うばら 1




江戸と言う時代になりしばらく経った頃だ。


かつては世の中を動かしていた武士と言う人々は、

いつの間にか時代に取り残され始めていた。


もう戦は起こらないのだ。

人々は平和に慣れていた。


その時、この茨島村に一人の男が現れた。

と言っても彼は荒れた黒川の上流から流されて来たようだった。

男が見つかる前日は大嵐があった。

雨が激しく降り雷がひっきりなしに鳴り落ちた。


その翌日川水が引き始めた頃、

一人の村人が黒川の様子を見に来て川辺に

男が倒れているのを見つけた。

その傍らには女性も倒れている。


見つかった時は二人とも体中傷だらけで意識もなく、

見つけた者はもう亡くなっていると思った。

男の右肩には雷に撃たれたような酷いやけどの跡があった。

慌てて他の村人を呼び体を引き上げると、

男はわずかにうめき声をあげた。

そして女も生きていた。


最初皆は二人は心中者だと思われていた。

だが黒川の上流から流れて来たのだ。

そこには人は住んでいないはずだ。


「源氏の落ち武者だとかなあ。」


そんな時代ではないと皆は笑ったが、

男の様子はともかく

女性はやんごとなき身分のような浮世離れした気配があった。


何にしても死にかけている人を見殺しには出来ない。

彼らは見知らぬ二人を手厚く看病をした。

やがて男が意識を取り戻したが、


「申し訳ござらぬ。」


と男は枕から頭を起こせない頃から

度々謝罪の言葉を言うだけだった。

その口調や身なりや仕草を見ると

男は武士ではないかと思われた。


だが女は口がきけないのか何も言わない。

薄ぼんやりと目を開けて、

食べ物も口元に持って行けば食べるがほとんど物を摂らなかった。


やがて二人が起き上がれるようになった頃、

村人は色々聞くが彼らには記憶が無かった。

生活するには問題は無かったが、

どうして黒川の上流から流れて来たのか全く分からなかった。

その時も男は


「申し訳ござらぬ。」


と頭を下げるだけだ。

女もよろよろとした様子だが頭を下げた。


事情はよく分からないが、

誰かがもしかすると身分違いで恋に落ちた二人が

駆け落ちしたのかと言いだした。


この二人が見つけられた前の日、

山辺りで酷い嵐があった。

村でも激しい雨と雷が鳴った。

逃げている最中にそれに巻き込まれたのではないか

と言う事だ。


そうなると皆同情的になった。

二人とも身分を傘にしたような高飛車な様子は全くなかったからだ。

記憶が無いのだから当たり前かもしれないが、

事情を知られるとこの二人は処罰されるだろう。


どうせここは田舎だと

二人はそのまま茨島村で生活する事となり、

彼らは村はずれの家で暮らす事となった。


そのうちに無表情だった女も何となく

穏やかに笑うようになった。

相変わらず言葉は出なかったが、

世話をする村人には素直に従っていた。


そして二年が経った頃か、

女は子を身ごもり村はずれの家で双子を産んだ。

男と女の双子だ。


その日、昼からあの時のような大嵐が来た。


朝は良い天気だったが、

急に曇りそして雨が降った。

雨は収まる気配はなく、雷も激しく至る所に落ちた。


そんな騒ぎの中で女が声もあげず陣痛で苦しんでいる。

産婆が必死に励まし、何人か手伝いに来ている村の女も妊婦の手を握る。

その隣の部屋にはあの男と村の男も数人いた。

皆嵐で帰るに帰れずこの家にいたのだ。


そして夜も更けた頃、

女が無事子どもを産んだ。


産婆は生まれた子を見る。

女の子の額には赤い筋があった。

そして男の子の額には二本の角が……。


驚いた産婆が女の子を抱いた時だ。

凄まじい音を立てて建物の壁が一瞬で崩れた。

そして手が伸びる。


棘の様な毛が生えた恐ろしい巨大な腕だ。

それが寝かせられている男の赤子を掴んだ。


雨戸は飛ばされ家の中に雨が激しく入り込んだ。

別の部屋にいた男が驚いて部屋に飛び込んで来た。

そして何人かいた村人もその光景を見る。


そこにいたのはらんらんと目を光らせて

かがむように部屋にいる鬼の姿だった。


「お前はよくやった!!」


鬼は男を見て恐ろしい声でそう言うと、

そちらを見ながら男の赤ん坊を口に入れた。

おぞましい音がすると子どもの姿は消え、

鬼は満足そうに大声で笑いながら周りにいる人を見降ろした。


「次はお前らだ。」


破れ鐘のような全てを圧し潰すような声だ。

皆は動けなくなる。


その時あの女がすっくと立った。

一瞬周りの人を見渡す。

そして全身が白く光り出し叫んだ。


「皆に手を出すな!」


それは嵐の中で突然聞こえた白い日差しのような声だ。

涼やかでこの淀んだ恐怖を吹き飛ばす、

鋭く清らかな声だ。


女の額が開く。


そこには目のような赤い紋があった。


それを見た鬼の動きが止まった。

そして嵐も。


だが子を産んだ後の女だ。体力が無かったのだろう。

一瞬膝を突く。


その隙に鬼は動きを取り戻し、

女を掴んであっという間に空へと飛んで行った。


そして嵐も一緒に飛んで行く。


部屋の中はまるで地震があった後のように、

何もかも無茶苦茶になっていた。

その中で男は一瞬立ち竦むと気が触れたような声を上げて

頭を抱えうずくまった。

あまりの事に周りの人間も呆然としている。


だが女の赤ちゃんが弱々しい泣き声を上げた。

産婆ははっとして子を見る。

そして男も顔を上げた。


「……全部思い出した。

私は鬼退治に来たのだ。女房は茨の木だ。うばらだ……。」




朝になると昨日の嵐が嘘のようだった。

村長むらおさが呼ばれて村はずれまでやって来た。


「何があったんじゃ。」


青い顔をして村長が家に入って来た。

家と言っても壁は無くなり半分建物は崩れていた。


その中で産婆や村人達が精魂尽き果てた感じで座り込んでいた。

唯一男だけが赤ん坊を抱き身動きもせず、

背筋を伸ばして座っていた。


男は村長を見ると深々と頭を下げた。


「申し訳ござらぬ。」


詫びの言葉だ。


「申し訳ないと言ってもあんたが何かしたんじゃなかろう。」


男が悔し気に口元を一文字に結んだ。


「いや、これは私のせいなのだ。

私は全て思い出した。」


村人達は男を見た。


「私は金剛と言う。鬼退治をしている。

そのためにここに来たのだが、私は失敗したのだ。」


金剛と名乗った男は俯くと、

赤ん坊の顔にぽたりと涙が落ちた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る