黒川





翌日金剛と彦介、雪が茨様まで行くこととなった。


秀次は


「急ぎの仕事が溜まってんだ。」


と言って、秀次の女房の菊が子ども達の面倒を見るよう

秀次に言われてやしろまでやって来た。


「うちのじじいが昨日屋根裏で色々と探し回ってたけど、

大昔の書きつけが出て来たらしくて、

彦さんに見に来いって。

今日の話も聞きたいと言ってたね。」


菊がやって来ると皆に言った。


「そうですか、今日行けたら行きますよ。

でも明日かなあ。」


彦介が返事をする。


「まああたしが帰る時に返事してくれるかい。」

「そうですね、今日はよろしくお願いします。」


彦介が菊に頭を下げた。

雪が菊を見る。


「いえいえ、私が子どもを見ますから。」

「いや、だめだよ、お雪ちゃんにも来て欲しいから。」


彦介が雪を見た。

だが、雪は正直行きたくはなかった。

なぜなら金剛がいるからだ。

妙に意識してしまうのだ。

だが金剛は普通にしている。

多分自分だけがあの奇妙な感情を感じたのだろう。

だが断れず仕方なく彼女は一緒に出掛けることにした。


三人で野茨の木まで歩きながら、

雪は二人の後ろ姿を見ていた。


二人はずっとしゃべっている。

そして金剛はあの大八車を引いている。

置いて行けばいいのにと彦介は言ったが、


「これは命より大事なものだ。」


と金剛は引いている。


彦介の話では彼一人では動かないぐらい重い物らしい。

だが金剛は平気な顔をしている。

後ろから見ても彦介と金剛の体格は全く違う。

金剛はどちらかと言えばやせ型の彦介の

何倍もありそうな体つきだ。


そしてその体の金剛が昨日見せた刀だ。


見た事が無い程の大きさの刀だ。

そしてその刀の半身は無い。

それを見た時に彼女は背筋が凍った。

初めて見た刀なのにそのような気がしなかったのだ。




彼女の父は茨島いばらじましゃの禰宜だった。


このやしろはなぜか神官がいなかった。

禰宜が代々この社の祭祀をとり行っていた。

祖母も母も彼女らの先代の禰宜夫婦の子だ。

彦介が言ったがこの社の家系では女性しか生まれなかった。


彦介がここに伝わる家系図を見せてくれたが、

やはり女性しか生まれていない。

どの夫婦も婿養子を取っている。


「ここに傍系の筋がある。

金剛さんが遠縁とすればここの家系だろうか。」


と指さす先には確かに女の子が双子で生まれていた。


「別の家に養子に出されたらしい。百年ぐらい前の話だ。

事情はあったかもしれないが、可哀想な事だ。」


養子に出された子のその先には何も書いていなかった。


「その時にあの鏡も渡されたのかしら。」


雪が家系図を辿った。

その先に自分の名前があった。


「そうだと思う。

少なくとも鏡を渡したのは

見捨てたのではないという意味だと思いたいな。」


静かに彦介が言った。


彼は昔から思い遣りのある男だった。

今のこの考えもそうだろう。

小さな子が生まれの親から離されたことが彼は悲しいのだ。


彦介と雪は幼馴染だ。


彦介は体が弱かった。

すぐに熱を出して寝込むことが多かった。

それを村の男の子達はよくからかっていた。


いつも一人でいた彦介はいつの間にか社に来ることが増えていた。

そこには古文書が沢山ある。

一人ぼっちでいる彦介を見て可哀想に思ったのだろう。

雪の父は彦介をそこに誘った。

そこで彦介は文字を覚え、本を読みふけった。

そして雪の父の教えを受けて禰宜として勤めることになったのだ。


二人はよく鬼の話をしていた。

茨島の子どもは小さい頃から必ず鬼の話を聞かされていた。


「悪い事をすると鬼が来て喰われちまうよ。」


躾の一環かもしれない。

だが妙に真実味のある話が多かった。

彦介が鬼について興味を持つのも不思議ではなかった。


そんな彦介と雪が親同士の約束で許嫁いいなずけとなるのは自然な事だ。

雪も優しい彦介を好ましく思っていた。

その頃は既に彦介も社で暮らすようになっていたからだ。


だが祝言を挙げる前にあの地震が起きた。


雪の両親は亡くなった。

当然祝言は喪に服すために延期となる。

村で親を亡くした子も引き取る事となった。


それから二年が経つ。


雪はそろそろ祝言を挙げて欲しいと思っていた。

だが何故か彦介は何も言わない。

同じ家に住んでいても別々の部屋で暮らしている。


それも仕方がないのだろうかと彼女は思っていた。

どちらにしても子どもがいると忙しいのだ。


だが、昨日突然感じたあの感情は何だろうかと彼女は思い返す。


曇った鏡を覗いた瞬間、

自分の面差しに似た女性が浮き上がって来たのだ。


そして後ろから覗き込む金剛。


その瞬間全身がいきなり熱を持った。


そんな事は初めてだった。

ずっと探し求めていた何かが今現れて我を忘れそうな感覚だった。

金剛とはほんの少し前に初めて出会ったのに。


鏡の中の女性の額には赤い筋があった。


雪の母が自分にいつも言っていた事を思い出す。


『うちの女の人には額に目があるんだよ。

それで鬼を追い払える。覚えておきなさいね。』


それはただのお伽話だと思っていた。


だが金剛が来て鏡に現れたあの女性、

もしかすると本当の事なのかもと彼女は思った。

そして皆が言う鬼と光る刀。

お伽話が形を取り始めている。


そして金剛への気持ちは一体誰のものなのだろうか。


自分は彦介の許嫁だ。

それは嫌ではない。


だが知らない誰かの熱い気持ちが

自分の心を無理矢理波立たせている。


彼女は彦介を裏切る事はしたくなかった。

だからその気持ちは押しこめて、

表には絶対に出してはいけないと思った。




黒川を登って行くと人気ひとけが全く無くなった。


細い道が続いているだけでうっそうと木が茂っている。

全て野茨の木だ。

花が盛りでどの木も白い花を咲かせており、

少しばかり野生の気配のする爽やかな香りが周りに満ちていた。


「金剛さん、ここから先は車は入れませんよ。」


と彦介が言った。

確かに道幅は狭くなっている。


「そうだなあ、さすがに無理だな。」


と金剛が車の取っ手を降ろした。


「置いてこれば良かったじゃないですか。」


と彦介が言う。


「まあ確かにそうだが、これは本当に大事なものでな、」


金剛が大八車を見る。


「刀を直す時に玉鋼がいると思って色々な場所のものを集めたんだ。

別の所でも刀の先だけ打ち出して、

柄側とくっっかねえかなとやってみたんだがな、

やっぱり駄目だった。」

「折れた刀は直らないでしょう?」

「そうだが、これはちょいと特別だろう。

もしかしたらと思ってな。」


彦介は刀が光った姿を思い出す。


「そうですね、普通ではない。」


金剛が車の下から刀を取り出し背中に背負った。


「それに車を置いて刀だけ持っていると

目立ってしょうがない。」


確かにそうだろう。長さは四尺もあるのだ。

それを体の大きな金剛が持っていれば誰もが見るだろう。


「それでな、秀さんと話したんだが、

この黒川の川床かわどこに所々ある黒い砂はどこから流れて来るんだ。

秀さんは黒い地面の所があると言っていたが。鬼の便所とか。」


彦介がちらと川を見た。


この川は暴れ川だ。

普段は流れる水の両側は砂地と石が転がって、

川の水は中心にちょろちょろと流れているだけだ。


だがいったん山で雨が降ると一気に川幅いっぱいに

水が流れて来る。

周りに転がっている石はその時に流れて来たものだ。


「ああ、鬼の便所ですか、ここからそんなに遠くありません。

あそこは黒い地層が見える所です。

ざらざらした砂地で植物は根付かないんです。

昔は黒川の川床は真っ黒だったらしいのですが、

多分その地層から流れて来たんでしょう。

ここは暴れ川で水が溢れると一気に押し流しますから、

いつの間にか流れてしまったんでしょうね。

後で見に行きますか?」

「そうだなあ、見たいなあ。」


金剛が後ろを向いて雪を見た。


「雪さん、そっちも行きたいが良いかな?」


雪は二人を後ろから見ながらぼんやりと歩いていた。

突然金剛が話しかけて来たので驚いた顔で彼らを見た。


「え、あ、はい、なんでしょう?」

「お雪ちゃん、聞いてなかったのかい?

鬼の便所まで行こうかと言う話だけど。」

「あ、はい、構いません。」


何となく気の抜けたような様子の雪だ。

彦介が近寄り顔を見た。


「どうかしたか?大丈夫か?」


雪が少しばかり頭を振った。


「ええ、大丈夫。何だか花の匂いに酔った感じ。」


金剛が二人を見た。


「彦さん、手を引いてやれよ、

俺達の足の速さに疲れたんだろう。」

「そうですね。」


少し汗ばんだ彦介の手が雪の手をそっと握った。

だが雪は手を引っ込めた。


「平気です。行きましょう、彦介さん。」


と雪は一人で歩き出した。




しばらく行くと所々に野茨の花が咲く

こんもりとした緑の山があった。


「あれが茨様です。

年に一度お供えに行くぐらいですか。

秋口には村人が茨の実を採りに来ますが、ここまでは皆来ません。」


皆は獣道けものみちの様な細い道を歩いて行く。


「あっ……。」


先頭を歩いていた彦介が立ち止った。

金剛が後ろから覗き込む。


そこには大人が手を回したぐらいの太い幹の茨の木があった。

木は見上げるほど大きい。

そして花が一面に咲いている。

真っ白な美しい木だ。

そしてその周りの土は真っ黒な砂地だった。


そして妙に音が歪んで聞こえた。

風は通るが奇妙に揺らいでいる。


「この砂は……。」


金剛は彦介を置いて前に出た。

砂の上には散った花がびっしりと落ちている。

だが花は薄黒く変色していた。

新しい花は白いが落ちて時間が経ったものは

色が変わっているのだろう。


「前に来た時は普通の土だったが……。」


彦介が戸惑ったように木に近寄った。

その前には供え物を置くための粗末な供物台がある。

彼はそこに近寄ると置いてある皿を綺麗に拭った。

そして御神酒を注ぐ。


「実は地震があってからここに来ていません。

それどころではなくて……。」

「地震で地盤に何かが起きたのか?

だがこれは川床にあった黒い砂と一緒だ。」

「鬼の便所の土と一緒です。

地震で地層に変化が起きたのでしょうか。」


その時、無言で立っていた雪がゆっくりと木に近づいて来た。


「……お雪ちゃん、」


彦介が声をかける。

だが雪は返事をしない。

まるで何かに引き寄せられているような様子だ。


彼女は供物台を越えて木の幹に寄った。

すると一枝、彼女の足元に茨の木から枝が落ちて来た。

それを雪が拾い両手で胸元に抱いた。

そして幹に背を持たせかける。


しばらくして彼女が目を開けると

その顔つきは今までとは違っていた。


「金剛、やっと会えたぞ……。」


それは雪の声の様で雪ではない。

そして彼女の額に赤い筋が現れた。


金剛がぎくりとして彼女を見た。

よこしまな感じは全く無い。

だが異様なものだ。


金剛は思わず彼女の方に手を伸ばした。


「うばら、か……。」


それを聞いた彼女の目が見開かれ、

涙がぽろぽろと流れ出した。


「私はずっと待っていたのじゃ。

お前が来るように、私は色々と……。」


と言うと雪の体がぐらぐらし始めた。

金剛と彦介が駆け寄り彼女を支えた。

雪は意識を無くしていたがすぐに気が付き金剛を見た。


二人の目が合う。


「何を見た?」


金剛が低い声で言った。

今まで聞いた事がない彼の声だ。

しばらく誰も何も言わない。


「鬼の頭……。」


雪がぼそりと言う。

二人は彼女を見た。


「この木……、うばらさんがずっと鬼の頭を封印しています。

そして頭には刀が刺さっています。

私は……見ました。」


金剛が真剣な顔をしてそこに座った。


「教えてくれ、見たものを。」







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