手鏡
翌日、寅松と連れだって金剛が
寅松が金剛の引く車の上に乗っている。
「あんたが金剛さんか。」
寅松に仕事を教えている権蔵が金剛を見上げた。
「昨日は寅があんたの話ばかりしてたよ。
魚をありがとうな。
それら秀さんからも聞いたよ。刀鍛冶だって?」
田舎の情報網は早い。
「ああ、今日からしばらく秀さんの所に世話になる。
よろしくな。」
金剛がにやりと笑う。
「それで秀さんの所には息子さんがいるんだろ?」
「そうだ、」
権蔵が思い出すように言った。
「
秀さんも腕のいい職人だが、
他所で揉まれて来いと送り出したんだ。」
「そうか、秀さんも偉いな。それで秀さんは刀も作るのか?」
「昔は作っていたみたいだがな。
まあ今の時代刀なんてこんな田舎まで作りに来んだろう。」
と権蔵が笑った。
「そうか、ありがとうよ、寅松をよろしくな。」
と金剛が手を上げた。
「おっちゃん、帰りも一緒か?」
「いや、秀さんの所で昼までいてその後社に帰るよ。
彦さんと話があってな。一人で帰って来いよ。」
「分かった。おっちゃんまた夕方な。」
金剛は手を振り歩き出した。
それを権蔵と寅松が見送る。
「でかい男だったな。」
「だろ、おいらが言った通りだろ?」
権蔵が金剛の後ろ姿を見る。
「でもまあ、なんだか普通の人じゃねえな。」
権蔵が呟くように言った。
「えっ、権蔵さん、何か言ったか?」
寅松が彼を見上げる。
「いや、なんでもねえよ、
今日もいい日だ、まず草取りだ。畑も見るぞ。」
「はい、よろしくお願いします。」
と寅松が頭を下げた。
「お、なんかいい返事だなあ。」
「へへ、おっちゃんがちゃんと言えよって言ったから。」
寅松が照れながら頭を掻いた。
「そうか……。」
権蔵が寅松を見た。
寅松は権蔵の昔からの知り合いの息子だ。
その親は地震で亡くなった。
生き残ったのは寅松だけだ。
今の寅松を見てあいつはどう思うのだろうと
権蔵は思った。
あれから二年だ。
寅松は少しばかり大きくなった。
その顔立ちに亡くなった友を権蔵は見ていた。
金剛が野鍛冶に着くと中からは鉄を叩く音が聞こえていた。
炉の熱が外まで漏れてくる。
「秀さん。」
金剛が声をかけると秀次が振り向いた。
「おう、早いな。」
「鍬か。」
「ああ。」
と秀次がまだ熱い鍬を叩いた。
そして金剛が周りを見渡し槌を見つけると秀治に近寄った。
秀次はちらりと金剛を見る。
そして金剛が鉄を叩くとタイミングを合わせて秀次も叩いた。
やがて鉄が落ち着く。
「金剛、やるな。」
秀次がにやりと笑った。
「久し振りだったからな、ちょいと緊張したが……。」
金剛は槌を見た。
「やっぱり気持ちがいいな。」
秀次が立ち上がる。
「もう一丁やりたいんだがいいか?」
「ああ、良いよ、その後ちょいと相談がある。」
「おう。」
と言うと秀次が炉に入れてあった鉄の棒を引き出した。
火の粉がパッと上がる。
金剛が大槌を構えた。
彼らの仕事は昼前まで続いた。
秀次の女房が恐る恐る出て来て昼飯を出して来た。
仕事が仕事なだけにここでは一日三食取るようだ。
「おかみさん、すまんな。」
金剛が声をかけるとぺこりと頭を下げて
女房は台所に下がった。
「で、なんでぇ、相談って。」
すごい勢いで秀次が飯をかき込みながら言った。
「刀をな、直したいんだよ。」
「刀?」
「真ん中から折れちまったんだ。」
秀次が難しい顔になった。
「折れた刀はな、直らんぞ。」
「ああ、知ってる。
でもなちょいと試したい事があってな。」
金剛も飯をかき込む。
「あの、近場の川な、お花ちゃんが流された川だが。」
「ああ、黒川な。」
「黒川と言うのか。」
「そうだ、昔の話だが
今では石がゴロゴロしてるだけだが。」
「でも所々に黒い砂はあったぞ。
丁度それを調べている時にお花ちゃんが流れて来たんだが。」
秀次がふふと笑う。
「びっくりしただろう。」
「ああ、桃太郎ならぬ花太郎だな。」
二人は笑う。
「でな、その砂なんだがあれを集めて刀が直せんかなと思っているんだ。」
「えっ?あれはただの砂だろう。」
金剛が真剣な顔になる。
「あの砂はな、普通じゃない。俺には分かる。」
食べ終わった金剛が器に茶を淹れて丁寧に拭うとそれを飲んだ。
そして手を合わせる。
「おかみさん、美味かったよ。ありがとうな。」
金剛が台所の方に声をかけた。
女房がちらりと顔を出して嬉しそうに笑った。
「普通じゃないってどう言うこった?」
「鉄混じりだと思うが赤くないだろう。
黒いままだ。何か混じっているんだ。」
秀次が腕組みをして考え込む。
しばらくして彼は顔を上げた。
「そういやあ黒川の川上だがな、黒い地面が出ているとこがある。
そこだけ木も草も生えずに真っ黒なんだ。
それほど大きな所じゃないんだが、
わしらは昔からそこを鬼の便所と呼んどる。」
「鬼か……。」
金剛は立ち上がった。
「秀さんに見せたいものがある。」
そして彼は大八車の方に行った。
秀次も後を追う。
金剛が車の下から鞘に納められた刀を取り出した。
普通の刀より幅が広くて長い
金剛が刀を抜く。
白く冷たい光が日の下で輝いた。
だが刀身は半分しかなかった。
そしてしばらくすると刀はぼんやりと光り出した。
「金剛よ、こりゃ……。」
秀次が息を飲む。
「何ちゅう刀だ、見た事が無い。」
金剛が刀を鞘に納めた。
「でな、この
秀次が野茨の花の周りに茨がある紋様を見た。
「
金剛が秀次を見た。
「俺はな、この刀はこの茨島村で作られたんじゃないかと考えている。
と言う事は秀さんの血縁の人がこれを作ったと俺は思う。」
秀次が無言で腕組みをした。
そして金剛をひたと見る。
「あんた、普通じゃねえな。」
金剛は苦笑いをした。
「普通の人よ。」
「いや違う。」
秀次の目がギラリと光った。
「子どもの頃、爺さんから聞いた事があるんだが、
その爺さんの爺さんが鬼退治の刀を作ったらしいと。
それは爺さんの法螺話だと思っていたんだが、
本当だったんだな。」
金剛がふっと笑った。
「なら話が早い。」
秀次が家に向かって言った。
「おい、ばばあ、ちょいと社まで出かける。」
そして秀次が金剛を見た。
「金剛よ、社に行こう。」
「……まあ午後から戻るつもりだったからな。
でもどうして。」
「彦坊な、あいつ子どもの頃から鬼の事ばかり調べとる。
禰宜になったのもな、茨島の歴史を調べるためだ。
茨島には昔から鬼の話が沢山ある。」
「だろうな。夜にも鬼について書かれた本を読んでた。」
金剛が刀を車にしまった。
「ここの村の子どもはな、小さな頃から鬼の話を聞かされとる。
わしもそうだ。
彦坊も昔から鬼の話をよくしてた。」
「そうか、昨日も彦さんと少しばかり鬼の話をした。
午後にでも詳しく聞こうと思っていたんだ。」
金剛が車に手を掛けた。
「ここに置いとけよ。」
秀次が言う。
「そう言う訳には行かん。
これは命より大事なものだ。」
と言うと金剛が車を引き出した。
社に着くと彦介が境内を掃除していた。
そのそばで長丸と花が葉や小枝を集めていた。
「ああ、金剛さん、おかえりなさい。
それと秀さん……、」
少しばかり深刻そうな顔をした秀次を怪訝そうに彦介が見た。
長丸と花が金剛に駆け寄る。
「ほら秀さんに挨拶しろ、いらっしゃいって。」
金剛が言うと二人が恥ずかしそうに頭を下げた。
秀次がそれを見てにこりと笑う。
「彦坊も偉いな、子ども達を引き取って育てているんだから。」
「いや、私にはこれぐらいしか出来ないから。」
金剛が彦介を見た。
「あのなあ、昨日の話の続きだが……。」
彦介が伺うように秀次を見る。
「わしも少しばかり聞いたよ。」
そして秀次が声を潜めた。
「鬼の話だ。」
彦介が頷く。
「お入りください。」
中に入ると雪が小春と並んで縫物をしていた。
雪が小春に裁縫を教えているのだろう。
「あら、秀次さんいらっしゃい。」
だが皆少しばかり深刻な顔をしている。
それを怪訝そうな顔で雪が見ると、
「お茶でも入れますね。」
と立ち上がった。
それを彦介が見る。
「お雪ちゃんもお茶を持ってきたら話があるから来てくれるか。」
「……、ええ。」
当惑したような様子で雪が奥に行った。
境内が見える部屋に皆は集まっていた。
庭先では子どもが三人で遊んでいる。
「お花ちゃん、川の方に行ってはだめよ。
みんなも遠くに行かないでね。」
「はーい。」
と雪が言うと三人は良い返事をする。
秀次が子ども達を見た。
「あれから二年か。
花なんかやっと乳離れした頃だろ。
今は歩き回っているからな、早いもんだ。」
「そうですねえ。本当に大変でしたよ。無我夢中だったわ。
でもちゃんと大きくなって……。」
雪が優しい顔で子ども達を見た。
「ところで昨日彦さんと話していた事なんだが。」
金剛が話し出す。
「あ、私は別の部屋に。」
と雪が立った。
だが彦介がそれを止めた。
「いや、お雪ちゃんにも関係がある話だ。それとこの社にも。」
彦介が奥からいくつもの古文書を出して来た。
「これはこの茨島村の社の記録です。」
彼はそれをめくる。
「この記録には今から二百年程前に
鬼が封じられたと言う物があります。
そして額に目がある茨島の巫女が鬼の動きを止めたと。」
そして雪を見る。
だが彼女は苦笑いをして慌てて手を振った。
「ただの昔話ですよ、止めて下さい。」
「でも前の禰宜をやっていたお雪ちゃんのお父さんも言っていたよ。」
彦介が言った。
「どんなふうに雪さんのお父さんはおっしゃったんだ?」
金剛が聞く。
「お前のご先祖は額に目があった、それで鬼を払ったと……。
昔から時々そう言われていました。でも私は信じていません。
第一私の額に何かありますか?」
雪がため息をつくと皆がじっと彼女を見た。
あまりにも見つめられるので彼女は恥ずかしくなり俯いた。
「まあ、何もないと言えば何もないが、
立派なおでこなのは分かったぞ。」
と金剛が笑った。
そして彦介が続ける。
「それでもう一つ大事な事が書いてあります。
旅の剣士が同時に鬼を封じたと。」
皆が金剛を見る。
「旅の剣士か、役割としては俺だな。」
「そうですね、そしてその刀の事も書いてあります。
秀さんは刀を見ましたか?」
「ああ、見せてもらった。」
秀次が腕組みをする。
「わしの話はわしの爺さんの爺さんが刀を打ったと言う話だ。
ただの昔話だと思っていたが、
金剛が刀を出して来たからな、びっくりしたな。」
金剛が外に出て刀を持って来た。
「これだ。」
彦介と秀次はそれを見た事があるが、雪はその刀は初めて見た。
あまりの大きさに背筋がぞっとする。
だがその気持ちはその大きさに
金剛がすらりと刀を出す。
その半身はそこにはない。
だがしばらくその刀を構えていると
それがゆっくりと光り出した。
その光の形はそこにはない半身もある。
「おっちゃん、それなんだ!」
気が付くと縁側に子ども達が揃ってそれを見ていた。
大人達は焦り出した。
「変わった形の提灯だ。」
金剛は顔色も変えず刀を仕舞った。
「うそだあ、刀だよ。でっかいなあ。」
長丸が無邪気に言った。
「違うよ、提灯だ。第一刀は光らないだろう。」
金剛はにやりと笑いながら長丸に顔を近づけた。
「そうか、そうかな?」
と長丸が首をひねりながら庭に戻る。
小春と花も彼について行った。
「すまん、うっかりした。
子どもに見せる物じゃなかったな。」
金剛が頭を下げた。
「いや、私達も不用心でした。話に夢中になってしまった。」
彦介が眼鏡を指で押し上げて苦笑した。
「でな、雪さん、この刀の
そこには野茨の花と茨の紋章がある。
「そしてこれだ。」
金剛が懐から小さな手鏡を出す。
「これの背にも同じ家紋がついている。」
手鏡の表面は曇っているがその背には紋様がある。
それを見て雪の顔色が変わった。
彼女は立ち上がり部屋を出ていく。
そして戻って来るとその手には同じ紋様のある鏡があった。
「これは私が母から受け継いだものです。
母も祖母から、この家の女はこれを受け継いでいます。
野茨の花の周りに茨です。同じです。」
「お雪ちゃんの家系は、」
彦介が雪を見た。
「女系家族なのです。昔から女の子しか生まれない。」
金剛が腕組みをした。
「これを持っていたのは俺の母親だ。うばらと言う名だ。
もう死んだがな。」
雪と金剛の目が合う。
「多分だが、と言うか俺の勘では間違いなく
俺のおふくろはここの巫女の血を受け継いでいる。
そして俺はこのお雪さんと血が繋がっている。
かなりの遠縁だと思うが。」
皆がしんとなった。
思わぬ繋がりがあったのだ。
そして静かに彦介が言った。
「うばらは野茨の古語です。
昔の方々は野茨をうばらと呼んでいたようです。」
金剛が立ち上がり古い手鏡を雪に渡した。
彼女はその鏡面を見た。
ずっと磨かれていなかったからか表面はすっかり曇っていた。
ぼんやりと姿が見える程度だ。
その後ろから金剛が鏡を覗いた。
二人の影が重なる。
その時だ、薄ぼんやりとした雪の姿が一瞬鮮明になった。
色白の雪の顔立ちに似た女が浮き上がる。
そしてその額には赤い筋があった。
その筋がすうと開く。
そこには赤く光る紋様があった。
まるで目のような……。
雪はそれを見る。
そして金剛もそれを見た。
鏡を通して二人の目が合う。
その瞬間一人の女の心が雪の魂に触れた。
長い間何かを求めていたような、果てしなく深い気持ちだ。
それはその鏡に映った女の気持ちだろうか。
だがそれが誰なのか雪には分からなかった。
そしてそれは鏡の金剛の影を
しっかりと見たような気がした。
無言で身動きをしない二人を彦介と秀次が訝し気に見た。
雪は後ろに金剛がいるのは分かっていた。
だが振り向く事が出来なかった。
いきなり入って来た知らない誰かの気持ちが、
あまりにも大きかったからだ。
「その、彦さんの話では野茨の大きな木があるらしいな。」
金剛が咳払いをして雪の後ろから離れた。
「え、ああ……、」
彦介も二人を見て何かに気を取られていたように返事をした。
「ああ、野茨様な。」
秀次だけが何事もないように返事をした。
「山の黒川の土手近くにある木だ。」
「それを見に行きたいんだが、」
雪がため息をついて手鏡を置いた。
「どうしたお雪ちゃん。」
彦介が声をかけた。
「え、いえ、なんでもないわ。ただびっくりしてしまって。
その、金剛さんと遠縁だったなんて……。」
雪にはそれしか言い様がなかった。
そしていまだに自分の心に触れた何かが
そこに残っている気がした。
気が付くと秀次と金剛は外に出て大八車の鋼を見ていた。
彦介もそちらを見ている。
雪は自分の手元を見た。
自分が持つ鏡と姿形が全く同じ手鏡だ。
ただ金剛が持っていたものは手入れはされていなかった。
鏡は磨かなければ曇ってしまう。
「鏡磨きの人にお願いしないといけないけど……。」
人のものを勝手に手をつけてはいけないのは分かっている。
だが鏡が曇っているのは女性として少しばかり心が痛んだ。
これを使っていた人がいたはずなのだ。
しかももしかすると自分と関係がある人かもしれない。
金剛は外に行ってしまった。
しばらく預かっておいて、
そのうち手入れの話をしようと雪は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます