前の刀で目が覚めた。私を切って逃げろ……。」


それを聞いた金剛に彼女の心が入って来た。

彼女は茨の木だった。

そして名前はうばら。

鬼に操られていたのだ。

彼の刀が額に触れた瞬間、彼女は己を取り戻した。

そして金剛に言葉を囁いたのだ。


彼女は望んで鬼の胞衣えなになったのではなかった。


硝子が割れたように金剛は意識を取り戻し、

落ちた刀を掴んだ。

そしてそれを振りかざす。


だが木の根元から二本の太い腕が飛び出して金剛の体と

女の体をそれぞれ握った。

その腕全体には茨の棘のような鋭い毛が生えていた。


そして今まで月が出ていたのにいきなり雲が湧き、

叩きつけるような雨が降り出した。


風が竜巻のように強く吹きまわり、雷が激しく落ちる。

稲妻が金剛の右肩に落ち、手から刀を飛ばした。


雨はまるで洪水の様だった。

二人は全身を棘の毛で刺されて血まみれになっている。

雷が轟音を立て、雨は全てを圧し流すような勢いだった。


だが地中から出て来た腕はしばらくすると

ぶるぶる震えだし握った手を開いた。


二人の体が地に落ちる。

雨は未だに激しく濁流の様だった。

その水とともに二人の体が流れていった。


腕はしばらく雨の中で動かなかった。

だがやがてゆっくりと茨の木の元に戻っていく。


嵐は激しいままだ。

雨は降り続き雷が荒れ狂っている。


それはあの腕の怒りのようだった。




村人を前にして金剛が話を続けていた。


「うばらは、あの茨の木は鬼の胞衣にされていたのだ。」

「胞衣って、あの木が育てていたんか。」


金剛が顔をあげる。


「育てさせられていたのだ。

あの鬼は雨多うだ柆鬼ろうき、天気を司る凶作の鬼だ。

その名の意味は大雨とともに木を枯らす。

かつて一度命が尽きたが、

この現世に舞い戻るためにうばらの根に取り憑いたのだ。

それまではうばらは普通の木だった。」

「じゃああの木を切り倒せば鬼は死ぬんか。」


金剛がため息をつく。


「いや、もう育ってしまって昨日やって来たのだ。

前に私達が捕まえられた時は育ちが十分ではなかった。

だから私達の止めが刺せなかったのだ。

そして多分うばらの中には鬼の種が残っていたのだろう。

それが一人の子が育つとともに一緒に大きくなり、

男の赤子を取りに来たのだ。」


金剛の手が強く握られる。


「あの鬼の子は雨多うだ柆鬼ろうきの分身だ。

育てられた一つの命としてそれを鬼は取り入れてしまった。

私は記憶を無くしていたとは言え、

鬼の力を強くする事をしてしまった……。」


金剛ががっくりと肩を落とした。

周りの村人は何も言えず無言で彼を見た。


遠くの部屋から微かに赤ん坊の声がする。

うばらが産み落としたもう一人の赤ん坊だ。


「その、金剛さん、あの子も鬼の子か?」

「……あの子は違う。私とうばらの子だ。」

「額に筋があったな。茨の女にも筋があったのう。」


あの場にいた村人が思い出す。

うばらが彼らの前に立って言った事も。


― 皆に手を出すな!


村人がため息をついた。


「茨の女、いや、うばらさんは俺達を守ったな。」

「ああ、俺も見た。額に目があった。」

「あれを見たら鬼が動かなくなったよ。」


金剛が再び俯きぽたぽたと涙を流した。

それを見た村人も彼の心の中を感じると、

皆が悲しい気持ちになった。

金剛やうばらの記憶がない時の姿を思い出したのだ。


二人は静かに過ごしていた。

人と争う事なく、穏やかに暮らしていた。


だがその二人には思いも寄らない事情があったのだ。


しばらく皆は何も言わない。

だが村長が言った。


「金剛さん、わし達は何をすればいい。

鬼が放たれたのだろう。

それに皆にも聞きたい。これからどうするか。」


鬼が現れた事は誰でも恐ろしい。

知らぬ顔をしてそのまま暮らせば良い選択もある。

昨日の嵐はこの村にもひどい被害をもたらした。

その回復もしなければいけない。


金剛は顔を上げた。


「まず都に手紙を書きます。私の連絡先だ。

私はずっと旅暮らしで都に連絡を取らない事は多かったが

今は探していると思う。

三日ほどで届くはずだ。」


そして皆を見た。


「刀が欲しい。」


村人が一人の男を見た。

精悍な顔つきの男だ。


「刀ったって都に手紙を出すんなら持って来てもらえば良いだろ。」


皆が見た男が金剛に言った。


「いや、間に合わん、鬼は産まれ出でた。

今すぐにでも成敗しなければ鬼は世に悪を成す。」

「退治と言ってもよ、今どこにいるのか分かるのか?」

「うばらを連れて行った。茨の木に戻っていると思う。」


村人が男を見た。


秀郎ひでろうよ、お前は刀鍛冶じゃないか。

作れるだろう。」


秀郎と呼ばれた男が難しい顔をした。


「作るったってすぐに出来る訳じゃない。

少なくとも刀身とうしんを作るだけで三日四日はかかる。

その上に柄やら鞘やら……。」

「刀身だけで良いのだ、鬼を封印するから。」

「封印?成敗するんじゃないのか?」


村長が金剛に聞いた。


「うばらが教えてくれた。

あの雨多うだ柆鬼ろうきは自分の身が衰えたら生まれ変わる鬼なのだ。

嵐を司る鬼で世界との繋がりが強い。

そしてろうの字は立ち枯れた木の事だ。木の精を吸って育つ。

だから野茨と言う木を生まれ変わる胞衣にしたのだ。」

「秀郎よ、お前んちは藤原の頃からの刀鍛冶だろ。

遠くからでも頼みに来る。腕は確かだ。」

「まあ、材料はあるしそれなりの物は作れるとは思うが、

鬼退治の刀か……。」


秀郎がぼりぼりと首筋を書きながら唸った。

金剛が真剣な顔で秀郎を見た。


「昨日見た雨多うだ柆鬼ろうは高さが六尺以上あった。

だから刀は少なくとも四尺は欲しい。

そして幅も普通の刀の倍はいる。」


秀郎の口がぽかんと開く。


「そりゃおお太刀たちだろ、でかすぎるぞ。」


金剛が秀郎の前で土下座をした。


「頼む、頼む、

そしてあの黒い砂を混ぜて刀を打って欲しい。

あの黒砂は鬼のを吸っている。

あれを混ぜて刀を作れば鬼の体と交わって、

より強い封印の力を持つはずだ。」


金剛が頭を上げた。

顔は涙で濡れている。


「うばらが連れ去られる瞬間、

今の全てが私の心に入って来て教えてくれた。

そしてうばらはまだ生きている。

野茨の木の元にいる。それも分かる。

私は……、私はうばらを助けたい。」


皆はしんとなった。

先程まで微かに赤子の声が聞こえていたが、

それも今は無かった。

乳をもらって眠ったのだろう。


鬼に襲われた者達はその前に立ちはだかった

うばらを思い出していた。

痩せた小柄な女性が皆を守ったのだ。


「秀郎よ。」


村長が静かに言った。


「すまぬが刀を打つ事を検討してくれんか。

それと皆よ、黒砂を集めるのもな。川床にあるはずだ。

村人総出で集めればどうにかなるかもしれん。」

「でも村長よ、昨日の雨で村も被害が出てるぞ。」


村人の一人が言う。


「出ている、それは分かっている。

だが金剛さんの話ではあの嵐はあの鬼がいる限り

度々起こるかもしれん。

何しろ二年前もそうだったろう。

あの嵐が何度も起きてはこちらもかなわん。」


皆は村長を見た。


「幸いにもまだ田植えが始まる前だ。

もし鬼を封印するなら

それが始まるまでには決着をつけなければならん。

いつ鬼が来るか分からぬまま

田植えを始めるのとどちらが良いと思う?」


村人は複雑な顔をしつつ何人かが頷いた。


「ただ手伝えるのは刀が出来上がるまでの数日だ。

わしらは農民だ。戦いは知らん。

だから鬼と何かは出来んがそれでもいいか。」


村長が金剛に言った。

金剛は涙を流しつつ皆に頭を下げた。


「大太刀かあ……。」


秀郎がぼそりと呟いた。

だが口元がほんの少しだけ笑っている。

もう既にどう作業をするか頭の中で考えている様だった。







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