FBI捜査官

 二〇〇一年、ジョージ・ブッシュ政権は九月十一日の攻撃を受けて米国愛国者法を成立させた。正式名称は二〇〇一年のテロリズムの阻止と回避のために必要かつ適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化するための法律で、電話・メール・医療情報・金融情報など、アメリカ国内の情報を当局が大幅に集めることができるというものである。

 例えばあるサラリーマンは会社で何気なくブッシュ政権の悪口を同僚に言ったところ、帰宅すると何者かが部屋に入った痕跡があった。それがFBIの家宅捜索だった。どうやら同僚は日頃からこいつを一泡吹かせてやりたいと思っていたらしく、通報されてしまったのである。

 迷惑千万な話だが、しかしFBIのほうも今まではしなくてもいい業務が余計に増えたという意味では迷惑な話である。

 あるFBI職員は過激な発言を繰返す芸能人夫妻の電話・メール・信書・金融取引を令状抜きで覗いたところ、夫はものすごい愛妻家で「今帰るよ♡」とメールしたり、ダイヤモンドがちりばめられた豪勢な指輪を妻にあげたりしたが、調査するうちに実は妻のほうこそ嬶天下だとわかり、退職してしまった。

 また別のFBI職員はある数学者がリーマン予想を解いてインターネットを破壊させる陰謀を企てているのではないかと図書館の利用記録を覗いたところ、転職本しかなかったので自分も退職したらしい。

 そのなかでも米国愛国者法にもとづいてクロコダイル派の調査を命じられて保安官事務所に出向し、潜入捜査をしていたのがオルターだった。

 そのオルターが先日、交通事故にあって軽傷を負ったという。

 FBIに焚きつけられていたのか?

 地元の新聞記事を見た生霊子は疑念をいだいた。

 木星人太郎はただでさえ口数のすくないその口をひらいて、ちょうど生霊子がいだいた疑念をみなに明らかにする。

「これは自滅行為ではないか?」

「どういうことだ」

 生霊子は青い顔を夕暮れの橙色で隠して、木星人太郎を睨み据えた。

「われわれはシュライデンに焚きつけられて、ふだんのハーレインに対する怨嗟の増幅装置と化した。それが空気の注入し続けた風船の最期の瞬間に、誰も止める者がいないまま踏み切ってしまったようになるまで放っておかれた。しかしその結果、どうだろう! ハーレインへの壊滅的なダメージを与える前に、シュライデンの正体が明らかになれば、逆に貶められていたのはわれわれの方じゃないか?」

「なにがいいたい」

 シュラインは顔を紅潮させて木星人太郎に突っかかる。

「われわれはこの男にしてやられたということだ」

「いまさらなんだ。おれらのような素人集団が用意周到であるとでも思っていたのか? おれは最初から捨て身だったよ! カミカゼを思い浮かべていたさ!」

 しかし木星人太郎はあくまでも口元を曲げずに

「わたしはそんなつもりはない。素人集団は素人集団なりに工夫できる余地がある」

 生霊子と針火見子はふたりに目線を往復していた。頭蓋のなかで情報が絶えずこだまして、針火見子は何も言えずに沈黙している。

「もういい! 黙れ!」

 生霊子のますます青くさせた顔はふたりの喧噪でたぎるように沸騰した。ふたりの鼓膜に届いた圧倒的な音声は、かれらの体の動きを一瞬停止させ、向き直らせた。

「結果、瓦解計画がまわりまわって私らの瓦解計画となったとしてもそれはそれでかまわない。どちらにせよ後の祭りだ」

 へえとシュラインは承諾した。というより賛成した。木星人太郎は押し黙っている。

「しかし先決すべき事がある。できれば早い方がいい」

「なんですか」

「シュライデンが本当にFBIのオルターか? その確証をさがしたい。保安官事務所へ行く」

 生霊子はリーダーとしてあくまで冷静に努めようとした。それを聞いて針火見子は目を見開いた。

「賛成」

 シュラインはさっきまでのへえがどこかへ行ってしまったように不満顔になったが、反対する理由もないらしく、ただうなずくばかり。最後に生霊子は木星人太郎を確認したが、顔からその賛意は量りかねた。しかし何も言わぬところを見ると、きっと賛成であろう。

 さっそく先ほどの集会場から帰ってきたばかりの車に五人はまた乗り込む。運転手の上田山権助は夜になりかけて着込んだ厚手の上着で乗り込もうとして、後部座席に何かが落ちていた。拾い上げて光に透かすと、浅黒い色が影を落した。

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