人狼

 上田山権助はおもわず恐怖して強く親指の腹でつまんだ。皮膚はもろく崩れてはらはらと破片になって散った。灯りをつける。車のあちこちに浅黒い皮膚片が落ちている。黒い粉雪が降ったようだ。尋常じゃない。ほかの四人も全員この惨状に気がついた。

「あ、あっあっ」

 針火見子が頓狂な声をあげる。

「な、なんだこれは」

 動揺したシュラインがまわりに尋ねた。誰も答えない。宵闇に融け込んだ車体はすべてを暗く染めあげる。さすがに眉をしかめた木星人太郎はほんの少しうわずったと感じられる冷徹な口調で、ふとつぶやく。

「集会場だ……」

 そうして一息つき、

「マターオに聞かなければ……」

 車に乗り込もうとする。

「お、おいどういうことですかい」

 上田山権助は急ぐ木星人太郎を理解できなかった。勘のいい生霊子は木星人太郎のたったひとつの着想について思い当たるところがあった。

「私も見たよ。このざらざらする破片だね。目を皿にしたとき、集会場で見た」

「そうです」

「マターオだけが知っているんだね、そう考えたんだね。この浅黒い真実について」

「そうです」

 木星人太郎はくりかえした。わかったと返事した生霊子はしばらく今日の昼の出来事を回想した。血走った目の男。マターオが集会場の死体を襲ったと主張する。この皮膚片があの事件と何か関係があるのか?

「わかった。みな木星人太郎につづけ。マターオに会いに行く」

 かさかさの破片を掃き出すのも後回しにして、生霊子と四人の部下はそろって車に乗る。停電が回復しても外気は深いとこしえの闇のようだった。車内には得体の知れない水辺の臭いが立ち込めている。生霊子はこの胸が苦しくなる悪臭を嗅ぎながら、悪い妄想をうかべて上の空だった。

 ――ひとを喰ったんだろう!

 あの男の言葉が蘇る。どういう意味か? まさかそのままカニバリズムという受けとめられ方でもあるまいと思った。

 走行中のカーラジオから流れる地元放送局の安っぽい音楽が終った。

 ――つづいてニュースをお知らせします。今日**地区で発見された死体の身元はFBI捜査官のオルターさんだと判明しました……

 車内の全員が目を剝き、聞き耳を立ててじっと耳を澄ました。ニュースはオルターの死を告げている。謎のワニの歯形について、当局が市中にワニが放たれたのではないかと注意喚起を促していた…… それはまるで、あの九月の恐ろしいテロ事件の後の恐怖感の再来のように思われた。

 マターオはアパートで五人を眺めてひきつった表情をした。生霊子は当惑して近づいたが、マターオの腰が抜けていた。

「く、くるな! 化物!」

「ど、どうしたんだ」

 ゆがんだ表情のシュラインが啞然を隠しきれない様子で言った。針火見子も加勢するように

「そうですよ。ちゃんと説明してもらわなきゃ……」

と弱々しい声で怯えている。

「あ、あたしは知っている。あの男が殴る前にあたしに言ったんだ! おまえは実はワニ人間なんだろうって! むろんなんのこっちゃわからないから否定したよ。でもさっきのニュースを見て合点したんだ、あの男の狂気をな! あの迫真の狂気を!」

 五人はまったくすくんでしまった。カーテンの閉め切った、灯りすらついていない真っ暗な部屋でうすいアパートの壁を伝達する怒鳴り声。あまりの圧倒にみなどうすることも、どうしようとも思わなかった。

「ワニは変身したんだよ! おまえらのうちの誰かにな!」

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